南紀州新巡礼の旅

神や仏にすがりたい気持ちにさせたのは?

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          ★大塔宮護親王ゆかりの地

          ?H1>住吉神社(鮎川王子)      御歌

そめし秋を くれぬとたれか いはた河 またなみこゆる 山姫のそて


住所 和歌山県田辺市鮎川512
TEL 0739 49 0825

住吉神社は宝永年間に、摂津(いまの大阪)の住吉神社から分霊し。明治以降、鮎川の守護神としてお祀りされ、交通安全、文武、安産の神様として崇められています。
住吉境内にある熊野剱宮は元弘元年(1331)、後醍醐天皇の皇子で知略の優れ武勇の誉れ高い護良親王が熊野落ちの際残された御佩刀を祀られ、学業成就と健康を願う神様として近郷近在の崇敬を受けています

   

大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)


大塔宮護良親王は、1331年鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇の息子で、熊野落(くまのおち)に関する伝説が各地域に残っています。
和歌山県の田辺市の旧大塔村は、大塔宮護良親王が逗留(とうりゅう)したという言い伝えが村名の由来だったそうです。田辺市鮎川の小川地区ですが、

       ★餅搗かぬ里として大塔宮伝説 ==

大塔宮の熊野落ちの際、大塔村の鮎川を通ったのは年の瀬で、空腹の大塔宮は地元の農民に餅をいただけないかと頼んだののですが、「見ず知らずの落人に施しはご法度。」どこの家からも断っわられたそうです。
後になって、大塔宮の一行だった知った人たちは、その無礼を詫びるため正月には餅をつかないようにしました。その風習を中世からずっと守ってきた小川地区の人々は、1935(昭和10)年、大塔宮の600年忌が鎌倉宮で開かれた時、餅を献上し過去の許しを乞うたそうで、それ以来、この地区では、正月の餅つきの行事が復活したとされています。

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        熊野古道、和歌山県の王子社 中辺路


     ★中辺路(大坂、和泉から紀伊路に出、田辺から山道に入り、本宮に至る)


     熊野詣の道   熊野の大自然 熊野の神髄

       ?H2><王子編>
 熊野に参詣するためには、出発前数日間の精進屋に入っての潔斎、出発後は路次の祓、沿道の王子に奉幣することなどいくつかの宗教的作法が義務づけられていました。

なかでも熊野詣に特有なのが、各王子への奉幣です。俗に九十九王子といわれ、その社は時代とともに栄枯盛衰を繰り返してきました。

中辺路街道は、古代末期から近世にかけて「蟻の熊野詣」といわれるほど、多くの参拝者がこの山間の町を往来していったと伝えられています。
町内各所には、当時の旅人の休憩場所となった王子跡やゆかりの地が数多く点在し、懐かしい古代ロマンの香りが色濃く残っています。

     ?H2>九十九王子(くじゅうくおうじ)とは 九十九王子は実際に99丁度あるわけだはなく、多数あるということの比喩である。
熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願された。
したがって、その分布は紀伊路・中辺路の沿道に限られる。


11世紀には熊野に王子と呼ばれる神社があったことが確認できる。12世紀に入ると、ほとんどバブルと呼べそうなほど王子社が急増乱立し、史料にも新王子の記述が増える。

13世紀になってもしばらくはこの傾向が続き、12〜13世紀に最盛期を迎える。
だが、こうした新王子の中には、短命のものもかなりあった。その後、概ね鎌倉時代以降に、熊野詣の主体の変化や熊野詣自体の後退に伴って、多くは衰退するにいたった。

             ?H2>王子とは何か

      王子は参詣途上で儀礼を行う場所であった。

主たる儀礼は奉幣と経供養(般若心経などを読経する)であり、神仏混淆的である。

また、帰路にはほとんど顧みられることがないことから、物品の補給をおこなったとする説もあたらないと考えられている。これらの儀式が王子で行われたのは、
王子とは熊野権現の御子神であるとの認識があり、すなわち参詣者の庇護が期待されたのである。

これら王子の形成は、中世熊野詣において先達をつとめた熊野の修験者によるものである。

本来は沿道住人の祀る雑多な在地の神々である諸社を王子と認定したのは、熊野参詣を主導する先達たちである(ただし解釈は一貫せず、参詣記ごと・先達ごとのばらつきが相当ある)。また、王子という命名も、峯中修行者を守護する神仏は童子の姿をとるという修験道の思想に基づくものであると考えられる。

