<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
<rss version = "2.0"  xmlns:blogChannel="http://backend.userland.com/blogChannelModule">
<channel>
<title>南紀州新巡礼の旅</title>
<description>再挑戦のプログ参加です。 
　デジカメと体力維持に水泳が趣味　、今年もマスターズ全国大会目指します。 
試験勉強のつもりで頑張ろうと思っています。南紀州の良さが少しでも出ればと思っています。</description>
<link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/url/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNg--</link>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
<image>
<title>南紀州新巡礼の旅</title>
<url>
    https://s.yimg.jp/i/jp/blog/iym_img.gif
</url>
<description>再挑戦のプログ参加です。 
　デジカメと体力維持に水泳が趣味　、今年もマスターズ全国大会目指します。 
試験勉強のつもりで頑張ろうと思っています。南紀州の良さが少しでも出ればと思っています。</description>
<link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/url/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNg--</link>
</image>
        <item>
        <title>mil*****さんのコメント</title>
        <description>気がついてもらえますように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう願いながら、初めてのコメントを緊張しながら書き込ませてもらっています。&lt;br /&gt;
まず、初めまして。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私ですね。&lt;br /&gt;
逃げるべきなのか立ち向かうべきなのかそんな悩みを抱えてます。&lt;br /&gt;
ただ、考えても答えが出ず自分を自分でせめてばかり…頭の中でダメだとわかっていても無意識にいつでも自分の事を攻撃しちゃってました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも、たまたま立ち寄ったxmhxgさんのブログを読ませてもらっている内に、私ってわかってるようで何もわかってなかったのかな…と。&lt;br /&gt;
頑張れって言ってもらえたようで妙に落ち着いたんです。&lt;br /&gt;
ありがとうございました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それで…ですね。不躾で申し訳ないんですが…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
harunan_n@i.softbank.jp&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お話させてもらえませんか？&lt;br /&gt;
xmhxgさんとお話することが出来たらもっと気持ちに変化が出て来るような気がするんです。&lt;br /&gt;
待っているのでお願いします。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yNzk2MzkzMS5odG1sIzQ4NjU0MTA4</link>
        <pubDate>Fri, 10 Apr 2015 02:23:38 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>高砂のPCB汚泥の盛立地浄化さんのコメント</title>
        <description>熊野三山を統括する役職としての熊野別当の名称は、「熊野別当代々記」によると、前述の宗教思想上の一体化にやや先行し、9世紀に初見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期の熊野山は、依然として地方霊山の一つでしかなかったが、白河院の寛治4年（1090年）の熊野御幸後、事情は一変する。&lt;br /&gt;
熊野御幸から帰還した後、白河院は、先達を務めた園城寺の僧侶・増誉を熊野三山検校に補任すると同時に、熊野別当を務めていた社僧の長快を法橋に叙任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これにより、熊野三山の社僧達は中央の僧綱制に連なるようになった。&lt;br /&gt;
このとき設けられた熊野三山検校の職位は確かに熊野三山を統べるものとされたが、検校は熊野には居らず、統轄実務を担ったわけではなかった。&lt;br /&gt;
宗務は無論のこと、所領経営、治安維持、さらに神官・僧侶・山伏の管理にあたったのは熊野別当とそれを補佐する諸職であり、当初その財政基盤となったのは、白河院から寄進された紀伊国内2ケ郡の田畠百余町であった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
熊野別当を世襲した熊野別当家は、後に新宮に本拠を置く新宮別当家と本宮と田辺を拠点とする田辺別当家に分裂しつつ、別当職を務めた。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yMzEyMTIwNS5odG1sIzQ2NjQzMjY3</link>
        <pubDate>Tue, 11 Sep 2012 21:47:05 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>高砂のPCB汚泥の盛立地浄化さんのコメント</title>
        <description>熊野三山を統括する役職としての熊野別当の名称は、「熊野別当代々記」によると、前述の宗教思想上の一体化にやや先行し、9世紀に初見される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期の熊野山は、依然として地方霊山の一つでしかなかったが、白河院の寛治4年（1090年）の熊野御幸後、事情は一変する。&lt;br /&gt;
