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北緯37度付近の中世城郭
北緯36度付近の中世城郭の姉妹ページです。
102日から1118日に茨城県常陸太田市の国指定文化財「梅津会館」こと常陸太田市郷土資料館で常陸太田市教育委員会と常陸佐竹研究会の共催で企画展「小野崎一族と薩都神社」が開催されます。

小野崎氏は佐竹氏重臣ですが、家臣団の中では最大の実力を持っていたと言われます。山尾小野崎家、石神小野崎家、額田小野崎家3家があり、いずれも万石級の領地を有し、石神城や額田城などの巨大城郭を居城にしていました。
額田城の巨大さからその実力は察することができると思います。
イメージ 1

特に額田小野崎氏は、小野崎3家の中で特に独立志向が強かったと言われます。
戦国末期、伊達政宗から届いた佐竹氏からの離反を誘う「額田密書」あるいは「伊達密書」で有名です。そのため、戦国末期に佐竹氏に滅ぼされます。

小野崎氏は佐竹一族とは関係なく、藤原秀郷の子孫とされます。
佐竹氏が常陸に根を下ろす前に常陸北部を領していた一族です。
結城氏、小山氏、佐野氏、江戸氏と同族ということになりますが、管理人は本当か?と思っています。
小野崎氏とは、金砂大祭礼等で知られる古代氏族の末裔だったのではないかと思います。

ある部族が入ってくれば、在地の人達と摩擦、軋轢が生じ、それが伝承、伝説、資料に何等かの痕跡が残るはずですが、それらしいものがここにはないのです。
養子のような形で秀郷系の人が入った可能性もありますが、古代氏族が小野崎氏に変貌したとすれば、摩擦は起こりえないことが納得できます。
 
その小野崎氏の崇拝した神社が「薩都神社」です。
変わった名前の神社です。
「殺屠」が本当か?邪悪を成敗する、あるいは蝦夷を成敗するという意味が隠れているようにも感じます。その使命は古代氏族の役目だったはずです。

既に名前は「常陸風土記」にも出てきますので古い歴史があります。
あのパワースポット「御岩神社」の里宮でもあります。
「御岩神社」は御岩山山頂の巨石が御神体であり、そこからは縄文時代の遺物が発見されており、縄文信仰の流れを汲んでいると言われます。

現在も両神社の宮司さんは小野崎氏の子孫が務めています。
この事実は何を意味するか?
これらも小野崎氏、古代氏族説の傍証になるかと思います。

そんな謎に満ちた小野崎氏、この地にはいません。
佐竹氏とともに秋田に行ってしまったようです。
小野崎姓は本家筋のみが名乗っていたようです。

しかし、この地には小野崎氏から分かれた氏族がたくさんいます。
根本さん、助川さん、滑川さん、茅根さん、小貫さん、大森さん、赤津さん、赤須さんなどです。
管理人の職場にも、近所にもたくさんいます。

この企画展では管理人は小野崎氏とその氏族の居城、居館に係るイラスト等の資料を提供しています。
刀剣や甲冑、模型、城址からの発掘品も展示されるそうです。

機会があれば、この企画展、ご覧下さい。

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