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XR230の整備記録
個人的な備忘録として・・・

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僕の最も年長の友人、マルカワレーシング代表・丸川洋一さんが平成31年1月25日にお亡くなりになりました。
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2016年2月16日朝。
アメリカはカリフォルニア州ビクタービルの”Green Tree Inn”のカフェにて。
この旅行が丸川さんにとって最後のアメリカ旅行になってしまいました。

日本ではオフロードバイクファン、特にホンダXR好きならマルカワレーシングの丸川さんを知らない人はいないのではないかと思います。
ホンダXR生みの親の一人、故”アル・ベイカー”の「XR'S ONLY」や、南カリフォルニアのマフラーメーカー「FMF」の輸入代理店としても有名です。

「バハ1000」や「ホンダXR」ブームがリアルタイムではなく、しかもオンオフ問わずレースに疎い僕は丸川さんと知り合ってからこれらに興味を持つようになりましたが(^_^;

いま思うと丸川さんと出会ってまだ10年足らずだったのですが、もっともっと古くからの付き合いのように感じています。


2007〜2008年頃に愛車XR230のスキッドプレートが欲しくなり、ネットで調べてマルカワレーシングのHPhttp://userweb.shikoku.ne.jp/marukawa/にたどり着いたのが丸川さんを知ったきっかけだったと思います。
メールで問い合わせをしたものの在庫が無かったため、結局は静岡のダートバイクさんよりMSR製の、おそらくCRF230用のものを加工してXR230に合うようにしてオークション販売していたものを落札して買いました。

しかし少し後に、ご本人にお会いすることになろうとは思ってもみませんでした。
それは、そのとき勤めていたカワサキのバイクショップで、当時大幅にモデルチェンジされO2センサーが搭載されたKLX250だったか、ニューモデルであるKLX125/Dトラッカー125だったかに、FMF製マフラーが車体に着くかどうかのフィッティングをチェックしたいと訪れたのが丸川さんとスタッフの川口さんでした。

「丸川さんは開高健がお好きなんですか?」

マルカワレーシングHPのコラム等で、文章がところどころ何となく開高さんっぽいなと思っていたので、こう話しかけたのが最初だったと思います。
他にもスティーブ・マックイーンが好きだとか、いろいろと話が合うところがあり、初対面ながら意気投合しました。

その後は年に数回から多いときには月に1〜2回ほど八幡浜の丸川さんのお店に遊びに行くようになりました。
しかし、しばらくそういった交友がありつつも、僕のほうが家族の病気やらなんやらででせわしなくなったりして疎遠になりかけた2015年頃に、丸川さんがヒョイとそのときの職場に現れてくれました。
そして交流が復活し、2016年2月中旬に一緒にアメリカ旅行に行くことになりました。

このとき、オフロードの神様”マルコム・スミス”に出会えたのは一生の思い出です。
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丸川さんの取引先である「XR'S ONLY」と「FMF」に行くこと以外は行き当たりばったりの予定だったのですが、ちょっとした偶然が重なって奇跡的にお会いすることができました(丸川さんもマルコム・スミスと会うのは初めてだったようです)。
他にも現地でほぼ毎日お世話してくれた「XR'S ONLY」の社長の”フレディ”さんやスタッフさん、「FMF」の工場内を案内して回ってくれて美味しいランチをごちそうしてくれた”クリス”さんなど、とても良い方たちと出会うこともできました。
(↑生前、ご本人も顔出しOKとおっしゃっていたので画像を入れ替え予定です。)


昨年の8月に、丸川さんから松山の病院に入院していると電話を受けました。電話を切るなり身支度をして、すぐさま病院に向かったのは言うまでもありません。
そして8月25日に退院するので、JRまで見送りに行った時にはお昼にデリーのカレーをごちそうになったり、汽車を待つ間にカフェで談笑しました。
その時に僕の自転車を見て試乗して気に入り、その後しばらくして行きつけのモンベルでシャイデックというMTBを衝動買いしたようです(笑)