熊野御幸から帰還した後、白河院は、先達を務めた園城寺の僧侶・増誉を熊野三山検校に補任すると同時に、熊野別当を務めていた社僧の長快を法橋に叙任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これにより、熊野三山の社僧達は中央の僧綱制に連なるようになった。&lt;br /&gt;
このとき設けられた熊野三山検校の職位は確かに熊野三山を統べるものとされたが、検校は熊野には居らず、統轄実務を担ったわけではなかった。&lt;br /&gt;
宗務は無論のこと、所領経営、治安維持、さらに神官・僧侶・山伏の管理にあたったのは熊野別当とそれを補佐する諸職であり、当初その財政基盤となったのは、白河院から寄進された紀伊国内2ケ郡の田畠百余町であった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
熊野別当を世襲した熊野別当家は、後に新宮に本拠を置く新宮別当家と本宮と田辺を拠点とする田辺別当家に分裂しつつ、別当職を務めた。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yNzI2NTIxMy5odG1sIzQ2NjQzMjY1</link>
        <pubDate>Tue, 11 Sep 2012 21:46:30 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>高砂のPCB汚泥の盛立地浄化さんのコメント</title>
        <description>熊野水軍は、紀伊半島南東部、熊野灘、枯木灘に面した地域を拠点とした水軍。&lt;br /&gt;
熊野海賊とも。瀬戸内海の制海権を握り、平安時代末期の内乱、治承・寿永の乱（源平合戦）で活躍した事で知られる。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
豊富な船材と良港に恵まれながらも、耕作地に乏しい熊野には海を舞台に活躍する水軍が早くから発達した。&lt;br /&gt;
紀淡海峡など四国と紀伊半島の間に出没した南海海賊の多くは熊野の浦々を拠点とする海の領主で、彼らを熊野別当が統括していた。&lt;br /&gt;
熊野別当には源氏とつながりを持つ新宮別当家と、平氏とつながりをもつ田辺別当家という二つの有力な家があり、源平双方と関わっていた。乱の最終決戦である壇ノ浦の戦いでは平氏方であった湛増が源氏方に付き、源氏を勝利に導いた。&lt;br /&gt;
 戦国時代には堀内氏が統治していた。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yNjM4MDQyNy5odG1sIzQ2NjQzMjE4</link>
        <pubDate>Tue, 11 Sep 2012 21:34:50 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>環境歴史観光防災カメラマンさんのコメント</title>
        <description>中国の古典「抱朴子（ほうぼくし）」「仙薬編譯」を翻訳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本書は、４世紀に錬金術師でもある道士葛洪によって書かれ、 道教の教えと、仙人になるための方法・心得を説いたもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 仙薬は、&lt;br /&gt;
１ 丹砂 【硫化水銀。古代では最高の仙薬とされていた】&lt;br /&gt;
２ 黄金 【黄金を作る方法、錬金術について】&lt;br /&gt;
３ 白銀&lt;br /&gt;
４ 霊芝類 【石芝・木芝・草芝・肉芝・菌芝の五種類】&lt;br /&gt;
５ 五玉 【五玉とは蒼玉・赤玉・黄玉・白玉・玄玉のこと】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほかに、丹砂と金を合成したのが丹薬・丹金として、九鼎丹・太清丹・九光丹・五霊丹・立成丹・金液。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
紀元220年に、秦の始皇帝が不老長寿の薬を探してくるように、徐福に命じ、徐福は3000人ほどの人を引き連れて日本に来たという伝説があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徐福が上陸したといわれている場所は、北は青森から南は鹿児島まで、全国に亘っています。(徐福伝説) &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水銀が不老不死に効果があると思われたのは、紀元前220年にすでに、信じられていたのではないでしょうか? ４９歳で死亡した秦の始皇帝の遺骸は、水銀の川が流れ、黄金のガンが群れ飛ぶ陵墓に葬られたと伝えられていま</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yMzMzMTMxNC5odG1sIzQ2NTM5NDU1</link>
        <pubDate>Wed, 15 Aug 2012 20:57:23 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>高砂のPCB汚泥の盛立地浄化さんのコメント</title>
        <description>周参見では、ケンケン鰹味覚祭をやっていました。 &lt;br /&gt;
ケンケンとはハワイ語で、擬餌のことなんですね。&lt;br /&gt;
周参見とハワイは結構関係がありそうですね。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yNzgxNzAxNC5odG1sIzQ2NTA0NDk3</link>
        <pubDate>Sat, 04 Aug 2012 10:34:04 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>高砂のPCB汚泥の盛立地浄化さんのコメント</title>
        <description>毒気（あしきいき）は鉱毒ではないかという説は興味深いという。&lt;br /&gt;
金属資源の確保は古代の豪族にとって重要事項だったので、それをめぐる争いも当然あったでしょうと語っています。&lt;br /&gt;
