【18】長野県 松本城
| さてさてやっと松本城に到着〜。 |
| ここじっくり見たかったのよね。 |
| って学生の時に来ただろう〜と主人が… |
| 下の子は始めて見る〜と |
| そりゃお前は生まれていなかったから…。 |
| そんな会話をしながら、いざ出陣!! |
| ってぜんぜん記憶に無いのよ〜 |
| 写真を見て思い出すぐらい… |
| ほんと学生の時って何を考えていたんでしょう。 |
松本城
長野県松本市にあった城である。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。
日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つである(現存12天守)。天守群は国宝に指定されている。
戦国時代の永正年間に、松本平の信濃府中(井川)に居を構えていた信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。
享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。
ウキペディアより
| 朝早いけどパラパラと人は居ました。 |
| さすが国宝ですね。 |
| でも姫路城に比べると、低いしちっちゃい…。 |
| 上のお姉ちゃんが来ていたら、やっぱガッカリしたかなぁ〜 |
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ここって、お堀も残っていて、本当にいいたたずまいのお城よね♫
私も、何度か行っていても、あれ??あれ??と思うことがしばしば・・(私だけ?)
きっと、年齢とともに、目の付け所や、感じ方も違ってるんでしょうねw
2010/9/15(水) 午前 11:54
規模が小さいんですね〜−−;
でも、内部も楽しみですよ〜〜♪
2010/9/15(水) 午後 7:53
懐かしい赤い橋。。。
でも他はほとんど記憶にないので(笑)
ちゃぷちゃぷさんのお写真を見ながら思いだそうと思います(^_^;)
2010/9/15(水) 午後 10:02
地元?ですが、一回しか行ったことありません(TωT)しかも、子供の頃に・・・
今度、まじめに見に行こうかな(●´▽`●)
2010/9/16(木) 午前 0:05 [ ハナタレ王子 ]
松本城、烏城とも呼ばれているところは、岡山城と同じですね〜!
2010/9/16(木) 午前 7:12
本当に見事ですね☆ポチでした!
この城を落城するため、きっとちゃぷさんが撮影した場所でも、刀や槍を持って大昔戦っていたんでしょうね〜。ロマンだな〜☆
2010/9/18(土) 午後 8:57
松本城。大好きなお城の1つです。
姫路城を見たら、姫路城が1番になってしまったけど、松本城もかなり風格あって好きです。
最後の写真は絵葉書みたいで素敵。ポチ☆
2010/10/30(土) 午後 4:48 [ プニプニ ]