|
海際まで山地が迫るという紀伊半島の地形の特徴は古座でも見ることができ、当町の最南端部から海まではわずか2kmほどだが、町域の9割ほどを山林地帯が占めている。 古座川町の平地は、町域全体の1割にも満たないほどであり、町内の集落はみなこの平地に開けている。 古座川町の中心集落は高池で、高池集落は町の最南部に存在している。 高池は現在は串本町の一部となった旧古座町の中心部にある集落と市街地続きになっており、西向や古座と同じく製材業で栄えたところである。 [[attached(3,center)
" 川遊び" 海老の獲り方と !うなぎ石!
杉柴仕掛けの下に米ぬか団子をいれ水につけて待っているとエビが次第に集まってくる。 時間を長く置くほど獲れますが、1時間もすれば集まってくる てんぷらにして食べてもおいしい、お好み焼きに入れておいしい。 |
無題
[ リスト | 詳細 ]
|
天台宗熊野七薬師 御歌
南無やくし 守らせ給う 御身より くすりとなりて 出づる湯の胸
住所 和歌山県田辺市本宮町湯峰112TEL 0735 42 0256湯峯温泉は今を去る事千七百七十年余の昔、人皇第十三代成務天皇の御代熊野国造大阿刀足尼の発見にし て大昔は大湯原と称し日本最古の温泉として世人に知られる。 湯峯温泉の最初の噴出発祥地が現 東光寺 の所にして御本尊薬師如来はこの噴出湯口に幾百千年の往時より湯の花が天然自然に積り化石し(御身丈一丈余、胴廻りニ丈余) の大自然の薬師如来の霊形と出現し温泉の御本尊と崇めて其の周囲に堂宇を建立す実に日本無双の霊像で有ります。 又この尊像の御胸の辺に一つの穴が有り、中古まではこの穴より盛んに霊泉が湧き出しておりましたの で、 湯胸薬師 とよばれこの地を総称して「湯の胸」温泉と呼ぶようになりましたが、何時からか今日の 湯の峯 と呼ばれるようになりました。
|
|
はるばると さかしきみねをわけすきて おとなしかわを けふみつるかな 住所 和歌山県田辺市本宮町本宮1110 TEL 0735 42 0009 国生みの神とされる伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、人々に救いの手を差し伸べる家津 美御子大神(けつみみこのおおかみ)などが鎮座し、 交通安全、 大漁満足、 家庭円満、 夫婦和合、 長寿の神として人々を迎え入れてきたのです。 ★<熊野三山信仰> 熊野本宮大社(本宮町) 熊野速玉大社(新宮市) 熊野那智大社(那智勝浦町) 熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり、『伊勢へ七度、熊野へ三度』とさえ言われている。 本宮の地に神が祀られたのは、今からおよそ2000年前、第10代崇神天皇の世といわれているから、ずいぶん昔のことである。 熊野詣が盛んであったのが、平安時代の中期から鎌倉時代にかけてであると伝えられている。 延喜7(907)年、宇多上皇以来、法皇上皇の御幸も盛んで白河院の12度、鳥羽院の23度、後白河院の33度、後鳥羽院の29度と多くを数えたが、弘安4(1281)年、3月、亀山上皇の御幸をもって終結をつげている。 江戸時代に入って、元和5(1619)年、紀州藩主徳川頼宜が熊野三山の復興に力を入れ、再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたとある。 言うまでもなく、身分や階級を問わない多くの人々が熊野にあこがれ、救いを求め、甦りを願って異郷とも思える山深いこの地を目指したのです。 明治22年の洪水で流出を免れた社を大斎原(おおゆのはら)から遷しました。
大斎原は熊野川と音無川、岩田川が合流するところでした。平成12年にかって社地であったことを知らせる大斉原に日本一の大鳥居が建てられました。 |




