【21】長野県 松本城 太鼓門
| さてさてだいぶブログサボりましたね。 |
| ここ何日か夢中になってる事があったので |
| そちらがメインになってしまって |
| ブログをアップしている暇がありませんでした。 |
| ご心配おかけしました。って忘れられてるかな? |
| さてさて、あれから太鼓門の中に入ると事になってましたね。 |
| それでは太鼓門の中を公開したいと思います。 |
太鼓門とは
門台石垣上にある太鼓楼に太鼓や半鐘が置かれ、
時の太鼓・登城の合図として太鼓が打ち鳴らされていたことから太鼓門と呼ばれていました。
| 入口はこんな感じでした。 |
| っていきなり主人と下の娘が写ってますが… |
| まぁよくわからないからいいですね(笑) |
| 全体的にんな写真が多くて^_^; |
| 太鼓門中の様子は、ただ、だっ広いだけで… |
| まだかなり新しい感じです。 |
| ってまた主人入っちゃってますが^_^; |
| 破魔矢の展示もありました。これかなり大きいです。 |
| こんなのでハートをうたれたイチコロですよ(笑) |
松本城
長野県松本市にあった城である。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。
日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つである(現存12天守)。天守群は国宝に指定されている。
戦国時代の永正年間に、松本平の信濃府中(井川)に居を構えていた信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。
享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。
ウキペディアより
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ご無沙汰しております<(_ _)>
松本城・・・何回か行った事がありますがココは知らなかった・・・
次回は是非行ってみよう!
隠れお城マニア?春ちゃんでした♪
2010/9/23(木) 午前 8:01 [ - ]
思わず・・使われている木に・・目が行きます@@
そして、梁!凄いですね〜〜〜・・
昔は、簡単に手に入ったと思いますが、今はね〜〜;;
凄いです@@
2010/9/23(木) 午前 10:31
どもーお久しぶりです☆ちゃぷさんが、これほどブログを休んでハマることってなんなんだろう??気になりますw
いや〜あんなに大きな矢でハートを打ちぬかれたら、ハードだけじゃなくて、魂ももってかれそうです(笑)
2010/9/23(木) 午後 5:24
凄い破魔矢ですね@@
向きが違うと思ったら、天と地に向いてるんだ〜。
それより、娘さんいいなぁ〜。女の子って感じ〜♪
私も娘と旅路を歩きたかったです(笑)
2010/9/23(木) 午後 9:33
おひさしぶりです^^)
破魔矢こんな大きいのもあるんですね**)
行ってみたいです♪
2010/9/23(木) 午後 10:12 [ miriyu ]
どうしたのかなぁ???と思って、今日、ゲスブにお邪魔しようと思ってたw元気だったら、何よりよ。
こちらの中を拝見した記憶がないわ。。w
2010/9/24(金) 午前 10:10
この太鼓は、叩けるのでしょうか?
破魔矢でハートを打ちぬきたいものです〜誰の?(笑)
2010/9/25(土) 午前 8:28