神武軍は資源をめぐって地元部族と戦い、毒ガス攻撃を受けたとすると、神武がわざわざ熊野をめざしたわけも説明できるという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
、神武軍がわざわざ熊野に回った理由は、金、銀、銅、水銀などの金属資源にあったのではないか、といった指摘をしています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 １４００万年前に紀南地方で繰り広げられた火山活動の結果、那智（和歌山）から熊野（三重）にかけての沿岸部一帯は、銅、硫化鉄、金、銀などの鉱床に恵まれる地帯となりました。&lt;br /&gt;
そして、紀南地方には、妙法鉱山、鉛山鉱山（かなやまこうざん）、南海鉱山、道湯川鉱山、三陽鉱山など鉱山がたくさんありました。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yMzMzMTMxNC5odG1sIzQ2Mzk1Mzk1</link>
        <pubDate>Fri, 22 Jun 2012 21:42:33 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>高砂のPCB汚泥の盛立地浄化さんのコメント</title>
        <description>紀南の地質資源生かそう 和歌山大、教育や観光で取り組み-&lt;br /&gt;
【紀伊民報】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 和歌山大学は、和歌山県南部に多い貴重な地質資源を活用した教育プログラムや観光プログラムの開発を目指して取り組む。&lt;br /&gt;
大学関係者は「活用し切れていなかった資源を生かし、新しい切り口で地域を活性化させたい」と話している。 研究会には教育学部理科教育の久富邦彦教授や此松昌彦教授、観光学部の中串孝志准教授、大学職員のほか、田辺市熊野ツーリズムビューローの多田稔子会長、県立博物館や田辺市周辺広域圏組合の関係者らも参加している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
串本町の橋杭岩や古座川町の一枚岩、地層が大きく折れ曲がったすさみ町の天鳥のしゅう曲など紀南には全国的、世界的にも貴重な地質資源が多い。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yNjM4MDQyNy5odG1sIzQ2MzkzNTI0</link>
        <pubDate>Fri, 22 Jun 2012 05:30:48 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>環境歴史観光防災カメラマンさんのコメント</title>
        <description>清姫の里 田辺市中辺路町真砂&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清姫が生まれたのが、真砂の里だ。富田川に突き出た高みに清姫の墓の板碑がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ここの真砂庄司の娘が清姫であった。真砂庄司は熊野八庄司の一人で、「南紀古士伝」は「真砂庄司は滝尻王子の庄司、栗須川の庄真砂村に代々居住す」と記している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 庄司は郡の公卿や寺社などの荘園の持ち主の代行をする管理者のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 この辺りには、清姫の墓だけではく、清姫の衣掛松、清姫の捻じ木の杉、清姫のぞき橋、清姫ヶ淵など清姫にまつわる遺跡がたくさんある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 真砂という地名は砂鉄を産出したことに由来するようである。神話の時代には、熊野は「鉄の国」と呼ばれていたこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱山を開いたのは、鉱物知識が豊富であった修験者である。真砂庄司が古くは「真砂の長者」と呼ばれたのは、この鉱物資源と関係があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安珍は清姫から鉱床秘図を盗んだ。&lt;br /&gt;
起こった清姫は採鉱民を従えて取り返しに行ったが採鉱民は敗れた。&lt;br /&gt;
その後、鉱山への課税が強化された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが、安珍清姫伝説の真実だと思う。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yNzI2NTIxMy5odG1sIzQ2MzQ5NTU2</link>
        <pubDate>Tue, 05 Jun 2012 21:23:41 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>環境歴史観光防災カメラマンさんのコメント</title>
        <description>新宮町には、考古学史上で大変重要な「夜臼遺跡」や、福岡県では４例目の発見となった「琴柱型石製品」が見つかった人丸古墳など弥生時代、古墳時代の遺跡が数多くあります。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 また、戦国時代の名城立花城や天然記念物のクスノキの原生林、国の重要文化財の横大路家住宅（千年家）など、貴重な歴史遺産が残っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 新宮町歴史資料館は、発掘調査によって得られた資料の整理・収蔵・展示、及び町内に所在する歴史遺産の収集保管を行い、その情報を広く公開し、また個人の学習の場として利用できる施設を目指しつくられました。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
行ってみたいですね。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC94bWh4ZzUzNi8yMzYyNTI4Ni5odG1sIzQ2MTMxNTk5</link>
        <pubDate>Sat, 17 Mar 2012 15:18:57 +0900</pubDate>
    </item>
    </channel>
</rss>