|
こんにちわ!
とてもとても久しぶりに更新しています。
仕事だったり、親父だったり、自分のことだったりとPC前に居てもブログまで出来ませんでした。
時々皆さんの拝見してみたりとさせていただいていたのですが、コメントも出来ていませんでした・・・。
さてさて。タイトルの件ですが、今年1月前半につくば大付属病院に入院し「涙腺に出来た粘表皮癌」と言う非常に珍しく、
全国で8例程度しかないような珍しい癌になってしまった親父ですが、抗がん剤治療や放射線治療を行ったりとしましたが
結局2回の治療で体力的にも難しく、また、CTなどの所見も全体の3分の1程度しか癌が小さくならなかったために、今後の
抗がん剤治療は難しい(副作用等による危険が高い為)ので、治療はおしまい・・・・
その後、体力がある程度戻るのをまって、5月中旬に笠間市にある県立中央病院の緩和ケア病棟に転院しました。
徐々に体力も戻り、毎日の病棟散歩が日課となり、食欲は戻らないものの、元気になって家に帰りたいという思いから
いろいろな食べ物への興味も少し出てきて調子の良いときは週末の外出や外泊を行って家では時々タバコすったり(笑)
Drからは今が一番調子が良いから一度家に帰るのも一つとのお話をされて、親父も今まで以上に前向きになりましたが、
親父の精神的な部分(不安やソワソワ・落ち着かない・眠れない)などの部分が家族側でクリアできないのと、やはり
食事と水分が取りにくいと言う現状では退院は難しい・・・と薬の調整やメンタルケアを行ってきましたが、徐々に体力も
落ちてきちゃって、毎日の散歩も時間も回数も減り、徐々に歩くことも難しくなってきました。
1日中、ベッド上での生活多くなり、時々たって見たりはありましたが、7月に入ってからはそれすら難しくなってきました。
それでも外出は定期的に行い、7月27日の地元のお祭りでは息子(孫)が子供神輿をやるからと外出してきました。
大体、この10日前程度から一気に状態は悪くなり、歩くこともしゃべることも少なくなり、7月25日にはDrより、現状説明が
ありました。
前から言われてはいましたが、体力が落ちてきたことと、抗がん剤のダメージで癌による痛み等が出る前に老衰のような
形で寝ている間に逝く可能性が高いとは説明を受けていました。
25日に話をした内容は、ここ最近は急に体力も落ちてきてしまい、7月末か8月初旬には亡くなるかもしれないとの話です。
このことについて、どのようにするかの最終確認でした。
家族としては延命は望まず、本人の状態に任せると話はしてあったので、今回もその方向には変わりありません。
ただ、27日に地元のお祭りと29日に娘の1歳の誕生日があるからそれは出来れば一緒にすごしたい。
この2つは何んとかと・・・・。お願いしました・・・。
Drも少し点滴の量を調整したり、少し栄養価の高い点滴にしたりと対応していただけました。
無事にお祭り(本人はほとんど表情も会話もなかったけど、慶んでいたのか?疲れていたのか・・・分かりませんが)
外出して行くのは楽しみにしていたようだったから、喜んでいたのかな〜。
29日の誕生会は外出も予定していたのですが、全然体力がなく立つことも難しくなってしまい、病室内で小さなケーキを食べて
親父の好きなビールと刺身を持っていったのですが、食欲もなく食べることも飲むこともなかったですが、娘に「おめでとう!」って
声をかけていました。元気ならば一緒にプレゼントを買ったり、たくさんの食事やビールを飲むところなんでしょうが、やはり難しいですね。
30日、仕事が遅かったので、9時過ぎに病室に見に行ったら寝ている様子だったので、少しゆっくりして起こすとかわいそうだから
そのまま帰りました。
31日、家族で朝食を食べていると母親から電話がなり「病院からで親父が呼吸をしていないから来てください」と連絡がありました。
食事をすべてやめ、息子と娘を抱えて即効で病院へ。この間数分でしょうね・・・。我ながらすばやい行動でした!
