新宮市には徐福の墓があります。
中国において紀元前、最初に統一した政権にあの 万里の長城 を築いた秦の 始皇帝があります。
この始皇帝の命により 不老長寿の仙薬 を求めるよう指示された一人が徐福であります。
徐福は、中国中を探したが見つからず、ついに東の海の彼方、日の出ずる国、蓬莱山(富士山)の島にあると進言し、「童男女三千と百工、五穀とその技術を持つ人をつけ東方に船出」した。
(仙薬が見つからないと死刑となるため、逃走したともいわれる) ついには帰らなかった。 と、司馬遷の「史記」にある。
これは、日本の弥生時代初期と時期が合い、全国二十カ所以上に徐福伝承地の跡がある。
これらにより、徐福の伝説は事実であったと思われ、弥生時代は徐福によって開かれたという説もあります。
ここに徐福は神武天皇であったという説がでてくるのです。 いわゆる神武天皇東征のことです。
中国の故衛挺生教授(1890〜1977)の「徐福の日本建国考」によると、
1,地理が合う.........「平原広沢」。 東海各島の中で日本にだけ平原広沢がある。
2,時代が合う.........「三種の神器」。 鏡、勾玉、剣は秦代のものである。
3,水軍の存在、舟師が活動している。
4,少年少女..........神武東征に働いた「童男女」、後の男軍、女軍。
5,五穀百工..........神武の軍は各地に一年以上住んでいる。 稲作などを指導した。
6,政治思想..........秦の郡県制度のようなものを神武も作った。
諸侯=国造 県君=県主
7,遇民政策..........文字や中国語を使わせず、使わなかった。
8,神話.............八神の中の七神が合う。 天、地、兵、陰、月、四時主など。
9,年代.............前203年、ヤマト橿原で即位。
10,考古遺物が合う.....秦代の明刀、安陽布などの貨幣、青銅器の出土。
★徐福が新宮市の阿須賀の地に上陸し、蓬莱山の麓に住みついて、里人に農耕や捕鯨、造船、製紙などの技術を伝えたのだといいます。
阿須賀神社の境内には徐福の宮が摂社として祀られ、徐福の墓もがあります。
徐福が暮らした跡かどうかはもちろんわかりませんが、戦後の発掘調査により境内からは弥生時代の竪穴式住居趾や土器類などが出土し、伝説に多少の信憑性を与えているような気がします(出土品は境内の新宮市立歴史民俗資料館に展示されています)。
『古事記』『日本書紀』の世界では、初代天皇とされている神武天皇は、日向(現宮崎県)から東征の旅に出て、大阪湾上陸を目指しました。
しかし、畿内の勢力の抵抗にあって実現せず、紀伊半島を迂回して潮岬を回って、熊野の海岸から上陸して、大和に向かいました。 (★今上天皇は125代目)
その時、神武軍を案内したのがこの八咫烏です。烏は、普通では不吉な鳥と思われがちですが、ここでは神の使いです。
新宮と那智の間には、大きな看板が出ています。「神武東征上陸地」。無論史実ではありません。
〇不老不死の霊薬は「天台烏薬(てんだいうやく)」?
不老不死の霊薬といわれるクスノキ科の常緑樹「天台烏薬(てんだいうやく)」が生えています。
昔から健康に良い漢方薬として知られていましたが、最近の研究で活性酸素を除去する効果があることが分かりました。体に良いことは確かですが。
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ここの門はすごい立派な門ですね!!
新宮と那智の間にこんなところがあるんですか??
すごいとこですね…!!
