ちけん坊のブログ

日頃の仏事での出来事や感じた事などを綴っています。写真は花や虫を中心に自然の風景を掲載しています。

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六曜の呪縛

 遠方に住んでおられる信徒さんから一昨日に電話を頂いた。息子が結婚することになったので、その式をあげる日についての相談である。大安日は何処も式場が一杯らしく、息子が決めて来た結婚式の日が「仏滅」であることを頻りに気にされていた。
 
私は、六曜は古代中国の占術を元にして日本で作られたもので全くの迷信ですよ、と言うと少し安堵されていたようだ。中国では全く使用されていないばかりか、今では日本も七曜となっている。六曜の吉凶の根拠はなく出鱈目なのだ。ところが一部のカレンダーなどには掲載されているので、私たちが生活する中で無意識の内に影響を与えているのが実情だろう。
 
葬儀の日などもこの六曜をうまく利用しているようだ。私のところでは「友引」は友を引くという迷信から開式時間を遅らせたり、京阪神方面の都会では「友引」は葬儀をしない。つまり、友引の日が葬儀関係者や火葬場の職員の休日となっているのである。これもこうした迷信を活用したもので「六曜」が生活と密接に関係している証と言えよう。
 
「良い日」と「悪い日」は個人的にあっても、日そのものに吉凶はないはずだ。「六曜」にとらわれない生き方をしたいが、どうしても気にしてしまうのが日本人の気質なのだろう。いわゆる「六曜信仰」みたいなものである。中には仏滅に結婚式をあげると、周囲から非常識とか変人呼ばわりされるのを心配して無理やり従っている人もいるようだ。一日も早くこうした江戸時代から続く呪縛を解き、仏教の本当の智慧に触れていただきたいと願う・・・

◇紫陽花がきれいに咲いている。
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人の寿命

人の寿命って誰が決めるのだろう。同じ人間として生まれてきたのに、どうして人によって長短の差があるのだろう。高齢化社会となった一方で、若くしてこの世を去って逝く人がいると何ともやるせない気持ちになる。昨日、小林麻央さんの訃報を知った。昨年の六月に乳がんを患っていることを公表されて以来、その動向が気になっていたのである。

特に先月末頃と記憶しているが、自宅療養に切り替えられたようだ。終末期の緩和ケアの一環だったのだろう。思えば私の家内も子宮体がんでちょうど五年前に同じように自宅で最期を迎えた。ガンの種類こそ違うが、麻央さんと同じステージ4で経過もよく似ていて他人事とは思えずにいたのである。心からご冥福を祈りたい。

弘法大師は、「生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し」と秘蔵宝鑰の中に書かれている。私たち人間は何度もこの世に生まれ、何度も死んで行ったことだろう。けれども、何処から来て何処に行くのか、誰も知る人はいない。生と死を繰り返す私たちの悲しい姿、それが現実であるという意味だ。

人が死ぬということは悲しく無常だけれど、その人の生きて来た人生に何かそれぞれ意味があるに違いない。麻央さんも私の家内も寿命は短かかったけど、その与えられた寿命を精一杯生き抜いた。そしてこれからも家族や周りの人の心に永遠に生き続けることだろう。

◇ダリアの花がきれいに咲いていた・・・
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院殿大居士の位牌

昨日のことであるが、檀家様から頼まれていた新興宗教のご本尊の性根抜きに行かせていただいた。ところが、すでにそのご本尊は姑さんが持ち帰ったようで何もない。私もせっかく出向いたのでお勤めだけでもと思ったが、この機会なので仏壇の古いお位牌を性根抜きして処分してあげることにした。

仏壇は新興宗教の影響からか造り付けの仏壇を改修して立派で真新しいが、毎年のお盆のお参りの時にはかなりの違和感を感じていたものだ。私の宗派の本尊ではなく新興宗教の本尊が祀られ、花は榊で盛塩が供えられいたからである。これでようやく元のお大師様やご本尊の大日如来さまが祀られることとなった。

信仰の自由と言えばそれまでのことであるが、こうした新興宗教が入るのも私の不徳の致すところだろう。姑さんが親しい友達から勧められたようであるが、嫁さんは反対だったようだ。姑さんが年を取られて嫁さんとの力関係が逆転したから元の姿に戻せたのかも知れない。

今回の件で新しい発見があった。この家の祖先は但馬地方にある城主の子孫だったようで、三本の位牌を性根抜きした内の一本は院殿大居士という最高の戒名が付いていたのである。院号の戒名ならわかるが、院殿大居士は何処の寺院でもめったに授けられるものではない。そんな立派なご先祖さまがおられたからこそ、今の家が栄えてきたのだろう。これで先祖様も安堵されているに違いない。

◇神戸の森林植物園に行ってきたが、紫陽花はまだ少し早く六割程度の開花だった。
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雨乞い

今年の梅雨は雨が降らない。おかげで境内を流れる谷川の水は枯れそうである。池の水は数年前から漏れているのでその谷川から一日に二回ほど水を汲み上げて入れているのであるが、渇水ぎみで長時間ポンプを回さないといけない。池の淵に祀っている弁財天さまに雨乞いをしているが、まだご利益は頂けないようだ。

例年であれば、池や滝壺にモリアオガエルの赤ちゃんが一杯泳いでいるのであるが、今年は木々に卵を産み付けているもののすべて死滅してしまった。雨が降らないので白い卵が乾燥して茶褐色になって萎んでしまっているのだ。可哀そうであるが、どうすることも出来ず仕方ない。早く雨が降ることを願うばかりだ・・

◇巷で人気の「モネの池」に行ってきたが、やはり水不足で池の水が濁って透明感がなかった・・・
 鯉にハートマークの模様があるので、見ていた人からハートちゃんとよばれていた鯉( ^ω^)・・・
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床の間の掛け軸

寺の座敷がきれいになった。これまでは天井の一部が反り返ったりしていて、ネズミが走り回ってゴミが落ちてきたりしていたものだ。壁も一部剥がれてみっともなかったが、この機会に補修して頂いた。補修する前までは、床の間に無着色の観音様の姿図が掛けてあったのであるが、おそらく先代が誰かに頂いたものだろう。

床の間に飾る掛け軸としては見映えしないと感じていたが、私としては元々の背景が汚かったのでどうでも良かったのである。今回の修理で背景が明るくきれいになると、以前に掛けていたものでは恰好が悪いと思うようになった。ちょうど本堂の隣の部屋に愛染明王の掛け軸があり、他の仏さまを拝むのに邪魔になっていたので床の間に掛けてみると、それまでとは全く違って重厚な趣きでピッタリだ。

掛け軸の愛染明王様の険しいお顔が、心成しか微笑んでおられるように思える。この掛け軸を書かれた仏画師は遠方に住まれている檀家様でもあるので、この場所が一番適していたのかも知れない。偶然ではあるが、掛け軸を入れ替えただけで座敷の雰囲気がガラッと変わった。座敷の天井と壁の修理のお陰で愛染明王様の居場所を見つけられたのは、仏様の導きなのだろう。

◇ヒメジョンが咲いている
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