日本が進むべき道は複数あっていい もし道州制に移行しないでこのまま中央集権で凝り固まって大きな変革ができずに今までの延長線上の道を進んだらどうなるか。
米国は年間何百万人という規模の移民を受け入れて、ついに人口は3億人を突破した。それに対して日本は人口減少と高齢化に悩まされている。これまでは米国と日本は、一人あたりGDPはほぼ同じで、経済規模も2対1の関係だったが、今後その差は広がる一方だ。2050年には4対1くらいになっていると推定される。このまま日本の力が弱まれば、インド、中国、EUとの力関係も変わってくる。今のところ世界の経済の10%を日本が担っているが、維持できずに5%前後まで落ち込む可能性が高い。
そういう危機感が、国民にも政府にも役人にも足りない。「まだ景気が回復するかもしれない」「デフレ回復宣言をしないといけない」などと言っている場合ではないのだ。長期衰退の道からどうやって脱却するか。今、統治機構の抜本的変革をてこに、新しい浮揚力を付ける道を真剣に考えなくてはいけない。
そのためには21世紀の日本の進むべき道は一つではない、複数のアプローチがあっていいのだ。それを人口1000万人くらいの広域地域(他国なら十分な国の大きさ)ごとにトライする。そして、そうした必死の努力の結果、うまく行くところ、行かないところがでてくる。地方が中央の施策を待っているのではなく、世界から直接投資という形での「成績表」を突きつけてもらう。そうした死にものぐるいの努力の中から、日本全体が進むべき道が見えてくるのだ。
机上の議論をいくらやっても少子高齢化を脱却する抜本策は出てこない。戦後60年間でたまったあかを落とすのも容易ではない。ガラガラぽん、とわたしが「平成維新」や「新国富論」を書いたころから本質は何も変わっていない。いやそうした著書で指摘した中央集権の弊害はむしろ広がっている。だからこそ、既得権益者や中央政府の役人達がどんなに反対しても、この振り子は今までと反対方向に振らなくてはいけない。(後略)
[【道州制に移行しなくてはいけない真の理由】 経営コンサルタント 大前 研一氏 2006年11月8日
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▼ 道州制という言葉は以前から流れており、この参院選で各党の公約でも「道州制による地方分権」を挙げるところが少なからずあった。
しかし現実はそのイメージ自体が国民に共有されておらず、自分のblog友達にも「理解できない」といわれてしまうようなものだ。
日本はバブル以降長期的な衰退局面に入っている、政治、行政も「改革だ改革だ」と口では言うがその手法手順は全く明らかにしない。裏を読めば改革したくないというのが見える。
▼ 今の日本には47都道府県が存在する、知事は47人いる、その上に中央政府が君臨する。昨今の例に漏れず地方自治体は財政難だ、昨日も地方交付税の交付団体が50弱増加して国からの援助金で運営する自治体だらけになったというニュースがあった。つまり中央から援助してもらわなければ成り立たない自治体だらけということだ。だから知事は政府与党に陳情ラッシュをかけてお恵みを乞う行為にでるし政府のひも付きに逆らえない、中央集権国家としての面目約如である。
▼ 菅総理や自民党谷垣さんが言ったように、消費税を何%上げるなどという徴税権は現在は日本全国一律に施行されると理解されている。しかし道州制で徴税権が各道州に移れば各地で税金の割合や使い道が異なる自由裁量になるのだ。
例えば関西州では消費税は5%で据え置く、しかしパチンコに税金を架ける、サラ金の貸し出し限度額を緩和する、公営カジノを関空の対岸の島に建設して税金を架けるなどということがその州で合意出切れば行えるのだ。
今の日本は全国民の合意形成が難しい、既得権益が隅々にまではびこっていて人権の壁に立ちはだかられて大きな転換が出来ない。消費税の増税だって10%が良いのか15%が良いのか議論だけが噴出して結果頓挫するのだ。この傾向は知事同士の関係でも現れていて総論賛成各論反対のやり方で潰されていく。兵庫県の知事や大阪の市長が大阪の橋下知事に「何をやりたいのかわからない、改革ならこういうやり方がある」などと議論を混ぜ返す方法で一本化つぶしに出ることは日常である。
つまり大阪府知事と兵庫県知事と大阪市長と堺市長は同じ力を持つとされているがために小さな局面での小さな争いばかりが起き詰まるところ地方は弱体化するのだ。
地方自治体の首長にはその席が自分の人生のゴールインである人が大勢いる。その人たちにとってみれば自分の席を奪われることには大反対をするだろう、その人の周囲の人たちもそれなりに行政で出世した人たちだ、彼らと意見を合わせて今のシステムを守ろうとするのは簡単に想像できる。言い分は「改革するなら違うやり方がある、強引すぎる、弱者の気持ちを理解していない」というものだ。
▼ 道州制とは地方の県をまとめ州知事に一本化するところから始まる。47人存在する県知事より7人の州知事が主導する方が前に進みやすい。州によって消費税の税率が違ったり使い道が違っても構わない、住民は自分達が良いと思うところに住めば良いのだから。そうなれば首都圏と地方は税収が異なるので地方不利と思われがちだが、地方はその地方の特色を考えて自治をすれば良い。
さしずめ沖縄を擁する九州は日本全体の軍事的抑止力に貢献していると主張して基地税を取れば良い。関西は橋下さんが主張しているアジアに向けた経済と観光立国ならぬ観光立州として、京都奈良を控えた大阪の公営カジノエリア建設なのだろう。まあ外国人観光客が増えるなら治安対策として警察を強化しなければいけないだろうから、その分野での雇用も増えるかも。
今の日本は学校に例えればスポーツ大会への参加はクラス全員の合意が無ければ行わない、クラス全員が出来る競技で無いと参加しないという呪縛をかけられているようなものだ。本当はクラスが数チームに分かれてそれぞれ実行可能な成果の期待できる競技に参加すれば良いのだが。
今の地方行政においては、社会主義者が体制派なのだ。社会主義者、共産主義者が保守側なのだ。日本政府が社会主義者によって動かされようとしている現在はよりその傾向が強い。
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2010年07月25日
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