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戦後レジューム

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今こそ戦後の日本のあり方を根本から考えよう

4日、安倍晋三首相と船田元自民党憲法改正推進本部長が会談し、憲法改正の国会発議とその賛否を問う国民投票の実施時期について、2015年夏の参議院選挙後が「常識だろう」という認識で一致したという。
 船田氏が会談後、明らかにしたところによれば、衆参憲法調査会や政党間協議を通じて参院選までに改正テーマを絞り込み、参院選では憲法改正を最大の争点に掲げる見通しのようだ。
 また船田氏が、「一度にすべてを改正するのは無理なので、何回かに分けて改正する」という考えを示したに対し、首相は「なるべく平場で大いに議論し、憲法改正の中身を絞っていくことを丁寧にやっていくべきだ」と語ったという。大いに議論してもらいたい。結構なことである。

主権をはく奪された状態で憲法を制定

 現憲法について、「アメリカの押しつけ憲法」だとか、「国民が賛同したから押しつけではない」という論争が、改憲派と護憲派の間で行われている。だがあまり根本的な論争とは思えない。
 もっとも重要なことは、現憲法が制定されたとき、日本は主権をはく奪された国家であったということである。1945年9月2日、戦艦ミズーリ号で調印された降伏文書には、「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める処置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる」とされており、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が主権者となった。
 1946年11月に現在の日本国憲法が公布され、翌年の5月3日に施行されたが、これはGHQによる占領統治下のことであった。憲法というのは、国の形を示すものであり、主権を定義する文書である。そもそも国家主権も、国民主権も奪われたもとで、憲法など持ちようがないということである。しかも、「戦勝国が国の形を変える、あるいは、憲法を変えることは、当時でも国際法違反」(『自由と民主主義はもうやめる』佐伯啓思著、幻冬舎新書)だった。
 だからこそアメリカは、「降伏後に於ける米国初期の対日方針」(1945年9月30日)でも、「占領の究極目的として、平和的で責任ある政府の樹立と自由な国民の意思による政治形態の確立をうたっていた」(国立国会図書館資料と解説)。要するに、いかなる政治形態をとるのか、日本国民に強要しないという建前をとっていたのもこうした事情からである。
 しかし、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ条約第1条(署名は1951年9月)で「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」とされるまで、GHQは日本の主権を認めていなかった。そのもとで日本国民の自由意思による政治形態の確立などできようはずもなかったのである。ましてや主権の最高の発現である憲法制定などなし得ないことである。

戦後の日本を支配するアメリカの価値観

 戦後の日本は「あの戦争は間違った戦争であり、その戦争で敗北した」という大前提から出発した。そのもとになったのがカイロ宣言とポツダム宣言である。
 1943年12月1日に公開された米英中による「カイロ宣言」は、日本を「野蛮な敵国」と呼び、「仮借のない圧力を加える決意を表明した」と述べていた。また日本が受諾したポツダム宣言には、「我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和、安全、および、正義の新秩序が生じ得ないことを主張する」「日本国国民を欺瞞して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する」とあった。
 日本は本当にそんな「野蛮国家」だったのだろうか。ましてや日本が「世界征服」など目指していたわけではない。戦後、日独伊三国同盟はファシズムと規定され、米英ソ中心の連合国は正義の側と規定されたが、その中心は植民地を多く抱えた帝国主義国家であり、全体主義国家であった。
 確かに戦場で野蛮な行為はあっただろう。どの国の軍隊でもそれは同様である。また、あれだけの多くの犠牲者を出した戦争を正しかったとは言えまい。日本を悲惨な敗戦に導いた軍部の責任も重大である。
 しかし、実はあの戦争が間違った戦争であるという認識は、国内でも、国際的に、そう早くから提起されていたわけではなかった。国内では、ほとんどの人があの戦争が侵略戦争であり、間違った戦争であるという認識は持っていなかった。
 国際的にも、それが最初に提起されたのは、米英両国による1941年の大西洋憲章である。このとき、ドイツのナチの暴虐の最終的破壊が明記された。さらに太平洋戦争開始直後の1942年1月、ワシントンで、アメリカ、イギリス、ソビエト、中国など26か国の連合国により連合国共同宣言が署名され、その中で日本、ドイツ、イタリアの枢軸国に対す国に対する勝利が「生命、自由、独立、宗教的自由」「人類の権利と正義」の保持のためであると宣言されてた。ここに来て「ファシズム 対 自由と民主主義」という戦いの構図が作り上げられた。正義の旗印は連合国側にありとなったのである。
 この考え方が、その後のカイロ宣言、ポツダム宣言、サンフランシスコ条約、東京裁判へと引き継がれていくのである。戦後レジームの中核をなす憲法ももちろん、この延長線上にある。
 これらを通じてアメリカがもっとも重視してきたのが、日本の過去は道徳的に悪い国家であり、民主主義のない遅れた社会だったということを日本国民に認識させることであった。このアメリカの思惑は、見事に成功を収めたのである。

