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木曜日の夕方に行ってきました。
新生堂に足を運ぶのは、かなり久しぶり。
昔のまま、でも年季の積み重ねられた
ブロンズ童子に出迎えられて、
思わずにっこり♪
新生堂の正面入口のドアの取っ手は、
いきなり籔内佐斗司作品。
本当にお金のある人たちは、
こういうことにお金をかけるのか、
と、いつもため息が出てしまう。
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DMを頂いたときから気になっていたのだけれど、
堤さんと深海さんの作品って、全く性格が違う。
↓のURLに、DMに使われていた作品が出ています。
http://www.shinseido.com/exhibition/index.html
どうやって展示するんだろぉ〜、
って不思議だった。
で、行ってみたら、
堤さんの作品と、深海さんの作品が、
普通に並んで展示されていた。
これが不思議と、違和感が無い。
インク・カートリッジのパッケージをベースに、
アクリル絵の具で彩色した堤さんの作品の、
リズムの良さを満喫。
リズムに乗せて、足を3歩進めて、
独特の深海さんワールドにどっぷり浸かる。
深海さんワールドを心の中で言語変換し尽くしたかな?
って思えたところで、
顔をずらして、堤さんの作品に目を移し、
そのリズムに引っ張られるように、また3歩進む。
そんなことを繰り返して、
ギャラリーを1周。
今度は、作品からちょっと距離をとって、
深海→深海→深海→深海→深海
堤→堤→堤→堤→堤→堤→堤
と、シリーズを通してさっと観る。
音楽のパーカッションとメロディーラインを、
楽しむのに近い。
時には、どちらかのみを分析的に集中して聴き、
時には、ふんわりと全体的な空気感を聞く。
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深海さんの作品を見ていて、
ちょっと前に観た、モンティー・パイソンの
映画を思い出した。
観る人によっては、「笑える」ツボを、
ストレートに刺激してくるのかもしれないとも思う。
私の場合は、
何かから必死で守ろうとしてきた一番柔な部分を、
瞬間に凝縮されたシーンに、
さらっと表に出されてしまった気がして、
痛いなぁ〜、、、、って思いながら、
まぁ、笑うしかないか、
って、ようやく笑いに達するのだけれど。
どうして、あんな微妙な瞬間を、
いとも簡単に(と観ている人には思える)、
平面に表現できてしまえるのだろう。。。
ストーリー性のある絵画世界と、
独特の笑いのセンス。
前世は、イギリス人に違いない!
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堤さんの作品を見ながら思い出したのは、
西部デパートの紙袋。
私は、あの紙袋を見るたびに、
青と緑の配列に規則性を見つけられるのか、
かなりの時間悩んで、
結局わからずに諦める、
という無駄な思考を楽しんだものでした。
ありそうで、なさそうな規則性に惹かれて、
いつもワクワクしていた。
堤さんの作品のリズムの良さも、
ワクワクを引き出してくれる。
「なぜ、パッケージを使おうと思ったんですか?」
との(おそらく飽きるほど訊かれているだろう)質問への答えで、
印象的だったのは、正確には思い出せないけれど、
「パッケージを開いてみると、こんな風になっていたのか!」
って思う、っていう素朴な答え。
「地球環境への配慮、リサイクルの重要性を表現しようとしたからです」
なんて答えられたらどうしよぉ〜、
って、実は、内心ではビクビクしていたの。
だって、そりゃリサイクルは大事だと思うけれど、
それが作品の中に表現されているかといえば、
私には、到底、そうは思えなかったもの。
感じ取れなかった立派なコンセプトについて語ったって、
虚しい総論=空論にしかならない。
ところが、パッケージの形って、
改めて見てみると、いろんな工夫があって面白い!
っていうのは、すごく納得できる。
ギャラリーの入口にあった、
ティシュケースの作品を見ていても、
微妙にティッシュの出る口の形が、
それぞれ違ったりする。
それを繰り返しつなぎ合わせて、
出来上がってくる線に色を重ねて、
ワクワクする平面が完成する。
かつて、普通にきれいな具象画を描いていた人が、
あえて、自分から生まれる線を捨てて、
パッケージに委ねるのだから不思議。
作家とは独立に存在したパッケージ。
数あるパッケージの中から、
作家がパッケージを選び、並べる。
パッケージが描き出すライン。
作家が選び、際立たせるライン。
作家とパッケージとの間の支配権の移動、
作家とパッケージとのコミュニケーションが楽しい。
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青山の骨董通りを歩きながら、
ワクワクする一日を送りたい方には、
是非お勧めです。
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