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正論を聞きました
『朝日新聞』の論客だった若宮啓文前主筆は先週定年退社されたそうで、一月十二日付の同紙一面に最後の一文を書いていた。
〈「改憲」で刺激 避ける時〉
という見出しである。私はその内容に強い違和感を覚えた。若宮さんは長年の敬愛する友人だが、論争すべきことを避けて通るわけにはいかない。
安倍晋三首相が憲法九条改正による国防軍創設を打ち出したのが不安の直接のきっかけになっている。最初に断っておくが、私は〈自衛隊〉というあいまいな呼称を改め、憲法の規定によって正式に〈国防軍〉と認知するのが当然で、遅きに失しているという考えだ。理由はあとで述べる。
若宮さんもこの論文で国防軍にはっきり反対とは言っていない。ただ、『朝日新聞』は憲法施行六十年にあたって議論を重ねたすえ、〈九条は変えず、自衛隊は軍隊としない方がよい〉と結論づけ、二〇〇七年五月三日の社説で発表している。『朝日』がそういう社論を掲げるのはまったく自由なことだ。
しかし、若宮さんの主張は、国防軍の賛否というより、それによって(1)過去の歴史の正当化や領土問題での強気と改憲が重なれば、周辺国の警戒が高まるのは防げない(2)そうした刺激と反発の悪循環は止めなければならない、という趣旨である。キーワードは〈周辺国の警戒〉で、それを誘発するような改憲とか国防軍創設は賛成しかねるということだろう。
確かに〈周辺国の警戒〉が強まるのは好ましくなく、警戒が敵視に変わり、日本に脅威をもたらすこともあるかもしれない。中国の軍備増強路線、北朝鮮の核とミサイル開発がやはり〈周辺国の警戒〉を強めている時に、日本までそれに対抗しようとすれば軍拡ドミノの歯止めがきかなくなる、という見方もできる。
だが、周辺国の反応よりも大事なのはわが日本国の安全だ。周辺国に気を使っているうちに、日本が危機にさらされるのでは話にならない。気を使いながら、自国の防衛も怠りなく、というのは当然すぎることである。
そこで、自力防衛とは何かが問われる。九条について、若宮さんは〈過去に軍国主義で失敗した日本のメッセージ〉と書いているが、起草者の意図はそんなところかもしれない。しかし、憲法第二章の〈戦争の放棄〉について、特に〈放棄〉の二文字に、私は長年釈然としていなかった。
戦争を断固避けることにまったく異存はない、だが、戦争は軍国主義による侵略戦争だけではない。不当に侵略されることもあるし、不本意ながら戦闘に巻き込まれることもある。その時、立ち向かえば、自衛のための戦争になる。〈放棄〉というのは、それもやらずになすがまま、ということならガンジーの無抵抗主義だ。
◇憲法改正が必要か否か 国益で考えればすむ話 戦争の悲惨を甘受するわけにはいかない。若宮さんは一九四八年の戦後生まれだから、三五年生まれの私とは世代ギャップもあるだろう。私は軍隊経験はないが、戦争を多少実体験し、加えて満州体験がある。そこで痛感したことは、二度と戦争をしてならないのはもとよりだが、絶対に避けなければならないのは〈敗戦の悲惨〉である。
前大戦では、負け戦になってから、東京などの本土空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆、戦後も満州、朝鮮で計約百万人の非戦闘員が殺され、あるいは自決する大悲劇に見舞われた。非戦の誓いは結構だが、それよりも〈敗戦の悲惨〉を避ける手立てこそ大切なのだ。
開戦がなければ敗戦もないではないか、という理屈はある。だが、あらゆる開戦を阻止できる保証はどこにもない。現に知日派で『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者であるエズラ・ヴォーゲル・ハーバード大名誉教授は、
「心配なのは、中国人民解放軍の一部に、日本と本気で戦いたいと考える勢力が一定程度いるという現実だ」(月刊誌『選択』一月号インタビュー)
と警鐘を鳴らしている。現憲法にお構いなく、現実が進む事態を十分計算に入れておかなければならない。
敗戦直前、空襲で顔面などに大火傷をうけた哲学者の田中美知太郎さん(一九〇二─八五)は、
「平和憲法で平和が守れるなら、台風も禁止すればよい」
と述べている。私はそこまで割り切った言い方はできない。現憲法が戦後のある段階まで、軽武装・経済繁栄路線を支えたことは認める。しかし、平和が続いたのは、憲法の平和主義のせいか、僥倖によるものか、検証がむずかしい。とにかく、国際環境は刻々変化しており、とりわけ東アジア情勢は冷戦構造下にあるかのようだ。
精神主義的な現憲法は賞味期限が切れかけていると思う。憲法を口実に、自分の国は自分で守る自前の備えをサボタージュすることは許されなくなってきた。国防軍という名称変更は、自前防衛の意思を内外に示す一つの手段にすぎない。それで〈周辺国の警戒〉がさほど強まるかどうか疑わしいが、もし強まるなら仕方のないことだ。歓迎する周辺国もあるかもしれない。