その後も月に一度の通院の際にお会いして、12月5日に丸川さんの外来通院後に一緒にお昼で蕎麦を食べたのが最後で、それまで会うたびに「今度は前回に行けなかったヨセミテに行きたいねぇ〜」「いやグランドキャニオンででしょ〜」とか、体力が回復したら「今度はパラトルーパー(僕の愛車の折り畳みMTB)を買って北海道をスケッチをしながら輪行したい!」とか色々と話してましたし、病状は快方に向かっているともきいていたので、カムバックを信じて疑いませんでした。

12月中旬か下旬に電話をもらってたのですが、近頃はお互いにあまり電話をかけ直さず、タイミングよく受けられたら話すというような間柄だったので、その時はあまり気にしていませんでした。
僕も正月明けに八幡浜のほうへお伺いするつもりでしたし。
しかし、僕のほうが年末から年明け2週間ほど風邪で体調が好くなくて控えていました。

そして1月24日に、丸川さんからその日に2度着信があったので、帰宅して落ち着いてから家電でかけ直しましたが繋がりませんでした。
そして2日後の26日、僕の電話には珍しく数人から着信がありましたが、このときも出先なので出られず、直後にまた別の知人からメールが入り、1月25日の丸川さんの訃報を知りました。

丸川さんをよく知っている方ならわかると思いますが、ときにヤキモキさせられたり、かなり頑固なところがあったりします。人付き合いでちょっと不器用なところもありました。
でも、いま思い出されるのは朗らかで優しく、温かいところばかりです。

最後とその前にお会いした時に、会話の流れでロバート・デ・ニーロの「ミッドナイト・ラン」の話になったのですが、その映画より言葉を借りて…

” See you in the next life. ”

丸川さん、今まで親しくしていただいて本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
マルコム・スミスの動画

1967 Husqvarna 250

1953 lambretta

1971 Husqvarna 360

1954 Moto Guzzi Falcone 

1973 Bel Ray Bullet

1964 BSA 440

Malcolm day

昨年の2月に一緒にアメリカ旅行に行ったMさんから、
「僕らにとって2月18日はマルコムデーやな!」と言われました。

たしかにマルコム・スミスとの邂逅の日は忘れられない思い出の日です。
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私は2月18日は”ON ANY SUNDAY”を必ず観ることにします。

On any Sunday stretching up, reaching high.
 Leaving my Monday world behind.
 I fire my rockets and explode in the sky.
 Kick up my heels until I find I’m flyin’

Over my shoulder through the dust I’m calling.
 Run wild and catch me if you can.
 On any Sunday I’m a flyin’ man......

Malcolm!

実はXR'S ONLY のフレディさんだけではなく(よりも先に)、
マルコム・スミスさんにも9月の中頃に手紙を出していました。
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外国に手紙を送るなんて初めてです。
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便箋は文具店で購入した工作用?の和紙をA4にカットしたもの。
3人で一緒に撮った記念写真を2L判と六つ切りの大きさにして同封。
そしてダメもとで返信用封筒と切手券、返信をおねだりしたメッセージを
入れておきました。笑

2月18日に偶然にもお会いできて、マルコムさん自らが40分ほども
私たちの相手をしてくれたことへの感謝の気持ちだけ伝わればよかったのに、
返事を期待して欲をかいたらいけないな。。。とチョット反省しつつ
諦めかけていたら・・・

なんと10月も終わろうかという29日の今日になり、
送った写真にメッセージとサインが書かれて返ってきました!!
2L判が返ってきたので、大きい六つ切りは持っていてくれてるんだと思うと
余計にうれしいです(ファンレター用の掲示板に貼りだしてくれてるのかな?!)。
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これはもうホントに一生の宝物です!!!

フレディさん

ちょっと前にカリフォルニアはへスペリア、 XR’S ONLY のフレディさんへ、
現地で一緒に撮った写真数枚を2L判にプリントして送りました。
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すると先日、フレディさんからお礼の電話が掛かってきたと
Mさんからメールが来ました。

う〜ん、こういうのって、ほっこりするなぁ。。。

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