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【23】長野県 松本城 天主閣保存に尽くした功労者
| 【23】長野県 松本城 天主閣保存に尽くした功労者 |
| さてさてかなりおサボり気味ですいません。 |
| 一度サボるとめんどくさくなるというか… |
| またまた久々のアップですいません。 |
| 今回は敷地内にある天主閣保存に尽くした功労者の記念碑です。 |
明治時代になってからは、旧物破壊思想のもと、松本城天守も売却・破壊の運命にさらされた。
天守が競売されたのを憂えた市川量造らの努力により、幾多の困難を克服して天守を買い戻し、
保存に貢献しました。しかし、その後、荒廃が進むばかりでした。
この有様を憂えた松本中学校長小林有也らは、明治三十四年(一九〇一)天守保存会を設立して、
十一年かかり明治の大修理を終え、天守を倒産の危機から救いました。
| 国内で当時のものが存在する数少ない城として |
| 現在も変わらぬこの姿を見れるのは |
| こういう方達のご尽力のおかげなんですよね。 |
| ちゃっぷも頑張らないと…^_^; |
松本城
長野県松本市にあった城である。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。
日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つである(現存12天守)。天守群は国宝に指定されている。
戦国時代の永正年間に、松本平の信濃府中(井川)に居を構えていた信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。
享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。
ウキペディアより
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今でこそ人気の城めぐりですが、松本城が見学できるのも、この人たちのお陰なのですね。
僕もこの人たちを見習わなくては・・・。
2010/10/2(土) 午前 9:55
この人達のおかげですね^^)
お城見てみたいです♪
ポチ☆
2010/10/3(日) 午後 5:18 [ miriyu ]
そうなんですね〜我々が当たり前のように観光できているのも、それを作った功労者や維持してくれている方々がいるからなんですよね〜。
まったりと更新楽しみにしてます☆
2010/10/4(月) 午後 11:50
☆オヒサシブリです♪
〜ええ。コチラも今、死んでます(爆)
松本なんて、もう20年以上行ってないかもっ;あう。P!
2010/10/6(水) 午前 0:09
僕なんか見て終わりだけど、ちゃぷちゃぷさんの知識はすごいですね
ちょっとは、いろいろなことを考えながら見ないといけませんね。。
2010/10/6(水) 午前 0:52 [ - ]
私の書き込みちゃんと届いてますか(*´∀`*)
やっぱりブログの初コメントって緊張しますね。。。
個人的な事から書いてしまうんですけど、ずっと嫌なことが続いていて、正直何度か挫けそうになったんです。
でも、cancer_cyapuさんのブログを拝見してからは、頭でっかちにならずに、一度初心に返ってみるのも大切だと思いました(☆▽☆)
うまくいえないけど、私が中学校の頃に読んでいた小説家さんの文体に似てるんですよね。
あとは着眼点とか。
そういう忘れかけた大切なのを思い出させてくれるブログでした。
おかげで、すごく前向きになれたし、また頑張ろうと思えたのも本当です(σ^▽^)σ
よかったら私の悩みを一つだけ聞いてもらえませんか。
つまり相談に乗って欲しいんです。
koikaren@i.softbank.jp
私の直接の連絡先なんですけど載せます。
cancer_cyapuさんからの連絡待ってます(≧∇≦)キャー♪
2015/3/1(日) 午前 0:20 [ nan**qux53*y ]