dunubの窓

がんばれ日本!大事に残すもの捨てなければいけないもの、覚悟を決めて。

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▼ 自分の考え自体はまとまっているんだが、文章にする作業がいると思う。
 
邪馬台国論争の2大勢力は北九州説と大和(奈良)説がある。
魏志倭人伝の記事通りに旅をすれば南へ南へと行ってしまい、九州の南海上へと到達する。
 だから間違いだとか、昔の1里は今の100mなのかとか、東西南北が間違っているとか言うのが本線なんだが、自分はその記述自体が間違いで当時の使者は倭国の役人に騙されたと想像している。
 
つまり魏志倭人伝に書かれた当時の行程は嘘だということ。だからあの記述を元に邪馬台国を探すのは徒労に終わるというのが自論の主旨。
 
とんでも論かもしれないが、本当かもしれない。
 
以下、次を待て、to be continued

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dunubの窓さん、こんにちは。興味深く読ませて頂ました。
倭人伝は、既存の史書を元にした箇所も有りますが、240年、邪馬台国を訪れた梯儁の見聞を元に書かれたと思われ、三世紀頃の倭国の状態を同時代の陳寿が著した文献です。邪馬台国の場所について様々な説が有るのは[南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月]の読み方に有ると思います。南し女王が都とする邪馬壹国に至るまで水行十日し陸行し一ヶ月。"一ヶ月は帯方郡から邪馬壹国までの全日程を示し陸行は約二十日。水行十日陸行一月と郡至女王國萬二千餘里は、共に帯方郡から邪馬壹国への道程を示し、距離よりも掛かる日数に重きを置いて記述されていると思います。水行十日は帯方郡から末盧国迄の日数を示し一日の水行距離を1000里で記述し、陸行約二十日は末盧国から邪馬壹国迄の日数を示し一日の歩行距離を50里で記述している。邪馬台国推定は宝満川と筑後川が合流する台地、福岡県久留米市小森野辺りと思います。

2013/10/14(月) 午後 3:14 [ totoro ]

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totoroさん
コメントありがとうございます

自分も感覚的には邪馬台国は北九州だと思います。
「邪馬台国」に卑弥呼がいて周辺の部落、国を統率していた。

ただし近畿にそれ以上の権力集団があって、やがて当時の日本を統一する。この国が「ヤマト」と呼ばれていて、北九州の卑弥呼のいた国は本当は違う呼び名だったんではないでしょうか。

中国からの使者は「日本の支配者はヤマトという場所に都を築いている」という事前知識があって、その場所を当時の北九州の役人に尋ねたら、その人は北九州近辺の支配する卑弥呼の都を聞かれたと思った。それが一般的に言われている邪馬台国。

自分の考えは、今日ブログで書くことにします。
最初に言っておきますが、古代史を研究したことはありません。
ネットで調べた程度の知識です。

2013/10/14(月) 午後 6:44 dunubの窓


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