ちけん坊のブログ

日頃の仏事での出来事や感じた事などを綴っています。写真は花や虫を中心に自然の風景を掲載しています。

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年賀はがき

この時期は毎年のことであるが、年賀状を書くのに追われる。と言ってもパソコンなので書くのではなく作成して印刷するだけなのであるが、なかなか思うようにはいかない。父親や家内が居た時はその分まで作成していたので約三百枚余りを送っていたが、今では三分の一に減って楽になった。

年賀はがきは、一昔前なら手書きの葉書を送ることで気持ちを伝えるゆかしいものであったに違いない。私も心を込めて手書きしたい気持ちはあるが、パソコンに慣れると便利でどうしても億劫になってしまうのだ。寺という立場上、全く顔すら知らない方から届く年賀葉書もあるので、どうしても儀礼的な感覚になってしまう.。

暑中見舞いや寒中見舞い、新年の挨拶と季節によってのハガキは、昔の人にとっては便利なツールであったようだ。最近の若い世代は、こうしたハガキを送らずにメールやラインなどで済ませる人が増えてきている。
それも時代の流れなのだろう。

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梵鐘

今年もあと十日余りとなり、除夜の鐘に備えて寺の境内にある梵鐘堂の突き棒のロープを点検した。十数年前に鐘を突いている途中にロープが切れて大変な目にあったからだ。年々体力的にしんどくなってきたが、こればかりは息子にまだ全部を任せるわけにはいかない。

都会の寺では、鐘の音が近所迷惑という理由で除夜の鐘を止めたという寺もあるようだ。その点、私の寺は田舎なので全く周りを気にすることはない。昔は除夜の鐘を突いていると子供連れの方が十数人お参りを兼ねて来られていたものであるが、最近は少子化で誰も来られず寂しいものである。

昔は除夜の鐘を就寝しながら聞き入っていたものであるが、生活スタイルが変化した今では除夜の鐘に耳を澄ませて聞き入ることもなくなったようだ。煩悩を除去する意味で梵鐘を百八回突くのであるが、今ではそうした風情はなく、鐘の音も明らかに昔と違う響きに聞こえているのだろう。

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二霊の水子供養

今日は、午前中の満中陰忌法要に続いて午後から水子供養の予約があった。昼食を食べてから水子供養の準備をしていたのであるが、しぱらくすると自動車が参道を登って来る音が聞こえる。約束時間より三十分も早いので、違う用件の車かと思っていたのであるが、石段を登って来られたのは三十代半ばぐらいの夫婦らしき二人であった。

私はすぐ水子供養の方とわかったので「予約の方ですね」と尋ねると、「早いけどよろしいですか」と言われるので「よろしいですよ、どうぞ」と本堂に上がってもらった。供養の申し込み用紙に書かれた水子の命日を見ると二霊あるが、六年前と七年前のものである。

私は今までの経験から、この二霊の水子は出産を楽しみにしていたのに流れたものであると思った。供養をしていると、私の後ろに座っておられる女性のすすり泣く声が聞こえてくる。私は読経しながら、「この夫婦は子供ができないことで悩んでおられる」と確信した。供養が終わってその事を話すと、私の勘は的中したようだ。

そうした方々の為にと思い、まだ祀って間もない「歓喜天」の功徳を話すと拝んでおられる。私も略式ではあるが、簡単な子授けの加持をさせて頂いた。この水子供養が良い仏縁となって子供を授かる事を祈りたい。今日の水子供養でした母体加持の効果か、来られた時に比べて晴々としておられるように見えた。いつかわからないが、お礼参りに来られる日も近いのだろう。

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一周忌の妙味

っ昨日の日曜日、檀家様の一周忌の法要をさせて頂いた。亡くなれてから百か日忌というお参りがあるが法要というほどのものではなく、この一周忌が初めての大きな法縁である。今思えば、百か日忌のお参りをしていると何か気の抜けたような感じで仏さまの感応がなかったのが気になっていた。

というのも、この家は故人が亡くなってから空き家で普段は誰も住んでいないのである。長男は隣町に家を建てて住んでいるので、いずれこの家も売りに出されるのだろう。そんな中にあって仏壇はそのまま放置されている。長男にも話をしたことがあるが、様々な事情があるようだ。

百か日忌の事があったので、今回の一周忌はいつもより少し長く四十分〜四十五分の読経の次第を作り臨んだのである。仏さまの性根が抜けているので念入りに拝む必要があったからだ。私の予想通りで二十分余り読経していると、たくさんの仏さまの歓喜の声で賑やかになってきた。

私も腹からの精一杯の大きな読経で応えたが、普通ならこんなに早くは仏さまが感応されない。おそらく亡くなられたおじぃさんやおばぁさんが良く拝まれていたからに違いない。久しぶりに私も仏さまのご加護のお蔭で良い思いをさせて頂いた。おそらく参列者の心にも響いて良い仏縁となったことだろう。

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命名と戒名

先日、水子供養の申し込み用紙に書かれた名前が男性に思えたので、「できれば女性の名前で供養した方がいいですよ・・」と助言したつもりであったが、「これ私なんです」と若い女性が言われた。私はてっきり名前の最後の文字に「雄」とついているので男性と思っていたのである。昔なら女性に子供の子をつけたり、男性は男や雄などをつけたりして男女の見分けができたものだ。

最近の子供の名前は当て字が多く、男性と女性も区別がつかない名前が多くなってきている。中にはこんな変な名前をつけられて可哀そうと思える名前もあるが、こればかりは赤ちゃんの命名権は親にあるので、両親の考え方やその時の環境、情勢にもよるのだろう。

戒名も命名権は導師をする僧侶や菩提寺にあるが、大きく作用するのは僧侶自身の宗教観や教養によるところが大きい。俗名でも語呂や読み方などを気にするが、戒名も同じだ。ただ、戒名の場合は故人の意向を知ることができず、遺族の気持ちに寄り沿ったものになるのは仕方ないところだ。

結局は俗名も戒名も命名する人の人生観や器量、環境などで左右されるのかも知れないが、この世とあの世の違いはあっても名前には変わりない。授けられた名前がその人に馴染み相応しくなって行くのだろう。
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