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広重 東海道五十三次 石部宿
休み所 田楽茶屋
▼ 草津から石部は同じような風景、そして石部宿は寂しかった。
実は草津で昼を食べた後休憩がてらスーパーの駐車場でシートを倒していたら1時間も寝てしまった。
だから石部に着いたのは2時半になった。
この石部宿は中心の場所がよく分からず(調べていなかった)うろうろしてしまった。この田楽茶屋がそうなんだろうか。後で調べると旧和中産本舗の屋敷があるそうな、自分はどこを走ったんだ?
庶民の籠?
▼ 東海道歴史資料館というものがあって、そこへ行って見ると閑散とした状態でした・・が
東海道五十三次のミニハイキングコースがあり、各宿場を100分の1のスケールで作ってある。
江戸時代は江戸にそういう箱庭状の施設があり、各地のみやげ物を販売していたという。その施設は賑わったたしいが現代のコースには誰もいませんでした、GWだけど。
不動の泉
▼ 時間が押してきたので次の宿には行かず、信楽高原に行くことにした。この東海道の旅では単に旧東海道を走るのではなく近隣の観光地を訪問しながらと考えていたので、今回は信楽にした。ちょうど大陶器市もやっているし。
ところが混んでしまったw。時間的にはもうみんなが帰ろうとするような時間(4時)なんだがまだ向かう車がいっぱい。しかし帰りの車も大渋滞。
信楽高原鉄道駅前の大狸
▼ 信楽焼きは実用の植木鉢とか食器が主であるが、もっとも特徴的な焼き物はたぬきである。
商売繁盛のためのいろいろな意味合いがこのたぬきには込められている。
傘 = 災いから身を守る
眼 = 眼利きが良い
顔 = 顔が広い
徳利 = 徳をつける飲み食いに困らない
腹 = 大きな腹(胆が大きい)決断力
通帳 = 信用第一
金袋 = 金が入る袋が大きい
尻尾 = 最後が大きいことが大事
まあ中身がそうありたいものです、現状は体形が狸になってきているのだが。
信楽から宇治田原を経て大阪へ。つぎの予定はまだ決めていない。
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東海道53次
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草津宿 姥が餅屋
移転した現在のうばがもちやさん
▼ 国道一号線の北の旧東海道を走っていたら商店街に入った、祭りらしく町の人が山車の来るのを表で待っている。カーナビで設定した本陣はもうすぐなのでこの商店街を通り抜けたところか、しかしここは一方通行だぞ。
はい、ありました。手前に駐車場の案内があり狭い道だが無料らしい。
草津本陣
▼ この草津宿は本陣と脇本陣、歴史資料館、休憩所、草津追分道標がセットで回れる。ちょうど写真の左に駐車場の導入路がある、写真右手50mほどの角に追分道標。入場料が本陣と資料館で¥320。観光客はほとんどが東海道をめぐる人達であった。
歴史資料館の大名籠
草津追分の道標
▼ 草津追分は東海道と中仙道の分岐点です。
本陣のすぐ近くにあり天井川のトンネルの側でトンネルをくぐると中仙道の商店が続いていました。
和ろうそくのお店
うばがもち
▼ 昼時になったので国道1号線に移転したうばがもちやさんで土産購入と隣の食事所で昼食。
うばがもちは小さい3角錐で伊勢の赤福餅と同じようなあんこの中に餅が入っている。これ賞味期限が短いのがポイント。
次は石部宿
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広重 東海道五十三次 大津走井
平成22年 5月 3日 大津走井下の路面電車
▼ 近い近いと思って走っていたらカーナビが大きく曲がれと指示、しかし交通量が多くてすぐに軌道修正できない。結局道路が開けたところまでやってきた、走井はきっとあの渡り廊下状態の右手にあったんだ。戻ろうかとも考えたが路面電車がやってきた、ここの路面電車は4両連結と長い。迫力。
まあまだ始めたばかりだしこの大津ならなんども来れるからUターンして時間をロスするよりもう一度ちゃんと調べて再挑戦することに決めた。
琵琶湖 大津港 ミシガン外輪船
▼ 琵琶湖には観光船が就航しているが、その中に昔の南部アメリカのミシシッピー川を逆のぼった外輪船を模した船がある。やはり人気で今日はGWお天気も上々乗船のための行列が出来ていた。
それにしてもバス釣りの小型船が湖面に大量に出ていて危なくないのかと数分。
滋賀県特に大津の町並みは清潔、他の関西より景気が良い状態が続いたせいであろうか。
余談だがこのGWは関西の神戸ー大阪ー奈良ー大阪ー京都ー滋賀ー大阪ー神戸と全て下道をドライブした、その行程で気付いたことは町並みの整備に各府県で違いがあるということだ。特に違いがあるのは道路の横の縁石が傷んだまま、ペンキがはげたまま、ガードレールやポールが車で曲げられたまま、街路樹や雑草が刈られているいない、もちろん清掃がされているいない。一番綺麗なのは滋賀県、その次に京都、その次が神戸、次が奈良、最後に大きく離されて大阪。大阪は行政サービスが低すぎる、住民は慣れてしまっているのだろうか大阪はサービスに手が入っていない。
