|
もう18年も経ったんだな
▼ 今日は阪神淡路大震災が起こって18年目、神戸は復興したのだろうかという疑問には「時が経った」という答えが適当だろうと思う。
以前も書いたが自分はこの大震災で全壊を被った、受け取った支援金は100万円、これじゃ何にもならなかった。当時から自営業だったが営業が出来ず全く収入が閉ざされた、ただ周りの人々も同じような状況だったし震災5日目に須磨に住む親戚のお婆さんの安否を確認しに行ったので自分より酷い状況の人たちを見れば仕事どころではなかった。
今も自宅から三宮に出るときは須磨や鷹取や長田を通る、綺麗に建て替えられた建物の間にフェンスで囲った更地や小さな駐車場が残る。もうこれ以上は動かないと思う。
三宮駅周辺は大きく変わった、新しいビルが立ち古い店舗は無くなっていく。それでも元町あたりのペンシルビルは微妙に傾いているのが分かる。もう18年も経てば復興出来る部分は既に復興し、残されたものは最早そのままなのだ。
▼ 阪神大震災と東日本大震災を比べてみれば大きく違うところがいくつもある。
まず住人の年齢層が違う、神戸が都会であり東北の被災地は過疎地も多かったということを除いても日本全体が16年も歳を取った。阪神大震災の18年前といえば団塊の世代もまだ40代、被災地で立ち上がる生命力も根性も持ち合わせている現役がそこそこ居た。しかし東日本大震災当時は団塊の世代も60歳を超えていただろう、神戸と同じようなパワーは残念ながら無いと思う。
もう一つは神戸市は大阪に隣接した人口150万の大都市である、その狭い地域で直下型の地震災害、大阪や姫路、すぐそばの明石はそれほどの被害を受けていなかったので支援も早かった。東北はご存知のとおり広域に津波でやられてしまい支援が遅れたし現地でどこまで復興させればよいかという目標が曖昧だと感じる。昔の暮らしを取り戻すというのが復興であるなら残念ながらそれは無理、神戸でさえ取り戻せていない。政治家やマスコミは口が裂けても言えないだろうが「昔には戻らない」。
▼ 人は年を取る、阪神大震災当時に働き盛りであった人達ももう定年の年頃。地震の前の仕事と収入、地域の賑わいと人間関係をそのまま求めることは不可能だ。災害にあったのは不幸ではあるが、それを現実のこととしてそこから立ち上がるしかない。
復興は1年、3年、10年単位で成されると思う。10年以上そのままならもう動かない、逆に動かすならできるだけ早いほうが良い。
みんな残りの時間には限りがある、大事に残すもの、捨てなければいけないもの、覚悟を決めて歩こう。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2013年01月17日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]





