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今回は岡部から沼津まで
▼ この東海道五十三次下道ドライブを始めたのは2年前、こんなに時間がかかるとは想像していなかった。感覚的には2年で達成できるだろうと思っていたのだがなんのなんの。
今回は10月19日から21日までの3泊4日を予定している、19日は16時に出発する予定なので3泊3.5日であろうか。
なぜ16時に出発するかと言うと高速道路SAで車中泊し高速料金をETC深夜割引きGETするため、もう一つ現地に朝早く到着したいがためである。高速道路のETC深夜割引きは50%、神戸から静岡県の静岡までは通常料金では8750円、ETC深夜割引では4425円である。料金のこともあるが時間的な節約という要素が大きい、この距離を日中に走行すると到着時間が昼以降になりその日はあまり活動できないからだ。それに旅の時間は長いほうが楽しい、はやく出発したい。
▼ まず行程を決め宿泊地を決める、今回は岡部宿から始まる。この旅で分かったことだが五十三次の宿場を廻るのは午前に2つ午後から2つが限界だということ、一日に4つの宿場をめぐる、とすれば1日目は岡部〜丸子〜府中〜江尻と言うことになる。
宿泊は府中、岡部と次ぎの興津あたりになるのだが、泊まろうとしているビジネスホテルなら静岡駅周辺が一番多そうだ。
以前から思っていて今回はっきりしたことはこういう旅では中途半端な旅館に宿泊するよりも寝るということと晩御飯を食べるということは切り離して考えたほうが良い、つまり格安ホテルで宿泊し夜は繁華街へ繰り出すか少し豪華な地元有名店で食すほうが満足度が高くなる。今までは2泊するなら変化をつけて1泊は外食、1泊は夕食つきの旅館ホテルにしていたのだが如何せんコスパが悪い。
寝るだけなら4000円であるのだから、残りの数千円が夕食朝食温泉料金であるとすれば、その数千円で外食したほうがメリットがあると判断下次第。
なので静岡現地ではビジネスホテルとうなぎ屋さん、2泊目(3?)はビジネスホテルと居酒屋さんに決めた。重ったるい食べログを見て当日の開店を確かめた、前日には予約しようと思う。
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東海道53次
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日坂宿の高札場
金谷宿の石畳
久能山東照宮
▼ 17日から19日まで連休を取って東海道五十三次下道旅の続きを行なった。
あいにくの天気で富士山は余りよく見なかったのだが、それなりに満足行くものであった。
最近、自分の旅に関する考え方に変化が見られる、以前からある観光旅館が費用対効果で良いとは思えなくなって来たのだ。
今回宿泊したのは一泊3800円、朝食付きのビジネスホテルと一泊16800円、朝夕食付きの観光旅館だ。その差13000円!それでは施設サービスがどう違うのか、お風呂と夕食、その他サービスでそこまで違うのだろうか。
確かに夕食は地元駿河湾の海産物を中心とした会席だったのだが、インパクトの無いありきたりのメニュー、温泉は展望風呂だったのだが大浴場という大きさではない、朝食に至ってはケータリングのようでビジネスホテルと同レベル。そして布団はぺったんこ、ビジネスホテルはベッド+羽毛布団だったのでそちらの方が良かった。
ついでにビジネスホテルは夕食が付いていないので、ネットで下調べしておいた料理屋で一人4500円の夕食。なんだか旧態依然のビジネスと新規ビジネスの価値の提供の違いを見せられたようだ。
▼ 以前に宿泊した某有名温泉地の古い旅館は価格も高かったが、内容も満足行くものであった。それは食事をする部屋の雰囲気が明治時代の書斎を改装したような内装で、照明も程よく暗く、もちろん食事自体も抜群。
それよりなにより驚いたのは、表立っては書かれていなかったもののその旅館の温泉が混浴であったことだ。家族風呂ではない、その旅館に宿泊しているお客が自由に入れる風呂なのだが、入り口は男女別になっており、まず湯船と洗い場がある、ところが奥に向かうドアがありその中に入っていくと20坪ほどの大浴場がありそこが混浴になっていたのだ。混浴と言っても男女の湯船は水面から10cmほど上までは仕切られているので人の行き来は出来ないが空中部分は完全に何も無い。全くの同一空間なのだ。
お客さんは旅館の人から「驚かないで」などとなんとなくそのようなことを言われていたのだが、実際に入ってみてびっくりした。だが旅館に来ている人は慣れているのかある程度時間が経つとそれなりに会話も出て和やかな雰囲気になった。
