ちけん坊のブログ

日頃の仏事での出来事や感じた事などを綴っています。写真は花や虫を中心に自然の風景を掲載しています。

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月例護摩の将来

昨日は二十八日のお不動さんの日で、月例の護摩を修法した。残念なことにお参りは一人だけで、このところお参りされる方が激減していている。思えば僧侶になってから欠かさず月例の護摩を焚いてきているが、その頃によくお参りされていた方々もすでに亡くなられたり、高齢になられてお参りが出来なくなっているのだ。

若い世代の方の添え護摩木を焚いてはいるが、いずれも祖母などが孫の心願成就を願って焚かれているものである。不思議と添え護摩木はまだ五十本以上はあるが、半数は遠方の信者さんであり、今までお参りされたことは一度もない。添え護摩は私を信じて御守り代わりなのだろう。

この月例の護摩の次第は、観想の時間と実際の修法する時間を合わせると二時間余りかかる。長座で高齢者には辛いと思い、火天段に入るタイミングを施主さんの入堂に合わせてきたが、更なる工夫と配慮が必要なのだろうか。このまま月例の護摩を続けることはかなり難しくなってきた。大師講や観音講などの行事もお参りが激減していることを思えば、この護摩のようなマニアックなものは淘汰される運命なのかも知れない。私の体力的なものもあるので、何処かで決断しなければいけない時が来るのだろう。

◆二週間前に撮ったセツブンソウ
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路傍のお地蔵さん

いつも通っている路傍の空き地にお地蔵さんがあった。随分と古くからあって、通る度に右手でハンドルを握りながら左手を立ててよく拝んでいたものだ。季節ごとに雑草のような花が供えられていたので、誰か他にも拝まれていたのだろう。ところが、最近その空き地に大きな建築資材が置かれお地蔵さんが全く見えなくなってしまった。

おそらくお地蔵さんは田んぼの畦道と空き地の境目に祀られていて、空き地に置かれた建築資材の向こうにおられるようだ。この数か月の間、通る度に気になっていたので思い切って確認してみた。やっぱりお地蔵さんはおられたが、お地蔵さんのわずか二十センチほど前に建築資材が高く積まれているのでどうすることもできない。

お地蔵さんの背面には施主さんの名前と子供の戒名が彫り込まれている。おそらくこの道路で事故に遭われたのだろう。子供の菩提と交通安全を願って祀られたようだ。空き地は建築会社の所有なのかも知れないが、お地蔵さんも路傍の石ころ扱いで何かやるせない思いがする。早いうちに建築資材が撤去されることを祈るしかないのだろうか・・・

◆勿忘草が咲いていた。
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駐車場の完成

寺の参拝者用の駐車場が完成した。今年はぼけ封じ観音の当番寺院に当たっているので、参拝者用の駐車場を整備して欲しいと総代様に申し入れていたものだ。先代の時には寺の参道の下にバスなどが駐車できるように広い空き地を駐車場としていたが、寺までは少し遠いので境内の近くに新たに作って頂いたのである。

何分にも予算がなく、総代様の一人が奉仕で作ると話されていた。ところがその場所には三十数年前に県の工事で大きな堰堤が作られたが、その時に出た巨石が置かれていたので断念されたのである。結局、先代の時から無報酬に近い金額で境内のあちこちを造成されてきた他村の土木屋さんに頼まれたようだ。

その土木屋さんは先代の時の筆頭総代と友達という縁で、当寺に今までかなりの寄進をされてきている。寺は石段があって昔は車で登る道がなかったのであるが、新たに道や橋を作って境内を広げて頂いた。護摩堂の基礎工事やぼけ封じ観音の基礎工事など数多くの工事を無報酬でして頂いている。今回も「お寺さんの事やから・・・」と快く引き受けて下さったようだ。有り難い・・・・(^^♪

青空駐車ではあるが、私の自家用車もそこに置ける。ほとんどの寺には住職の車庫があるが、貧乏寺では贅沢を言えない。これで行事の度にマイカーの置き場所に悩まなくて済む。今までは目立たないようにと水子霊園の前に停めていたが、本来は参拝場所であるからだ。今年から檀家様一軒当たり一年に八千円の積み立てをするようになったが、十年貯めても八百万円である。寺の建て替えは当分難しいだろう。


◆ヒメコスモスのような花が咲いていた・・・
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屋内用水子地蔵

数年前から本堂の裏の位牌堂に祀っていた阿弥陀如来の造り付けの逗子が空っぽになっていた。先々代の頃に雨漏りしていたらしく、祀っていた阿弥陀如来の金箔が剥がれ落ちたので逗子から出して別の所へ安置したようだ。逗子は長い間使われずにいたが、何とかその空間を利用できないかと数年前から屋内用の小さな水子地蔵尊を祀るようにしたのである。

逗子の天板は雨で剥離していたが、そこにベニヤ板を張り付け補修して棚を作りそこに祀るようにした。当初は数体で寂しかったが、今では六十体ぐらいになってきている。水子霊園の石の地蔵さんに比べるとかなり小さいが、その分価格も安いのでこのお地蔵さんを祀りたいという方が増えているようだ。

最近は屋外の水子霊園に匹敵するくらい、週末になるとお参りの方が増えて来た。本堂の前は鍵をかけていないので、勝手に出入りしてお参りされている。お参りし易いようにと最初にそう言っておいたのであるが、まさか本当に多くの若い方々がお参りして下さるとは思ってもいなかった。「ようそんな面倒な事をしてはるなぁ・・・」と同業者のお寺さんから言われることがあるが、真剣に水子供養と向き合っているか否かだろう。

今私は、若い方々の仏性を開花させたい一心である。料理店に行って美味しければまた行きたいと思うが、仏事もそれと同じではないだろうか。こうした若い方々に信仰心の種を植え付けるまたとないチャンスである。だからこそ、また来寺したいと思えるよう心からの供養に務めなければいけないと改めて思うようになった・( ^ω^)・・・

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兼務の悩み

先日、知り合いの曹洞宗の住職と話をする機会があった。話題になったのはお葬式の役僧の人数である。数年前までは両鉢といって役僧六人のお葬式が多かったのであるが、最近はほとんど片鉢の三人になってしまったと嘆いておられた。この地域は曹洞宗が圧倒的に多く、結集寺院もそれだけ多いので片鉢になると役僧に呼ばれない寺院が出るからだ。

私の所属する真言宗は結集寺院が少なく、元々片鉢の三人が主体でそれほど影響を感じていなかったのであるが、寺院の多い曹洞宗ならではの悩みなのだろう。思えば曹洞宗は寺院の数も多いが、その分住職のいない寺も多い。一人の住職が三、四軒ぐらいの寺を兼務されているようだ。それ故に、忙しいので壇務が雑になるのは仕方ないのかも知れない。

その住職さんが言っておられたが、寺を三つ兼務すると行事も同じように三回しなければならずかなりの負担で、「檀家様と向き合って丁寧に努めてあげたいのはやまやまだが・・・」と兼務の難しさを話しておられた。益々の仏教離れが懸念される。やがて私の宗派でも兼務寺院が増えてくるに違いないが、小さな寺では住職の生活も成り立たず兼務も止むを得ないのだろう。

◆菜の花が咲き始めている。
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