ここから本文です
北緯37度付近の中世城郭
北緯36度付近の中世城郭の姉妹ページです。

書庫全体表示

記事検索
検索

全478ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

これも自称、不審者M氏が見つけた物件である。
その検証に行った。
イメージ 1


なお、不審者情報という言葉を使ったが、これは適切ではない。
不審者情報というのは「〇〇公園に下半身丸出しの男が出没する。」というようなものである。
M氏、けしてそんなことはしない。
これは誤解を与える。

正確に表現すれば「不審者からの情報」とすべきだろうが、これも誤解を招く。
でも、面倒ちい!タイトル、不審者情報と変えずに使うことにした。
イメージ 2


しかし、その情報、正確なもの、本物であった。
でも遺構は、やっぱりしょぼい。

そこまで行くのに杉の倒木地獄を抜け、篠竹地獄を突破し、かなりの時間を要した。
おまけにタラの木の棘がGパンを貫通。
過疎化で山は管理されていないのだ。

篠竹地獄の中で「俺はいったいここで何をしてるんだ?」と自問自答しながら・・。
一応、地元の人に会ったら、「城の情報はないか」とか、聞くことにしている。
だいたいは「城なんて聞いたことねえなあ」と「道なんかねえよ。」が多い。
この日も麓で会ったばあちゃんに聞いた。
イメージ 3

珍しく「あるよ。あの山だよ。」との答え。
しかし、ばあちゃんの指した山は不審者情報とは違う山なのだ。
これは何だ?

結局、ばあちゃんの情報も正解だった。
城は2つ存在したのだ。
帰りにばあちゃん宅に寄り報告、さすが2つ存在することは知らなかった。
「あの山に行けたの?すげえねえ」ってしきりに感心。
汗かいたでしょうとペットボトルを2本くれた。
田舎の人はやさしい。
ばあちゃんに感謝を込めて。

では 茨城県城里町の塩子要害と二反田城を
HP http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/
http://yaminabe36.tuzigiri.com/satake2HP/sirosato2.htm
にて

この記事に

この間、久々に「内原イオン」(昔は内原ジャスコと言った。ジャスコって懐かしいねえ。)に行った。
そのついでに思いだしたので15年ぶりにここに立ち寄った。
イメージ 2

そしてまた気まぐれで縄張図を描いてみた。
イメージ 1

すべて気のむくまま、うちの猫さんと同じ・・

そんでもって気まぐれで、もったいないからついでにHP記事をリバイス。人生、気まぐれ。

ではHP http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/
http://yaminabe36.tuzigiri.com/ibaraki_kita2/mitosyuuhen.htm
にて

この記事に

川野辺さん

管理人の同僚に川野辺さんがいる。
凄く仕事ができて、まじめ、誠意があり、周囲から信頼が寄せられる眩しいくらいの人物である。

独断専行、「義理と人情、貸しと借り」「恩と敵は倍返し」をモットーに浪花節的な仕事をするような俺とは対照的な人物である。
イメージ 1


俺もあの人くらいになれれば・・・とは思ったが、すでに手遅れ。
それは叶わぬ望み。
その彼の出身は茨城北部
である。
中世、この地で活躍し、多くの史料に名前が登場する武家、川野辺氏の一族の末裔らしい。

彼の一族は平安時代からの歴史がある。

で、何で川野辺さんなのか?
川野辺を名乗ったのは千年近く前のことらしい。
元の姓は「那珂」さんだったらしい。

当時は分家したりすると、住んだ地の地名を姓にすることが多い。
川野辺を名乗った理由がやっと分かった。
意外と単純なことだった。
イメージ 2

文字どおり、先祖が住んだ場所、ネーミングの元となった場所が、「川のほとり」だった。
「ほとり」を漢字にすると「辺」である。

その場所の字名が「川ノ辺」、そこに城館の跡がある。
そこは、周囲を川が蛇行し川の中に浮かんだ島だったという。
・・ピッタリじゃん!
イメージ 3

今はかつての川跡は水田となり、館跡の島は比高6mの丘となり、上が平なので航空母艦のような感じである。
ここに来たら、千年後の館主の子孫(推定)の川野辺さんの顔が浮かんだ。

ではHP http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/
http://yaminabe36.tuzigiri.com/ibaraki_kita/noguti.htm