ステーションに声をかけ、病室にいくと昨日私がみた父の寝顔のまま、まだ、体は温かく、声をかければ「おー」くら言いそうな
感じで、呼吸をしていない状態で寝ていました・・・・・
数日前にDrに話は受けていましたが、ここまで急だとやはり・・・・。
また、一人、寝たまま逝ってしまったのが寂しかったろうなとか思う反面、癌による苦しみや痛みに教われることなくゆっくり逝けたのは
良かったのかなとか、いろいろな思いがありました。
妹が病室に着くのを待って、家族全員がそろったところで死亡確認。
父は7月31日 午前7時44分 に62歳で永眠しました・・・・。
その後、病院からは非常に珍しいのでご家族がよければ今後の為、詳しい死因の確認のために解剖をお願いされました。
生前、筑波大でも症例がすくないので、治療内容や状況など研究や発表に協力してもらいたいと言われたときに父は快く
快諾し、少しでも役に立つならとはなしていたので、今回の解剖にも同意しました。
死因は涙腺原発の粘表皮癌による全身転移で間違えなしでした。
もっと詳しい原因などは現在調査中で分かるまではかなり時間がかかるそうです。
家族としてはいまさら原因どうこうよりも、今後、このような稀な癌になる患者が親父の症例によって少しでもよい治療が出来、また、
1日でも長く生き、完治できるようにその手だすけができればと思います。
今考えると、筑波大に入院したのは軽い気持ちですぐに帰ってくるつもりでの入院でした。
癌とわかってからも、必死に治療して必ず家に帰るんだと言っていました。
Drから癌の状態を本人を交えて話したときはさすがに落ち込んではいましたが、治療に専念すると言っていました。
父の最期の大仕事は前の大震災で全壊してしまった家のお墓の建て直しになってしまい、外出してきたときは、出来たばかりの
自分で建てたお墓をうれしそうに眺めにいっていました。
8月上旬に通夜・葬儀を済ませましたが、やく1週間は自宅に居ることが出来、毎日のように孫たちのにぎやかな声の中ですごせました。
息子はとても寂しいのかも知れませんが、意外と飲み込みが早く、思ったより寂しがって居ませんが、お盆を過ぎ、時々父の遺骨の前で
「じーちゃんがはる君と遊べないって泣いてるんだよ」なんて事を言われるとさすがに辛くなっちゃいます・・・。
「でもじちゃんはお空からずっと見ていてくれるから寂しくないんだ」なんても言います。
娘と双子の三人は1歳くらいだから何のことか分からないと思いますが、きっと心のどこかに覚えていると思います。
入院してからなくなるまで7ヶ月、長いようであっという間に過ぎていきました。
妹の結婚式に出るために衣装合わせに行ったりと結婚式を楽しみにしていたのですが、今回はかないませんでした。
花嫁姿見たかったかだろうなーとか、息子のの七五三も見たかったろうな〜とか色々考えちゃいますが、こればかりは
仕方ないですね。これからは父に変わって私が今まで以上にちゃんとしなくてはと思いますが、まだまだ不安もありますね・・・
ブログも写真も少しずつ撮りたいな〜。
また、皆さんよろしくお願いします^^
長文申し訳ありませんでした。
|
全体表示
[ リスト ]







青空さん、いろいろあったんですね。お疲れ様でした。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
2013/8/18(日) 午後 11:26 [ リサ ]
リサさん。
お久しぶりです。昨日、35日法要が無事に終わり、ちょっとは一段落って感じですね。
そして丁度一カ月でしたが、なんとも、まだ不思議な感じがするんですよね・・・
2013/9/1(日) 午前 10:12
すごく久しぶりに訪問をしたら、言葉を失ってしまいました。
皆さん色々大変で辛かったでしょう‥
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2013/9/8(日) 午前 0:25
KINGさん
ありがとうございます。
あっという間の7ヶ月間でした。入院する前日まで新年会だ!なんて酒をのんでいたのが懐かしいです。
癌。60代だとやぱり進行も早いですし、とても特殊で治療方法が変わらない中ですから、仕方ないとも思っています。
今後の医療の発展のために親父の病気が少しでも役にたつと信じます!
2013/9/10(火) 午後 10:14