この旅館は表立って混浴を唄っていないのでサプライズサービスなのだろう、名前を出すと都会から近い温泉地と言うこともあり荒れる恐れもあるので書けないが。
▼ 消費者が真に求めているサービスを提供する、そういう企業だけが生き残る。
島根県の足立美術館の側の旅館は事前に宿泊客の好き嫌いや持病を尋ねてきて、実際に一般の料理と糖尿病食と老人用のメニューを造り分けてくれたところがあった。これで料金が変わらないのだから評価も上がるというもの。
これからは五十三次の旅は安価ビジネスホテル一本になるかもしれない。
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▼ 愛知県に江戸時代の東海道五十三次の宿場で唯一当時から営業を継続している旅籠がある。
赤阪宿の『旅籠 大橋屋(創業時の屋号は「伊右エ門 鯉屋」)』、創業は慶長2年(1649年)、現存の建物は正徳6年(1716年)の建築とされる(Wikipediaより)。
細い旧東海道でも往時の松並木が天然記念物として残る御油宿の先に360年以上もの歴史を刻んできているのだ。
あの安藤広重の「東海道五十三次 赤坂」はこの旅籠を描いたもの。
大橋屋 二階客室
▼ この「旅籠 大橋屋」の宿泊は一日2組限定。客がいないか一組か満室の3種類しかない。こう書くと敷居が高く感じるかもしれないが、全く高くない。ご主人とお上さんの2人で気さくに経営されていて宿泊施設は重厚だが人当たりは民宿のようだ。
我々が宿泊した日はお客は自分達だけ、この旅籠とご主人たちを独り占めにしてしまった。夕食の支度時間にも関わらずご親切に色々とお話を聞かせていただきました。独自取材wどこにも掲載されていない情報かも。
江戸時代、参勤交代と伊勢詣でで賑わった当時この旅籠「伊右エ門 鯉屋」は他の旅籠に比べても大店で、部屋数は20以上あったそうな。
ところが江戸が終わり明治となりその有名大店に改築の機が来る、明治天皇がご宿泊されることになった。当時天皇陛下がご宿泊される旅籠では部屋を改装しなくてはならなかった、陛下がおられる部屋は少し高くしなければならない、まずこれにより奥の何部屋かが江戸当時のものが無くなった。
そして昭和になり太平洋戦争が起きた、この赤阪宿近辺は戦災には合わなかったのだが名古屋周辺の焼け出された人たちを臨時宿泊させることになった。何十人という被災者を避難させるに従い部屋が痛んでいった、そして修繕という改築。
大きな桶の風呂
現在は正面玄関から前2部屋分が江戸時代の建築物として残っている、手を入れることが出来ないのでふすま紙などは破れている。入り口から2部屋目は二階天井まで吹き抜けになっており片側の壁に籠(かご)が2台掛けてある、一つは大店の御新造さんや武家の女御さんが乗ったであろうしっかりした造りのもの、もう一つは簡易な造りのもの。
高貴な人物が乗るような籠はそもそも丈夫に出来ており、価値も高かったので大事にされ現存しているものが多いのだが、簡易な籠は傷みも激しく安普請なので大事にされず残っているものが少ない、今では安普請の庶民籠のほうが歴史的価値があるそうな。
玄関の上がり板の間、ここで旅人が腰掛て足を洗った
▼ ご主人に旅籠経営のことを伺った。
この大橋屋さんに宿泊されるお客さんの7割〜8割は東海道五十三次踏破を目指している人達だそうな、確かに自分が知ったのも東海道五十三次のガイド本やネット、BLOGからである。外国人観光客も年に20〜30組は来ていたのだが東日本大震災と原発事故いらい客足がぱたりと止まった、日本人宿泊客の減少。
もともと東海道ウォークに絡めて宿泊するのであるから真冬と真夏は客が少ない。
宿泊客のピークは3月4月5月の3ヶ月間、梅雨時期もその後の夏も東海道踏破には向いていないので閑散期だとか。
ご夫婦の息子さんはこの旅籠の後を継がない模様で、何年続けられるかとおっしゃっていました。跡継ぎ問題とは別に昨今の不景気、文化財を自宅に持ち一日2組という客数でやっていくのは並大抵のことではないのは容易に想像できる。
なんとか閑散期にも平日にも部屋が埋まり安定した経営と旅籠の維持が出来るよう願わずにはいられない。
▼ この「旅籠 大橋屋」はネット対応していない。大手旅行サイトから検索すると名前と住所は出るのだがその他の項目は出ない、もちろんネットから予約することは出来ない。口コミも見ることは出来ないのです。
評価 ★★★★☆
部屋 3.5〜5.0 2部屋あるので
設備 3.5 温水洗浄便座、洗面場は1階のみ、近代設備を望むわけ では無いので。
サービス 5.0 旅籠を維持されているだけで感謝、駐車場無料あり
食事 4.0 量もあり皿数もあった。
風呂 4.0 変わった風呂桶が樽の風呂
立地 5.0 赤坂宿のほぼ中心地
