第1部 何のために 誰のために■「平成の龍馬」どこに 「リーダー」という言葉を聞いてあなたは何を、誰を思い浮かべるだろうか。昨年の「3・11」があらわにしたこの国のリーダー不在は、政治家だけでなく、経営者にも地域にも広がっている。そもそも日本人にとってリーダーは必要なのだろうか。必要だとすれば、どんな人物がふさわしいのだろうか。「平成の龍馬」を探す旅にしばらくおつきあい願いたい。(「ザ・リーダー」取材班)
◆鳩山元首相ワースト1
第1位・鳩山由紀夫元首相、2位・菅直人前首相、3位・民主党の小沢一郎元代表−。産経新聞が昨年12月に実施したネット調査で、「あなたがリーダーにしたくない人」を問うたところ出てきた答えだ。さらに5位には野田佳彦首相がランクインし、ここ2年3カ月余、政権を担ってきた主役たちがドイツのヒトラー総統(7位)や12月に死去した北朝鮮の金正日総書記(13位)らを抑えて上位を占めた。国民は現代日本の政治リーダーに正面から「ノー」を突きつけている。
理由も散々だ。鳩山氏は「めちゃくちゃ」「優柔不断」、菅氏は「予想外のとんでもない政治家」「自分勝手」、小沢氏は「私利私欲的」「不誠実」−などだった。
調査では「今の国政により強いリーダーシップが必要か」との質問に92%が「はい」と答えており、リーダーの存在自体が忌避されているわけではない。
リーダーにしたくない人に「政治家」(8位)、「最近の首相」(11位)との回答が少なくないのも象徴的だ。もはや現状は、政治不信などという生易しい段階はとうに通り過ぎているのではないか。
鳩山、菅両氏は、戦後33代の首相全員の名前を挙げて「リーダーとして最も評価できない人」を1人選ぶ問いでも、やはり1位と2位を独占した。国民は、現在の為政者たちにここまで冷たい視線を向けている。
確かに昨年は、政治の無力と無能が誰の目にも明らかになった年だった。
2万人近い死者・行方不明者を出した東日本大震災と東京電力福島第1原発事故では、当時の菅首相はうろたえ記者会見で涙ぐみ、周囲に当たり散らすばかり。被災者支援も復旧・復興もなかなか進まない中で、国会議員らは相も変わらぬ政争にうつつをぬかし続けた。 一方で、被災地では誰が命じたわけでもなく住民らがわずかな食料を分け合って助け合い、歯を食いしばって悲しみに耐えながら礼節ある日常を守った。
あらゆる物資が不足する中で大きな略奪も起きず、それどころか津波で流された金庫5700個が届けられ、23億円が戻ったニュースは海外を驚嘆させた。
「政治は何のためにあり、リーダーは誰のためにいるのか」。多くの人がこう憤ったのではないか。
◆民度に比べて低い水準
かつて福沢諭吉は「この人民ありてこの政治あるなり」と喝破したが、今や国民の民度の高さに比べ政治リーダーのレベルの低さが際だっている。
それでも国民はリーダーに望みを託さないわけにはいかない。
震災で大被害を受けた人口200万人の宮城県に寄せられた義援金は241億円に達したのに対し、政令市でその2分の1の人口を占める仙台市はわずか10億円にとどまった。その差は、それぞれの首長のメディアなどを通じた発信力の違いにもあると指摘されている。
◇
今年は1月の台湾総統選に始まり、3月にロシア大統領選、秋に総書記が選出される中国共産党大会、11月に米大統領選、12月に韓国大統領選…と各国でリーダーの顔ぶれが変わりそうだ。世界の構図が大きく変わる中、「リーダー不在」の日本はどこへ向かうのか。まずは「被災地のリーダー」たちに会いに行った。
本物のリーダーとは 新しい年を迎えたが、素直に「おめでとうございます」と挨拶(あいさつ)をするのもはばかられるような雰囲気だ。もちろん東日本大震災のせいである。
日本が千年に一度といわれる大地震や大津波に襲われ、死者・行方不明者は2万人に迫り、30万人を超える人が新年を避難先や仮設住宅などで迎えることになろうとは、昨年の正月に誰が予想できただろうか。
こんな壮絶な現実を経験してしまうと、もはや今年がどんな年になるかを予想することすらむなしく感じてしまう。
こうした気分になってしまうのは、震災のせいだけではない。政治や経済問題など、国を覆う閉塞(へいそく)感がいつになれば払拭されるのか、全く見当がつかないからでもある。
昨年暮れ、この閉塞感を打ち破りたいと考える2人の対談を、そばで聞くことができた。年末特別企画として紙面に掲載した石原慎太郎東京都知事と橋下徹大阪市長の対談である。
