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この言葉を肯定的に捉えてはいけない
現実の彼らは「あきらめ無気力世代」なのだ
さとり世代とは世代の一つ。
これは現代の若者気質から作られた言葉であり、連中は現実を悟っているというところから生まれた言葉。さとり世代の特徴としては「欲が無い」や「恋愛に興味が無い」や「旅行に行かない」などといった事柄が存在する。休日は自宅で過ごしていることが多く、無駄遣いをしないし気の合わない人とは付き合わない傾向が高い。さとり世代は物心ついたころには既にバブルが崩壊しており不況しか知らないし、インターネットを利用して育ってきていることから現実もよく知っており、無駄な努力や衝突は避け、大きな夢や高望みも無く、合理的な行動を心がけている。この言葉は2013年の新語・流行語大賞にノミネートされた。
▼ 先日NHKのラジオニュースで博報堂のひとがこの「さとり世代」を解説していた。
同年代でつるむ、フェイスブックやツイッターでつるむ、集団からの離脱を怖がる、努力を評価しない、上昇志向を評価しない、現状維持を求める。
NHKの聴視者の反応はおおむね好意的なのもであったが、自分はそこに日本の病理を感じた。「戦後教育の成果」「世界に広めたい友好的考え」
「相手を思いやる心」などといったコメントを紹介するNHKの『狂気』。
この無気力な考えがなぜ肯定的なものになるのか。
自分の職場でも20代〜30代の若者はたくさんいる、もちろん彼らはいろいろだ。このような現状維持を求める若者も多い、だがそうでない若者もいる。
▼ 努力せず現状維持でよい、結婚もせず上昇志向も無い人をなぜ「悟った人物」とネーミングするのか?馬鹿にしているのならそれで良い。
努力せず、自分の潜在能力を開発せず、現状の親の庇護のもと、恋愛も結婚もせず、仕事も中途半端な人物をなぜ評価するのか。
こういう人たちは昔からのネーミングがある。
寄生世代・踊り場世代・ピーターパン症候群・ゆとり世代・落ちこぼれ
▼ 悟りを得ることに人は昔からチャレンジしてきた。チャレンジしないで悟ったと思う人は単なる勘違い。
さて今言う「さとり世代」の人物はチャレンジしないという特徴がある。それなら根本的矛盾であり、じつはそのネーミングに逃げているだけのゆとりから落ちこぼれた世代だと確信する。
先日、自分は東海道五十三次の走破を達成した。そのことに関して若い人たちが「凄いですね、そのバイタリティ。自分達にはありません」と言う。
リップサービスをさておいて、こんなこと誰でも出来るわけで、やる気があるかどうかの問題でしかない。
やる気が無いということを「悟った」と言い切って許されるのは小学生までだよね。キャハ・・・。
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2014年01月12日
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