この記事をご覧の皆様、ぜひ「旅籠 大橋屋」さんにご宿泊をお願いします。360年続く「今でも実際に宿泊できる江戸時代の旅籠」の経営が安定しますように。
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旅籠 大橋屋
愛知県豊川市赤坂町紅里127
和室(食事朝夕付き) 10,500円 1プランのみ チェックイン 15:00
チェックアウト 10:00
駐車場あり
交通 |
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▼ 旧東海道を行くに際して先人の知恵や経験をネットから採集させてもらっているのだが、最近はとても便利になった。旧東海道を踏破した人がwebmapに順路をトレースできるようにUPしてくれているのだ。
自分が参考にされていただいているのはこのサイト。とても親切に明示されています、一度ご覧あれ。
旧東海道の「今、昔」
「東海道の一里塚」と「広重が絵を描いた場所」を訪ねて
京都まで旧街道を迷わず案内する「旧道のルートマップ」 40.地鯉鮒宿から鳴海宿まで
39.岡崎宿から地鯉鮒宿まで
38.藤川宿から岡崎宿まで
37.赤坂宿から藤川宿まで
36.御油宿から赤坂宿まで
35.豊橋宿から御油宿まで
34.二川宿から吉田宿まで
33.白須賀宿から二川宿まで
32.荒井宿から白須賀宿まで
31.舞阪宿から荒井宿まで
30.濱松宿から舞阪宿まで
ついでに旅籠大橋屋さんのレポートを書いた方のサイト
▼ 赤阪宿の旅籠大橋屋さんの写真を見ていて気がついたのだが、自分の生まれ育った大阪市内の家はこのような外観や雰囲気であった。
その自分の生家は紀州街道に面していて親に聞いたところによるとその昔は「置屋」であったそうな。どうりで床の間など古い造作であったと思う。25年ほど前バブル時に地上げがあってもう今は無い。
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安藤広重 東海道五十三次 赤坂『旅宿招婦の図』
▼ 旧東海道を京都から東京(江戸)へと下道でドライブする旅を断続的にやっているのだが、当初想像していた旅とは違うことに気が付いた。
現在関西に在住している自分にとっては京都や奈良のように古い建築物を簡単に見ることが出来る。木曽や信州中仙道を旅したときも歴史建造物を残した場所を訪れているのだから、旧街道はそういうものだと勝手に思い込んでいた。簡単に言えば東海道五十三次はそれぞれ各地に当時の建造物や本陣、資料館、松並木が残されていると思っていたのだ。
ところがどっこい、今まで訪れた観光地は「その歴史が残されているから有名」であった訳で、中仙道で言うと奈良井、妻籠、馬籠などのような場所ばかりを廻っていればそうでもあろうが、実際は残されていない宿のあるわけで。その訪れる場所により何らかのテーマが必要であると理解した。
現在までこのパターンで来ている
① 京都(三条大橋)〜大津〜草津〜石部
② 水口〜土山〜坂下〜関
③ 亀山〜庄野〜石薬師〜四日市〜桑名〜(泊)〜宮〜鳴海〜池鮒鯉
初回の行程では京都もあるし大津の琵琶湖、草津の追分と姥が餅。
2回目は関の町並み(五十三次で一番大きいと思われる歴史的町並み)。
3回目は伊勢神宮、熱田神宮をオプションに。
さて問題はこれからだ。愛知県の東から静岡に至る行程に観光の山が見つけられない、富士山が見えるようになればまた違った旅情も沸くのだろうが。
自分は関西と首都圏にしか住んだことが無く東海地方の良さを知らない、つまり無知なのだ。
そこで必死になって(?)検索して行くと旅籠大橋屋を見つけた。なんと江戸時代中期から赤坂宿の当地で旅籠を営んでおられるそうで元の屋号を「伊右ェ門鯉屋」と言うそうな。ここは五十三次の浮世絵に描かれているそのものが現存する。現在に残り旅籠旅館として営業を続けているのは日本でここだけ、それも東海道五十三次の赤坂宿はこの旅籠情景。
ネットで予約状況を見ようとすると不能、どうやらネット対応していないようだ。そこで宿泊日に2週間を切っているにも関わらずTELして見た。何と一部屋だけ空いていたのだ。つまり今度の行程のポイントは【五十三次に描かれている旅籠「大橋屋」に宿泊する】ということに決定。
次の考えどころは「鰻を食す」ということ。浜松の街BBSを覗くと当地で提供される鰻は価格が高いという、周辺地域より3割は高いと。家内曰く安くて美味しい鰻なら明石にもある、3000円以上出せばたいがいの店は旨いに決まっている。しかしそれでは話のネタにはならない、観光地価格であろうと現地で食すべきではないだろうか。こういうことは鴨がねぎをしょって行くようなものなのだろうか。
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