橋下市長の石原知事への就任挨拶に合わせて依頼した。ともに強烈な個性の持ち主で、歯に衣(きぬ)着せぬ発言で知られるだけに、どんな対談になるのかワクワクしながら臨んだ 実は、この対談では、司会進行役を務めることになっていた。ところが、2人の対談は冒頭から盛り上がり、口を挟む必要が全くなかった。というよりは、2人の熱いやり取りに、最後まで口を挟めなかったというのが実情だ。
橋下市長が「物事を決められない今の日本の仕組みを変えなければいけない。民主主義は否定しないが、決められない民主主義、責任を取らない民主主義は変えなければ」とまくし立てれば、石原知事は「全くそのとおりだ」と応じる。
逆に、石原知事が「国の役人に『お前らダメだ』と言ったら、『とりえがございます。コンティニュイティ(継続性)とコンシステンシー(一貫性)です』という。この変化の時代に継続性と一貫性では何も新しいことはできない。結局、日本をダメにした」と官僚制度をバッサリ切り捨てれば、橋下市長も「『連続性』に代えて、『不連続性』に挑戦するのが政治。日本全体で連続性を絶たないと沈没すると思っている」と応えるなど息はピッタリ。
「昔だったら殺されている役人もいる」といった少々乱暴な言葉も飛び出したりしたが、2人の対談は予定時間をオーバー。日本の現状を憂う危機感がひしひしと伝わってきた。
人は、人に嫌われることを恐れず、自分の考えを自分の言葉ではっきりと話す。メディアでの強気な発言や保守的思想、さらには頭の固い役人に対する高圧的な言動など共通点は多い。だから敵も多い。
かつて、橋下市長は、自らの著書の中で、「ドラえもん」のスネ夫のような処世術を肯定し、「ジャイアンのような強い人、強い存在とうまくつきあって生きていくことは、悪いことでもずるいことでもありません」と述べていた。石原知事を立てる橋下市長の姿をそばで見ながら、その言葉を思い浮かべてしまったのは、少々失礼だったかもしれない。
この2人は昨年の選挙で圧勝した。それは、東京五輪誘致とか大阪都構想とは別次元の有権者の期待だろう。なによりも、何かやってくれそうな突破力のあるリーダーを有権者が求めたからにほかならない。
翻って、いまの中央政界はどうだろう。内向きで党内融和を最優先し、珍しく気迫を見せた消費税増税案も、意味もなく時期を半年遅らせてしまった野田佳彦首相。なんとしても政権を奪還し、何かをしたいという意欲が感じられない自民党の谷垣禎一総裁。誰かに遠慮しているのか、それとも選挙で大敗するのが怖いのか、石原知事や橋下市長のように「嫌われてもいいからオレはやる」という強い意思が感じられるリーダーが見当たらない。
おりしも、今年は、昨年暮れの北朝鮮に続いて、世界の主要国でリーダーが一斉に入れ替わる年。産経新聞では、紙上でリーダー論を展開する。国のリーダーから、小さな組織のリーダーまで、リーダーはどうあるべきか。どのように育つのか。本当に必要なのか。さまざまな角度から切り込み、真のリーダー像を見つけたい。もちろん、石原知事や橋下市長も取り上げる予定だ。
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▼ 実家の新年会に参加してきた。
かなり大きな家族なのでいろんな職業の者がいる、その中で大阪市の公務員がいるのだが給食のおばさんの給与が話題になった。実は民間の給食会社でパートで働いているものも家族にはいる。やはり収入は格段に違う。
公務員サイドからすると給食のおばさんでも仕事はハード、少人数で分刻みの業務だという、しかし民間も同じなのだ。民間委託したからレベルが下がるということは決して無いと民間サイドが主張していた。
自分の兄弟は自営業者、自営業者、公務員なのだが3人とも朝家を出る時間が同じ、帰宅する時間は自営業Aが21時、自営業Bが20時、公務員が21時、休みは自営業は基本週休1日、公務員は週休2日。年収は自営業Aが400万、自営業Bが500万、公務員は1100万。
公務員サイドからすると一般的な労働を20年やると年収は700万になるそうな。
そういう感覚が今の日本の現状と食い違っていると思う。
橋下市長の給与は年間1300万ぐらいだろうか。給食のおばさん2人分より少ないのでは。
やはり公務員給与の見直しは避けては通れないな。
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