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▼ 昨日池上さんのTV番組を見ていたら「靖国神社」の英語訳が"War Shrine"(戦争神社)と言われているとしていた。
非常に違和感があり、やっぱり外国人は文化的に日本より劣っているのだなと再確認した。
まず、欧米人の近代史観は「悪の枢軸同盟」と「正義の連合国」が戦って正義が勝利したという絶対的な価値感に成り立っている。勝ったからそういえるし、勝てば官軍であることは理解できる。しかしそれは戦争が終わって何年かの間だけのこと、戦争を行うという歴史的経緯と政治判断の結果がそうなったということだ。
社会の価値観は時代と共に変わる、戦争を行ったという興奮から冷静になり当時の政治や軍事経済の動きを再考すればまた違った考えも現われる。
▼ 昨夜の番組でも伊勢神宮の特集のなかで、日本の宗教観は他の民族とは違うと話していた。確かに違う、日本は基本的に多神教の国であり神道の天照大御神も弘法大師もどこぞの学会もキリスト教のイエスもイスラム教のモハメッドも、そして台所のおくどはんも皆神である。
日本の天皇家と神道の関係を批判する論調の中に「政教分離」に違反するというものがある。しかし米国は大統領はイエスキリストに誓って宣誓する。裁判でも聖書に手を置く。イスラムの社会がイスラム教に従って政治を行っていることは当たり前。
果たして「政教分離」ということが憲法に書かれているからと言って世界中の国家にとって普遍的な絶対的な「正義」なのであろうか。自分は違うと考える。
宗教観とは文化的国民が持っていても不思議ではないものだ、宗教観を持たない国(中国、韓国、北朝鮮)がどれほど文化的に破滅に向かっているのだろうか。無宗教や宗教否定論者が日本の宗教文化を攻撃することは、未開の猿達が敬虔な人類を非難しているようなものだ。
果たして政教分離が普遍的価値なのか?
日本人の持つ死生観や宗教観ならキリストも敬いアラーも敬うだろう、決して自分達の考えと違うからと言って侮蔑したりしない。ここが中国人や朝鮮人と違うところだ。
アメリカン人のオバマやクリントン、ブッシュは宗派こそ違えど宗教的儀式を経て大統領になっている。それをアメリカの国民は批判するのだろうか?なぜ日本は政府の宗教的儀式をヒステリックなまでに非難するのか。
まさか、神道が戦争まで突っ走った精神的柱と考えているのだろうか、それならば代わりに仏教でも持ち出せばよい、まるで大化の改新のように。
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日本人
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