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精進料理が日本に伝わったのはいつのことか分かりませんが、精進料理の基礎を築いたのは道元禅師であると言われています。道元禅師が著した
『典座教訓(テンゾキョウクン)』と『赴粥飯法(フショクハンポウ)』精進料理にとってもっとも基本なものです。今日多くの人が精進料理をいただくのは、法事のときくらいでしょう。 それも現在では、葬儀のすぐ後に、「精進落し」として肉や魚を食べることが多くなりました。私たち日本人にとっては、肉や魚を食べるのが当然のこととなっているようです。 肉を一般的に食べ始めたのは、明治の文明開化以降のことです。 政府の欧米化政策によって、宮中をはじめ庶民までが牛肉を食べ始めました。 そして今では、肉や魚を食べるのが一般的になりました。。精進料理を作ることができる人は、少数の人に限られてしまったようです。精進料理は、特別な習慣としてしか残らないのでしょうか。 精進料理 では、肉や魚を一切使いません。。 精進料理で使われるのは、主に昆布だしです。 ゴマも、味付けには欠かせないものです。そして味噌も、欠かすことのできない調味料です。 江戸時代の『精進料理』と、そのほとんどが、今でも日本人が食べているものです。ただ現在の和食と違っているのは、 出汁に鰹節 を使わないことくらいです。 精進料理と現代の和食とは、共通点が非常に多くあります。 ★ 喜心とは、 喜びをもってことをなす心です。 ★ 老心とは、親がわが子を思うような心のことです。 ★ 大心とは、大きな山のように心をどっしりとさせ、偏ったり固執したりすることがない心です。 禅寺で典座(テンゾ:修行僧たちの食事に責任を持っている人)の地位にあるものが食事を作る際に、忘れてはいけない心構えとして、この三つの心を述べています。この三つの心は料理を作る場合のみではなく、すべての事を行う際に必要な心がけでもあります。
肉や魚を食べることが大切であるという考えは、私たちが受けてきた教育の中で強調されてきたことです。
そしてマスコミもまた、よく取り上げることです。ところが今、「狂牛病」の恐れや魚にもっとも多く含まれる 環境ホルモン の恐れなどから、肉や魚を食べることの危険性が強調され始めてきました。 人間は雑食動物であると言われていますが。たとえ道具を使って動物を獲り、調理して食べたとしても、人間にとっては植物より消化吸収が難しいのです。本当に肉や魚は、人間にとって必要な食べ物なのでしょうか。 このような疑問が出てきた現在、精進料理を見直してみるのも必要なことではないでしょうか。 日本人が普段食べてきた和食をもう一度見直して、肉や魚を除いた食事をしてみてはどうでしょうか。 肉や魚を除いた精進料理は少なくとも、「狂牛病」や環境ホルモンの恐れが少ないものです。 最近では、精進料理を食べる機会がほとんどなくなってしまいました。 法事のときだけでもいい、精進料理を食べるときには、三つの心を思い出して。そして月一回でも精進料理を作ってみたらどうでしょうか。
その際には、喜心・老心・大心の三つの心を思い出して、料理を作りいただく方も感謝の気持ちを持ってたべれば「美味しい」という反応と幸せな家庭が。 o 道元禅師「典座教訓」 o Tenzonet “禅と精進料理” |
無題
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和歌山県田辺市本宮町請川374
南無地蔵 みちびきたまえと祈りつつ 新豊山に まいるうれしさ
電話 (07354) 2 – 0766
== ご詠歌==
★ 縁起 大本山永平寺(福井県)大本山総持寺(神奈川県)の両大本山を持つ曹洞宗の禅寺で、 当山は文禄4年(1595) の開創と伝えられ、その後、寛文8年 (1668) に新宮、全龍寺の末寺となる。 御開山は全龍寺五世峰延玄祝大和尚で、爾来、脈々と法灯が継がれて、現住職で24代目を数える。 御本尊は延命地蔵菩薩で寺伝によると弘法大師自作の像という。 又、当山の飛地境内(寺より500米)には、子安地蔵堂があり、 古くより、子安さんと親しまれ、毎年旧暦3月15日には大祭が行われ、安産祈願、子授祈願等の善男善女でにぎわいを見せる。 又、もう一つの川湯温泉にある「川場十二薬師堂」は、毎年正月12日に献湯祈願大祭が行われ、多くの湯治客もまじってにぎあう。さらに、本官町名勝八景の一つである、★ 請川谷の「お滝さん」(不動明王を祀る)では、毎年旧暦3月28日に多くの参詣人が集まり大祭が行われている。