同時に、熊野修験は院政期以降の皇族・貴人たちの参詣の先達をつとめたが、このことは、九十九王子の顕著な特徴である、紀伊路・中辺路への集中や院政期に重なる12世紀の大量出現をもたらしている。実際、最盛期に80余を数えた王子の大半は、皇族の参詣の活発化に伴って組織されたものである。

          

五体王子


九十九王子の中には五体王子(ごたいおうじ)と呼ばれる王子があり、他とは格式を異にするとされる。

これらは一般に、熊野の主神の御子神ないし眷属神として三山に祀られる神々のなかでも、

五所王子と呼ばれる神々(若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮)を祀る神社であり、

三山から勧請したものと考えられている。これら五体王子では、舞・白拍子・神楽・猿楽などが行われており、芸能的性格が強いと一応は言えるが、これらは他の王子でも行われており、顕著な特徴とは言えない。
いずれの王子を五体王子に数えるかは、これまた解釈の相違があり、、他の列挙例もあって一貫しない。現在では、諸史料から最小公倍数をとって、藤代王子・切目王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子の5社とするのが一般的である。 (wikipedia)参考

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               臨済宗妙心寺派

         ?H1>大雄山 興禅寺(こうぜんじ) ★御本尊  釈迦三尊

               御詠歌
   ?H2>いちのせの ふかきふちせは かわるとも つきぬだいひの かげはとうとき

創建は定かではないが、鎌倉中期までは真言宗に属し、その後由良、興国寺を開いた覚心禅師の影響を受けて臨済宗と改められた。
秀吉の南紀討伐で、当地龍松山竜巻城とともに焼失し寛文初期に、田辺、海蔵寺の三世南龍禅師によって再興され、禅宗、妙心寺派となり、現在三十九代と連綿と続いている由緒ある名刹です。

興禅寺には、上富田町指定文化財の聖観世音菩薩立像のほか、一般に「興禅寺文書」と呼ばれる古文書類が百点ほどもあり、和歌山県の古刹として知られています。

近西国観音霊場の第十五番札所として登録されています。

回遊式の庭園は四季折々の花を咲かせ、多くの参拝客の目を楽しませています。

このほか、昭和48年に建立された白いだるま座像があり、興禅寺は通称「だるま寺」として、町のシンボル的存在となっています。全国達磨会に所属している寺院です。

           初祖菩提達磨円覚大師

だるま様は、今から約千五百年程前に、インドから中国に禅の教えを伝えた祖師であります。

 だるま様といえば、ユーモラスな張り子の置物などで広く親しまれていますが、私どもに「七転び八起き」の言葉通り、くじけず辛抱すれば必ず報われるという、不撓不屈の精神を授けて下さる尊いお祖師様であります。
また、だるま様は百五十才まで長生きをされたお方です。
長生きにあやかって下さい。
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円相(般若門)
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梲(うだつ)=梁の(はり)の上に立てる短い柱、うだつが上がる、上がらない。
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             ★熊野詣での水垢離場

            稲葉根金剛童子王子権現

     ?H1>稲葉根王子社(村の産土神)

         御歌 
 ?H2>いわた河 渡る心の ふかければ 神もあわれと 思わざらめや
=花山院
住所 和歌山県西牟婁郡上富田町岩田2988−2
TEL 0739 47 0299

 稲葉根王子は上富田町岩田王子谷の入口にあり、熊野九十九王子の中でも社格の高い准五体王子でした。
 天仁2年(1109年)の「中右記」にもその名が見え、社歴も古く、格別に崇敬されていました。 この王子の神は熊野本地曼陀羅に稲を背負う翁の姿で描かれ、別名稲荷王子と呼ばれ、稲荷信仰に深い関係を持っています。
 熊野街道中辺路の重要な水垢離場とされた岩田川(富田川)の渡渉地点に近く、この王子から川で水垢離を取り対岸の一ノ瀬王子へ渡ったと伝えられています。
 江戸時代は産土神とされていたが、大正15年(1916年)、現在の岩田神社へ合祀されました。現在は再び分霊を遷し、稲葉根王子として再興されています。