2007/7/31(火) 午後 3:46
徐福=神武天皇説ははじめて聞きました。私のブログ友‘なでしこ’さんが今徐福を追いかけています。良かったらどうぞお尋ね下さい。
2007/7/31(火) 午後 10:04
Iegさん 中国には,徐福=神武天皇とする説もあって興味深いものです。徐福は中国を出るとき,稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)も持って出たと言われます。一般的に稲作は弥生時代初期に大陸や朝鮮半島から日本に伝わったとされますが,実は徐福が伝えたのではないかとも思え,徐福が日本の国つくりに深く関わる人物にも見えてくるのです、私はただ拾い読みをしただけですのでごめんなさいね。、
2007/8/2(木) 午前 8:27 [ xmhxg ]
すごいですね 判りやすく感動しました 流石に地元の方ありがとうございました。
2007/8/2(木) 午後 9:00 [ dakar-take ]
最近感じていることがあります。
日本古来の民族はアイヌ人であったであろう。
アイヌ人は縄文文化ないし石器文化であろう。
稲作文化を有する武装集団に追いやられて、北へ北へとのがれたのであろう。
南には熊襲なる民族がいたようですね。
日本の神話は権力を握った人たちが作ったものでしょう。
徐福のお話は、その辺の関わりをしっかり与えてくれます。
2007/11/18(日) 午後 9:02 [ - ]
熊野市歴史民族資料館を訪問させていただきました。
徐福伝説の物的証拠として価値のある「半両銭」が、熊野市歴史民族資料館の所蔵していると熊野市発行のガイドブックに書いてあります。
しかし、熊野市歴史資料館長に尋ねたところ
「10年前頃に熊野市歴史資料館から半両銭がなくなりました。なお、区長さんが保管しているらしい。」
とのことです。
半両銭は約2200年前に秦で使用された貨幣で、熊野で発見されるのは、とても貴重な文化財と思います。
熊野市歴史資料館所蔵の半両銭紛失または盗難に対する法的処置を含む適切な対応や、熊野の残されている、大陸からの貨幣などのアジアの歴史を考えるうえで貴重な証拠を収集されることを切に希望します。
2011/6/5(日) 午前 8:01 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
新宮町には、考古学史上で大変重要な「夜臼遺跡」や、福岡県では4例目の発見となった「琴柱型石製品」が見つかった人丸古墳など弥生時代、古墳時代の遺跡が数多くあります。
また、戦国時代の名城立花城や天然記念物のクスノキの原生林、国の重要文化財の横大路家住宅(千年家)など、貴重な歴史遺産が残っています。
新宮町歴史資料館は、発掘調査によって得られた資料の整理・収蔵・展示、及び町内に所在する歴史遺産の収集保管を行い、その情報を広く公開し、また個人の学習の場として利用できる施設を目指しつくられました。
行ってみたいですね。
2012/3/17(土) 午後 3:17 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]
毒気(あしきいき)は鉱毒ではないかという説は興味深いという。
金属資源の確保は古代の豪族にとって重要事項だったので、それをめぐる争いも当然あったでしょうと語っています。
神武軍は資源をめぐって地元部族と戦い、毒ガス攻撃を受けたとすると、神武がわざわざ熊野をめざしたわけも説明できるという。
、神武軍がわざわざ熊野に回った理由は、金、銀、銅、水銀などの金属資源にあったのではないか、といった指摘をしています。
1400万年前に紀南地方で繰り広げられた火山活動の結果、那智(和歌山)から熊野(三重)にかけての沿岸部一帯は、銅、硫化鉄、金、銀などの鉱床に恵まれる地帯となりました。
そして、紀南地方には、妙法鉱山、鉛山鉱山(かなやまこうざん)、南海鉱山、道湯川鉱山、三陽鉱山など鉱山がたくさんありました。
2012/6/22(金) 午後 9:42 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
中国の古典「抱朴子(ほうぼくし)」「仙薬編譯」を翻訳。
本書は、4世紀に錬金術師でもある道士葛洪によって書かれ、 道教の教えと、仙人になるための方法・心得を説いたもの。
仙薬は、
1 丹砂 【硫化水銀。古代では最高の仙薬とされていた】
2 黄金 【黄金を作る方法、錬金術について】
3 白銀
4 霊芝類 【石芝・木芝・草芝・肉芝・菌芝の五種類】
5 五玉 【五玉とは蒼玉・赤玉・黄玉・白玉・玄玉のこと】
このほかに、丹砂と金を合成したのが丹薬・丹金として、九鼎丹・太清丹・九光丹・五霊丹・立成丹・金液。
紀元220年に、秦の始皇帝が不老長寿の薬を探してくるように、徐福に命じ、徐福は3000人ほどの人を引き連れて日本に来たという伝説があります。
徐福が上陸したといわれている場所は、北は青森から南は鹿児島まで、全国に亘っています。(徐福伝説)
水銀が不老不死に効果があると思われたのは、紀元前220年にすでに、信じられていたのではないでしょうか? 49歳で死亡した秦の始皇帝の遺骸は、水銀の川が流れ、黄金のガンが群れ飛ぶ陵墓に葬られたと伝えられていま
2012/8/15(水) 午後 8:57 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]