御本尊の他に、境内に、弘法大師、慈母観音像が奉安されています。 |
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神葬祭は神道による葬儀で 日本民族固有の文化を継承するもので、その様子は「古事記」「日本書記」にも記され、人は神様から生まれ、神様の元へ還っていくという信仰を伝えるものです。 江戸時代、幕府による 寺請制度 (誰もがお寺の檀家となる)の実施により葬儀は仏式でするのが慣習 になっておりましたが明治維新後、宗門改めの制度が廃され、明治5年、第192号布告により、 神葬祭 が承認されましたが、戦前までは国家神道の立場から慎まれ、戦後300年以上も歴史的に閉ざされていた神葬祭が再開される様になりました。 現在日本で行われる葬儀の場合、その94%は仏式で行われ、神道式(神葬祭)の割合はわずか2%(キリスト教式1%、その他3%)にすぎません。 初詣、お宮参り、七五三、結婚式……、誕生してからさまざまな場面で神社と関係があるにもかかわらず、なぜ葬儀となると神社とのかかわりが極端に薄れてしまうのでしょうか。 神葬祭の割合が低い理由のひとつには、江戸時代に体系化された寺請制度(檀家制度)の影響があげられます。 この制度によって、すべての民衆は特定寺院の 檀家 になることが義務付けられ、宗旨人別帳(宗門改帳)で戸籍として管理されました。 この時代、たとえ神社を司る神職といえどもお寺に属さなければならず、葬儀も仏式で行われていました。 明治になって、 神仏分離令 が施行されてから 神職による神葬祭が行われるようになりましたが、 すでに確立されている檀家制度はその後も安定した基盤を持ち続けていたため、神葬祭が一般に広がることがなかったのです。 また、「死」に対する考え方が神葬祭の広がりにブレーキをかけたとも言われています。神道で 「死」は「ケガレ」とみなされますので、神社で葬儀を行うことはもちろん、 鳥居をくぐることさえ許されません。死は「不浄」「ケガレ」であるから神職は近づくべきではないとされてきた一面がありました。葬儀は社務所、自宅 葬儀所で行われます。 == 【神葬祭のお参りは忍手(しのびて)で】== 神前と同様に二拝二拍手一拝でお参りすることに変わりありませんが、★ 神葬祭での拝礼は、 亡くなられた方を偲び慎む心を表すといった意味から、音を立てずに拍手をします。 これを== 忍手 ==と言います。 また、忍手でお参りする期間は、地方によって違いがあるようですが、一年祭が終わるまでは忍手でお参りいたします。
音をたてない拍手で神社のお参りをする女性が急に増えている。これは「葬儀」の際のやり方で間違った作法なんだそうである。占い師の細木数子さんがテレビの番組で指南したのを真に受けてしまったことが原因のようだ。日本の神社を総括する「神社本庁」には、全国の社総代、氏子から苦情が寄せられている。 『女性は拍手の音をたてないもの・・・』というようなことをしゃべったようなのである。 これは大きな間違いである。"音をたてない拍手は”忍び手”といって、葬儀の際の作法なのである」
「某占い師」というのは細木さんの事。実は、細木さんは06年末だけに限らず、「正しい神社へのお参りのし方」をずっと指南してきた。
「男性と女性のお参りのやり方は異なる」とし、"男性は「二礼、二拍手、合掌、一礼」"で、女性は「二礼、合掌、一礼」という説明だ。つまり、女性は拍手をしないものだというわけだ。 これを「細木信者」といわれる多くの女性ファンは信じたようだ。
」
音を立てない 拍手は“忍び手”で、葬儀の際の作法。 男女共に「二礼、二拍手」なのだという。
”「 (細木さんに対し)” 。あの方の独自の理論なのでしょうし、人の信じていることを否定はできません」と言ったとか。
しかし、不思議なことに、苦情が多いにも関わらず、細木さんへの「指導」には及び腰なのだ。神社本庁は、
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