               ★水垢離場
岩田川(富田川)沿いには熊野古道が通、このあたりは中世には熊野詣での水垢離場として重要な地でした。この川で禊をすれば、今までの罪がすべて消えると信じられ、上皇や女院たちも徒歩で渡りました
 岩田側を最初に渡るこの付近の瀬を一の瀬といい、何回も繰り返し繰り返し対岸へと渡りながら
滝尻王子王子へと進みました。
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                 ★真言宗

        ?H1>滝尾山 救馬渓観音大悲閣(すくまだにかんのん)
ご本尊 馬頭観世音菩薩

           ★ 御詠歌

みやまじを わけつつゆけば すくまだに きよきながらの たきのひびきに


住所 和歌山県西牟婁郡上富田町生馬313
TEL 0739 47 1140

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「上富田町」は、和歌山県の西南部に位置し、熊野古道「中辺路街道」の入口であり、

東・北は田辺市、西・南は白浜町に隣接し、中央部を富田川が流れています。

気候は黒潮の影響により、年平均気温16度と温暖であります。

交通は、和歌山市まで鉄道で1時間、南紀白浜空港より東京まで約1時間の距離にあり、また国道42号並びに311号が通り交通輸送にも恵まれています。


             〇救馬渓観音

       ★ 紀南随一・最古の開運厄除霊場

            役の行者開山

         鳥羽天皇勅願寺
            小栗判官霊験
 紀州田辺藩主安藤家祈祷寺

当山は1300年前の飛鳥時代、修験道の開祖「役の行者」によって開山され、その後天暦7年(953)、空也上人が自ら刻んだ観音像を奉安。
後に熊野詣でに行幸された鳥羽天皇が堂宇を建立され、寺名を「岩間寺」といった。大阪府貝塚市の「水間寺」の観世音は当山から勧請されたとも伝えられる。

当山の中興の祖と云われるのは、戯曲・浄瑠璃で有名な小栗判官こと小栗小次郎助重で、常陸の国小栗城で足利持氏の軍に破れ逃れた後、仏門に帰依し各地を巡錫中「瘡痍」にかかった。

治療のため、妻「照手姫」と紀州湯の峯温泉に湯治に向かう途中、突然愛馬が病に冒され動けなくなってしまった。
この時、当山の霊験あらたかなることを聞き、従者と共に参拝し祈願すると馬の病は忽ちに全快し、無事湯の峯にたどり着くことが出来た。

愛馬が救われたことに感激した小栗判官は応永33年(1426)堂宇を再建し、「救馬渓観音」と名付けられたという。
「生馬」の地名や「馬川」の川の名はこの霊験に由来している。

江戸時代には徳川御三家紀州藩の家老をつとめた紀州田辺藩主安藤家の祈祷所として尊信を篤く受け、
寛文4年(1664)に現本尊の厨子の寄進を賜り、嘉永5年(1852)には本堂を再建されるなどの庇護をうけた。

当山は熊野本宮への参拝道である山間部を通る「中辺路」と、海岸線を通る「大辺路」の分岐点に位置していることから、古くから熊野本宮への道中の安全を祈願した寺としても知られる。

開基以来、観世音の霊徳を慕い、加護を念じて初午や月縁日の18日には羽織 袴に盛装し、参拝する人々は列をなしたと伝えられる。

御本尊馬頭観世音菩薩
(御影)
鎌倉期の有名な大仏師「快慶」の作であると伝えられ午年の旧暦初午日・1日のみ御開帳される秘仏である。

現在は、人の姿は変われどもその敬心は昔と変わりなく、開運厄除の霊場として、又、桜・あじさい・紅葉の名所として、参拝する人は後をたたない。お正月初詣3ケ日には約6万人が参拝する紀南随一の霊場である。
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御本尊馬頭観世音菩薩
(御影)
鎌倉期の有名な大仏師「快慶」の作であると伝えられ午年の旧暦初午日・1日のみ御開帳される秘仏である。

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厄年は数え年で男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・37歳・61歳をいいます。これらの年齢が「本厄」です。「本厄」の1つ前の年を「前厄」、「本厄」の次の年を「後厄」といいます。厄年は昔は「役年」といって一定の年齢になるとお寺や神社の役をした事が起源だそうです。
迷信だという人もありますが、医学的にも体の変調が起こりやすい時期であり、社会的にも大きく環境が変わる時期とされています。
みなさんは来年は厄年ではないですか?厄年であれば早いうちに厄除け(厄祓い)の祈願を受け無事に過ごせますようお祈りしましょう。と住職さんのPR

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