【20】長野県 松本城 太鼓門特別公開
| さてさてとうとう松本城、城内にはいります。 |
| この日は松本城周辺でちょっとしたお祭りが行われていました。 |
| そのお祭りが目的では無いのですが |
| 城内の太鼓門の特別公開も行われていました。 |
| 私達が行った日はその最終日。 |
| 年に2回ほどしか公開されない太鼓門の中 |
| 私達はなんて運がいいのでしょう。 |
| これはぜひ見て行かねば…ですね。 |
松本城
長野県松本市にあった城である。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。
日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つである(現存12天守)。天守群は国宝に指定されている。
戦国時代の永正年間に、松本平の信濃府中(井川)に居を構えていた信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。
享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。
ウキペディアより
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内部の撮影も出来たのかなぁ〜〜?
次も楽しみです@@
2010/9/17(金) 午前 9:42
通常は拝観できないのね。。(以前見た記憶が・・夏休みだったのかな?)
ラッキーでしたねぇ♬
2010/9/17(金) 午前 10:38
えー!凄いですね。
知らずに行ってるわけですから、運がいいですよ。
中の様子が気になります!
2010/9/17(金) 午後 5:13
わぁ中の様子が気になります^0^)
良かったですね♪
2010/9/17(金) 午後 10:36 [ miriyu ]
どうして太鼓門と言われているのでしょうね。
答えは次回でしょうか?
2010/9/19(日) 午前 9:01
おぉ〜それはラッキーっすね!しかも天気も良いですし!!
太鼓門って、侵入者が来たら太鼓鳴らすからですかね〜?
いよいよ、城内部に侵入ですね♪楽しみっす♪♪
2010/9/19(日) 午後 11:03