瀬田川の唐橋
▼ 琵琶湖に沿って南下し瀬田の唐橋を渡る、ここからはカーナビのみが頼りで旧東海道は国道一号と少し離れて続いている。琵琶湖って一周することに意味のあるんだろう自転車で周っている人がいる。
次の草津宿は東海道と中仙道の分かれ道(追分)がある。そして有名な姥が餅屋さんがある。
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広重 東海道五十三次 京都三条大橋
平成22年 5月 3日 京都三条大橋 ▼ 以前から考えていた京都から東京へと東海道を上る旅の緒に就いた。
手段は車、徒歩ではない。なぜなら家内の足が悪く車で無いと同行できないからだ。
本当は徒歩で行きたいが、自分ひとりでこういうインパクトの強い経験をすると夫婦の間で記憶にGAPが出来る。自分自身は良い記憶を強く持つことが出来るが家内はそれを持たない、絶対に夫婦間でよくない空気が出来ると思う。そういうことで家内も連れて行ける方法にした。
しかし車では通れない道がある、であるから全て旧東海道をトレースするのではなく極力走行するということになるであろう。
そして何がなんだか分からないまま始めるので、まずはゆっくりと行くことにする。
▼ とりあえず大阪の実家を足がかりにして朝の7時半に出発した。
GWであるから高速は大渋滞だが下道ですいすいと京都入り(9時)。三条大橋のたもとに時間貸しの¥100パーキングがありまだ観光客も出始め、楽々撮影できた。この橋の西の袂には野次さん喜多さんの東海道中膝栗毛の銅像があります。また橋の欄干のぎぼしには刀傷も。
加茂川のほとりには床が出ていてもう営業する店もあるはず。
京都はよく行くので観光は無し、三条通を東へ大津に向かう。カーナビに旧道をポイントしてあるのだが走行して2kmも行かずに車が通れない旧道がありやっぱり大雑把な走行になった。
東山を越えるところで大渋滞、旧道はスルーしたのだが同じ状態。
しかし大津なんて近い近い。
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東海道五十三次
▼ 東海道五十三次を自分の足で踏破する「東海道ウォーク」というものがある。その昔自分が学生だったころリュックを背に日本各地を放浪する人達がいた、たぶん「カニ族」と呼ばれていたと思う。
そのころの自分はヒッチハイクで各地をまわっていた宿泊は持参のテントか大学の学生寮だった。
就職をして知り合った取引先の人が「学生時代に東海道を歩いて東京から京都まで行った」と聞いていたので昔からあったのだと思う。
その東海道ウォークが静かにブームらしいが、自分も人生一度はやってみたいと考えていた。
現在のそのやり方は2種類あって「一気に踏破するもの」と「鉄道などを併用して分割して踏破するもの」がある。 もちろん分割のほうがやりやすい。
▼ こんなことを書き始めると「実行するのか」と思われるが、歩くのは断念しました。なぜなら妻の足が悪くなってきて一緒に歩けなくなったから。自分一人で実行すると妻との間に経験の差が作られてしまい後々大きな溝になりかねないと危惧したからです。
しかしやっぱりその達成感は味わってみたい、そこで二人で車を使い旧東海道五十三次を訪れて見ようと発想するに至りました。
東京ー関西間を車で往復したことは今までも何度かあり、だいたい10時間ほどであった。まあそれは単なる移動なわけで。何か1つか2つのテーマを持ち記録しながら観光しながらまた味わいながら行くとなると数回に分けることになるだろう。
▼ ここ10年ほどは旅行行く度、ホームページに画像と旅行記のようなものを自己満足のためだけに
作成していた。しかし画像の画質が良くなり枚数も使うようになるとどうしても重くなるのでYOUTUBEに切り替えた、クラウドコンピュ−ティングと言うものかな。 今はフォトストーリーでアルバム作成して上げている。
だから写真を撮ることは目的の一つだがどういう通しテーマを持つのかまだ決めていない、53次の宿を訪れるのだがそこで何をし何を得るのかも決めていない、自分は血液型がOであるので目標を設定しないと散漫になってしまう。これは今から考える。何度も行けないのだからいい加減なものじゃ後悔するだうしあまり重いテーマや手間や金額がかさむものは出来ない。ネットで参考になるサイトやブログを読むことになるだろう。
ということで今日は時流に関係ない独り言。
しかしネットを読んでいると安藤広重の五十三次図に元絵があって司馬江漢が書いたものだとする説が存在するのに突き当たった、しかしこれは捏造ものだったんだな反論実証もありました。
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