軍事的備えの前にまず外交努力を、という話はよく聞く。しかし、これも二者択一のことではない。
「外交に軍事力が伴わないのは、楽器のない音楽だ」
という警句を聞いたことがあるが、一面の真理である。力ずくではなく、過剰な軍事力を想定しているのではない。適度な備えがないことにはなめられる。最近の日本は、多分になめられていないか。
安倍さんの登板にあわせて、〈右傾化〉がしきりに言われだした。この色づけはいささか古すぎる。改憲問題は右とか左とかで仕分けするテーマではもはやない。必要であるかないか、国益主義に立って考えればすむことだ。『毎日新聞』の川柳欄に、
戦争にいけない老人ほど勇ましい
という一句を発見して笑ってしまったが、高齢者は勇ましいのではなく、おさらばしたあとが心配なのである。
<今週のひと言>
学校週六日制、いいんじゃないの。
(サンデー毎日2013年2月3日号)
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▼ 中国との軍事衝突の可能性が高まっている、中国は日本だけではなく米国との軍事衝突の可能性さえある。
中国が領土拡張と軍事侵攻を目論んでいる最中、日本は対応を放棄する「無抵抗主義9条最高主義」に精神的支柱を求めて良いはずがない。
▼ 日本の憲法9条信者は明らかに2重基準で二枚舌だ、彼ら彼女らは日本国内に向かって戦争放棄、軍備拡張反対を叫ぶ。沖縄の米軍基地撤退を叫ぶ。しかし中国の軍備拡張には一切声を上げない、それほど戦争放棄が立派ですべての紛争を沈静化させるおまじないならさっさと中国に行って天安門の前で横断幕を掲げれば良い。
「中国は一切の軍備を放棄し、隣国との戦争を諦めろ、それが平和」と
「今すぐ核弾頭を破棄し、ミサイルの目標から日本をはずせ、なぜなら日本には憲法9条があり、これを掲げている国には戦争ができないことになっている」と主張すればよい、なんならyoutubeにUPすればよい。
憲法9条の戦争放棄は自己満足であり国民を守らないものであることが分かるだろう。
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2013年01月24日
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党首討論での解散表明 12日前に密議
理由の一つに「維新の会の準備が整わないうちに」
…藤村前官房長官
野田内閣の官房長官だった藤村修氏(63)が毎日新聞の単独インタビューに応じ、野田佳彦首相(当時)が昨年11月2日夜、藤村氏らと首相公邸で会談し、14日の党首討論で 衆院解散を表明するシナリオを固めたと証言した。昨年9月の沖縄県・尖閣諸島の国有化に ついては「政府は、小泉政権末期から水面下で地権者と交渉を進めていた」と語った。
野田氏は昨年11月14日、自民党の安倍晋三総裁との党首討論で「16日に解散する」と表明。 12月4日公示、16日投票の衆院選へと一気になだれ込んだ。 野田氏は当時、特例公債法の成立などを解散の条件に掲げ、成立に抵抗していた自民党は早期解散を促すため姿勢を軟化。一方、民主党から離党者が相次ぎ、内閣不信任決議案の可決が現実味を帯びるなど、政権は追い込まれた状況だった。 藤村氏はインタビューで昨年11月2日夜の会談について、野田氏と藤村氏、岡田克也副総理(当時)が出席し、「『(解散を)党首討論の場で打ち出したらどうか』という案が浮上した。ずばっと約束しようということになった」と語った。理由の一つを「日本維新の会の準備が整わないうちに」と述べた。 また昨年11月、モンゴルで行われた日本と北朝鮮の局長級協議にも言及。「拉致問題は解決済み」と主張してきた北朝鮮の姿勢が「大きく変わった」と説明した。 ▽毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20130124k0000m010124000c.html ------------------------------------------------------------------------------ ▼ 確かに第3極は選挙準備が整っていなかった。だがその前は維新の会の支持率が暴騰した時期があった、その期待熱が冷めるのを待って解散を決定したとは思えない。単にこれ以上先延ばししても得るものは少ない、逆に離党者が続出し不信任決議が成立する方が怖かったのではないだろうか。つまり民主党が自壊してみっともない醜態を晒すのが怖かった。
この記事を読めば民主党幹部の考えは自民党に勝つというより維新の会に票を奪われ2大政党の座から滑り落ちることを避けることに第一目標をしているのがわかる。自分たちが政権奪取のために主張してきたマニフェストを検証したり修正し国民に説明し自分たちを正当化することを放棄している。単に政局の判断ばかりを行ってきたのだ。
まあ、国民はお見通しだったんだが。
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