この記事に

行方不明の城

人は行方不明になる。
動くからである。動けなくなると行方不明にはならない。

近所のばあちゃんもいなくなり大騒ぎになった。
でも、動かないはずの城も行方不明になることがある。

名は知られているが、異名のため、どの城を指すのか分からない例は多い。
しかし、中には場所さえ分からない、つまり、行方不明ということもある。
平野部や都会地では、すでに跡形もなく分かりようもない場合も多い。

山ばかりの田舎、茨城北部では行方不明だった城が今でも出てくることがある。
常陸大宮市の東野城、檜澤城などがそれである。
両城とも文献にも登場し、出城を持つ城塞群を形成する大型の城だったが、確認されたのは近年になってからである。
伝承が途切れてしまっていることも要因である。
伝承もないような小さい城などは今もまだまだ出てくる。

文献には登場するが今だに場所も、この城だと断言できない城がある。
その城の名前「鳥渡呂宇城」という。
変わった響きの名前である。
「うとろう」とか「うとろ」と読むらしい。
イメージ 1

管理人など「となりのトトロ」を思わず連想してしまうけど・・・。

佐竹氏の内乱、山入の乱に係わり、足利持氏から永享7年(1434)11月、鳥渡呂宇城に籠った山入勢を小野崎越前守が攻めたことに対する感状があり、そこに登場する城である。しかし、その鳥渡呂宇城がどこにあったかは謎であった。

なお、「鳥渡呂宇」と漢字で書かれているが、発音に漢字を当てはめただけのものらしい。言葉が訛って「うとろう」「うとろ」と聞こえた可能性もある。

しかし、この響きに該当するような城がある場所がなかなか見つからない。
管理人は笠間市旧内原町の「長兎路(ながとろ)」の響きが似ていると思った。
「長兎路城」という城も存在する。
でも、そこは山入の乱の舞台からは離れた地である。
イメージ 2

しかし、それらしい場所が見つかった。
しかも、城郭遺構らしいものもあるという。
場所は茨城県常陸大宮市、旧御前山村、国道123号線、金井交差点付近である。
山入の乱の主要舞台の1つ、長倉城はここの北西1.8㎞である。
これは臭い!

ここの地名を昔は「どろべ」と言っていたそうである。
漢字で「土呂部」「土路部」「泥部」と書くようである。
北の山から流れ出る沢は今も「どろべ沢」と言うそうである。
ぬかるみが深い湿地帯だったのであろう。

この「どろべ」という響きと「うとろ」、近似性がある。
「長兎路」も「とろ」地名である。湿地帯を見下ろす丘である。「とろ」は湿地を表す。

しかも字名は「竹の内」、これは城郭地名である。
あと城郭遺構があれば、それが鳥渡呂宇城の可能性がある。
で、それらしい物件はあった。城館のようである。
でもそれが籠城戦を展開できるような城郭ではないような?
今一つ確信は持てない。
違うんじゃないか?

では野口平沢館とともに・・これも城か怪しいけど・・
(一応、鳥渡呂宇城かどうか分からないので、地名をとって「金井館」としておきます。)

では HP http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/

この記事に

自称不審者こと城マニアM氏が見つけた物件である。
城の可能性があるので調査して欲しいと言われて行ってみたのだが・・。

シロシロ詐欺ではなかったが、・・・でも遺構は堀切1本だけ。
それを求めて比高100m以上の急傾斜の道なき藪の中を行くほどの価値があるものか?

それなりの時間も要する。
腹も減る。喉も乾く。汗まみれになる。
おまけに落ち葉で滑って転び、斜面を滑り落ちる。
イメージ 1

挙句の果ては下山中、道に迷い、予想外の場所から麓に出る始末。
ちゃんとした道に出た時は、現世に戻ったような気がする。
俺は冥界にいたのか?

踏んだりけったりである。
まあ、すべて想定の範囲内ではあるけど。

でも、いいんだ。
俺にとってはこれはトレーニング、身体の鍛錬であり、ストレス発散でもあるんだ。と言い訳をする。

もし、ここに行こうとする物好きな者がいたら、よく考えていただきたい。
管理人はもうこんなコストパフォーマンスの悪い城に行くのはごめんこうむる。

大きな獲物があればストレス発散になるが、これじゃあ逆にストレスになる。
もう、2度と行かない。
でも、せっかく行ったので記事にはする。

ではHP  http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/
http://yaminabe36.tuzigiri.com/satake3/oomiya2.htm

この記事に

全478ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事