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= 旧石器時代は=
氷期にあたり全般的に今よりも寒く乾燥した気候であったことがわかっています
。特に2万年前はもっとも寒く平均気温が5度〜10度も低かったようです 。 海は氷河の影響で海面が今よりも何10メートルも低かったようです。
=旧石器時代の人々の服装=
気候が現在よりもかなり寒かったので 夏をのぞいては防寒着と靴が必要でした。
旧石器時代の人々はクマやシカの毛皮で作られた丈の長いゆとりのある服を着ていたのではないかと考えられています。
旧石器時代の遺跡からは 皮をなめすための石器も出土されています。
=旧石器時代の人々の食事=
旧石器時代の遺跡から その当時の食料が見つけられたことはほとんどありません。でも いくつかの遺跡から出土した動物の骨の化石」からシカ クマ 野牛 ウサギなどの動物や魚などを捕って食べていたことがわかっています。
=旧石器時代の人々の家=
旧石器時代の人々にとって 家は寒さをしのぎ 雨や風を防ぐために必要なものでした。
遺跡で発見されている旧石器時代の家の跡は 数メートル大のほぼ円形で 柱の穴の跡があるものや 床が浅く掘りくぼめられたものなどがあります。
これらの家は おそらく木材で骨組みをつくり毛皮や草 土などをかぶせたものだったであろうと考えられています。 =農耕の始まりと弥生時代= 紀元前三世紀になると、大陸から水稲耕作と鉄器、青銅器などの金属器が伝わり使用され、赤褐色の弥生土器が出現する。 朝鮮半島に近い九州北部に伝わった水稲耕作は西日本各地に広まり、やがて東日本へと波及した。 食料は 採取から 生産の段階 に張って師、木製の鍬や鋤などが用いられ、貯蔵には高床倉庫や貯蔵穴が使われた。 弥生時代中期には農業技術は著しく進歩し、直播(じきまき)きしていた苗は、苗代 が利用するようになった 水路を備えた大規模な水田が作られ、耕作には鉄、同とすずの合金である青銅器などの金属器が使われるようになった。 この時代、人々は竪穴住居に定住し、住居数が増え、大集落=むらが形成された。大規模な水田作りのために、一つの水系を中心に、 小さな集落が集まって共同作業が必要とされたためである。 この頃から 貧富、身分の差 が生じ、階級社会が発生、村には農耕儀礼に関する呪術を行う強力な支配者が出現した。 弥生時代後半になると、強い村 が弱い村 を従える闘争と合併を繰り返し、政治的まとまりが見られ王が存在する 小国 が誕生した。 紀元前1世紀頃の日本には100あまりの小国があったとされ、 紀元57年、倭(わ) (当時の日本)の各地小国の王たちは中 国や朝鮮半島と盛んに交易し、 使者を送り先進文化を取り入れようとしていた。 小国は次第に統合されていったが、2世紀終わりに起こった大きな騒乱はなかなか収まらなかった。 三世紀に入り、諸国は共同して邪(や)馬(ま)台(たい)国(こく)の女王、卑弥呼(ひみこ)を立てると乱は収まったという。ここに女王卑弥呼が支配する邪馬台国を中心とした小国連合が生まれた。 卑弥呼は呪術(じゅじゅつ)の力で人々から恐れ敬われ君臨していたらしく祭政一致の政治形態だった。 また階級社会が発展し,租税制度や刑罰なども確立していたことから 政治国家として機能していたといえる。 写真 1 石器時代の化石(クルミ)2古墳のいろいろ 3 古墳時代中期出土した銅鏡 4 縄文時代中期の埋甕(かめ) 5 弥生時代の既製品
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2007年05月22日
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