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あの方はもののけに憑かれて死んだのです。 嵐の夜にやってきた、恐ろしいもののけに憑かれてしまったのです。 あの夜はひどい嵐でした。 そんな嵐の中、一人の女がやってきたのです。 コンコン、コンコン、戸をたたく音が聞こえて、私は確認もせず戸を開けてしまいました。 それが間違いだったのです。 あの女が…あのもののけが、屋敷に入り込んでしまったのですから。 旦那様は優しい方でしたので、嵐の夜に現れ、困っていた女を、家の中に招き入れました。 そしてその女は、あろうことか嵐がやんだ後にも旦那様の好意に甘えて、この屋敷に居ついたのです。 旦那様に、『あのような下賤なものを長く家に置きますのはいかがなものでしょうか』とお尋ねしたのですが、すでに旦那様はあの女に取り入られてしまって、私の諫言に、耳を傾けては下さいませんでした。 旦那様は申すのです。 『彼女はあれににておる』と。 私はぴんときてしまいました。あの女は無き奥さまの姿を映し、旦那様を食わんとするもののけだということに。 法師様ならお気づきでしょう?この屋敷に侍るもののけがあったことに。 ですが…今はもう恨みを晴らそうにも、そのもののけはおりません。旦那様を食らってよりは、あのもののけもこの家から消えてなくなりました。 私は、私は旦那様をお守りできなかったことが無念でなりません。 本当に…無念でなりません。 法師様、お願いでございます。 私にはもののけを祓う力はございませんが、もし旦那様を食らったあのもののけを見つけたときには、一部の容赦もなく、屠ってくださいませ。 …なにとぞ、なにとぞお願いいたします。 「法師様。私の勘違いでなければ、あの屋敷にはもののけの気配などありませんでした。あったのは抱き合うようにして死んでいた亡骸と、あの女だけ」 「いいえ。もののけはおりましたよ。…いえ、もののけよりも恐ろしいものがおりました」 「もののけよりも恐ろしいもの…」 「あの亡骸は2人とも毒を飲んで死んでいました。亡骸の脇にある徳利から、このあたりでとれる毒草の香りがしましたから」 「…では」 「ええ、恐らくあの女が殺したのです。あの亡骸たちを。なにがあったのかは想像することしかできません。恋人の女を殺そうとして誤って旦那を殺してしまったのか…それとも二人まとめて死に追いやったのちに、その記憶を捻じ曲げたのか…どちらにしても気持ちのいい話ではありません」 「あの女はいつか気がつくでしょうか?」 「心を閉ざし、自ら作った記憶の世界、都合のよい楽園に逃げ込んだ愚か者が、気づくかはわかりません、が」 「…が?」 「自らの罪に気がついたときに、彼女を待つのは大きな地獄です。事実をまげて作り上げた、仮初の楽園に逃げ込む業は、あまりに大きいのですから」 「あなたも学びなさい。自在に変化する人の心は、時にはもののけなぞよりもはるかに危険なのですよ」
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ううむ。
人間の記憶の技法は、確かに怖い。
すりかえた嫉妬も怖い。
ぞくりとしますね。
うん、いただいてまいります。
2011/4/26(火) 午後 11:36
うーん。現実にある事件だとしても、さほど驚かなくなっているであろう事実にも怖さを感じますね。
2011/4/27(水) 午後 1:02 [ pala ]
重いですけど、けっこうこのお話、好きですね。
人の心は恐ろしい・・・
学ばされたような気がします。
2011/4/27(水) 午後 11:01 [ あんず ]
>たんぽぽさん
人間の記憶技法、うまく使う人ならそれだけで長編小説の一つもかけてしまうんでしょうが…w
私にはこれが限界関の山、ですね。
2011/4/28(木) 午前 10:36 [ もふもふしっぽ ]
>ぱらさま
現実にある事件どころか、ちょっとした記憶の改ざんや自己正当化はそこらへんに転がっているような気がいたします。
これはそれがなかなか起こらないほどに極端に行われた、ということでしょうか?
2011/4/28(木) 午前 10:38 [ もふもふしっぽ ]
>あんずさま
重いけど好きなんて言われるとなんだか書き手としても嬉しくなってしまいますね。人の心は恐ろしいの題材としては使い古された展開のような気もしますが。
2011/4/28(木) 午前 10:39 [ もふもふしっぽ ]