日本に平和をもたらしたのは憲法9条なのか

 護憲論者は、憲法9条こそが日本に平和をもたらしたと言う。だが、本当にそうだろうか。
 平川祐弘東大名誉教授は、『日本人に生まれて、まあよかった』(新潮新書)という著書のなかで、「敗戦国日本は昭和二十一年十一月三日に公布された憲法によって自国防衛の力をもつことを放棄させられました。そればかりではありません。武力を持つことが疾(やま)しいことのように私たちは教育されてきました。この軍事忌避(きひ)こそが新憲法の精神であったかに思われます」と指摘している。まったくその通りだと思う。
 護憲派の連中を見ているとそのほとんどが自衛隊嫌いである。もちろん在日米軍も大嫌いである。要するに丸腰の日本を夢想しているのだ。
 かつて日本共産党は、「では外国が攻めて来たらどうするのか」という回答として、警察力を含む国民の団結した力でこれを排撃するとしていた。皮肉にも日本共産党がもっとも批判してきた戦時中の竹槍作戦と同じなのである。これで軍隊に対応できないことなど明白である。
 護憲派は、また日米安保条約があるために、日本がアメリカの戦争に巻き込まれると主張してきた。だが安保条約締結されて半世紀以上経過したが、そういうことはなかった。日本がどこからも攻められなかったのは、9条があったからではない。どこの国とも陸続きではなく、四方海に囲まれているという地理的条件にあったからだ。また日米安保条約に基づいて米軍が駐留していたからだ。
 だが護憲派が卑怯なのは、「自衛隊即時解散」「日米安保条約即時廃棄」と主張しないことだ。非現実的なことを理解しているからである。非現実的であることを理解しながら、それを隠して、丸腰日本を主張するというぐらい無責任なものはない。

いまこそ自分たちの頭で憲法を考えるとき

 結局、戦後の日本は、国の大事な柱をすべてアメリカに委ねてきたということだ。国の最高の規範である憲法も、国の防衛も。国家にとってもっとも大事な基軸を外国に委ねてきたことこそ、戦後70年を機に考えなければならないことだ。そうでなければ、この国の未来など語りようがない。
 戦争犯罪を裁くと言うなら、本来それは日本人自身の手でやらねばならないことであった。その時には、アメリカの原爆投下や無差別爆撃も当然その対象としなければならなかった。戦前の日本の国体がおかしかったというのなら、それも日本人自身が自分の頭で考え、改革しなければならないことであった。
 だが戦後の日本は、そのすべてをアメリカに委ねてきてしまったのだ。憲法改正も、戦後70年談話も、このことを踏まえて議論してもらいたいと思う。
▼ 今までもこのブログで言ってきたことが上手くまとめられている。戦勝国の作った価値感にしがみつく左翼やマスコミは結局は世の中が変わることが怖い人たちだ。

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