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未就学の夕方お世話になってた幼児番組
木馬座アワー かえるのぼうけん 「かえるのぼうけん」というタイトルは当時から、ぜんぜん意識になくて、みんな「木馬座アワー」「ケロヨン」と認識してたのではないかも。グリコの「ビスコ」を買って食べたのもこの頃のこと。
おとなになっても忘れない 木馬はおもちゃの王様だ |

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未就学の夕方お世話になってた幼児番組
木馬座アワー かえるのぼうけん 「かえるのぼうけん」というタイトルは当時から、ぜんぜん意識になくて、みんな「木馬座アワー」「ケロヨン」と認識してたのではないかも。グリコの「ビスコ」を買って食べたのもこの頃のこと。
おとなになっても忘れない 木馬はおもちゃの王様だ |
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遥か彼方の遠い記憶。みんなと遊んでいた路地の風景などの記憶を辿っているうちに デパートの屋上や、そこの置かれていた、とても懐かしい噴水ジュース。 桐生市には当時、銀行も幾つもあって赤煉瓦の第一勧銀ビルは繁華街のランドマークでした。
本町通りには順に高島屋、長崎屋、伊勢屋、上州屋、十字屋など沢山のデパートがありました。
第一勧銀の並びに長崎屋がありました。ここでは母や伯母さんたちは洋服の買い出しに夢中、わたしたち子供はレストランが目当てでした。美味しそうなメニューの並ぶショーウィンドーを見るだけで楽しい。あとから思うとリアルな出来映えに関心する。
こういうの得意とする職人技みたいなものが日本にはあったことになる。いつも選ぶのは、お子さまランチ、ソフトクリームでした。それだけでご機嫌でした^^ 伊勢屋の屋上にはミニ遊園地もありました。ミニレールの列車に乗ったりしてました。
そこには噴水ジュースの自動販売機がありました。紙コップを引き抜いて10円だったか20円を入れると注がれる。冷たくて甘くて美味しかった。たぶん果汁10%未満だったかもですね。
昭和43年〜44年あたりまで街角で記憶してる自販機はないですね。
このころはジュースでもコーラでも近所のお店で瓶入りを買って飲むのが主流でした。
缶入りは置いてありましたけど缶詰の発展タイプでした。そろそろスーパーでは三角パックの珈琲牛乳とか並び始めてました。これはストロー差して飲めるので便利でした。 テレビCMでは見ていたコカ・コーラの自販機に初めて遭遇したのは前橋のジャンボボウルでした。ボウリング場×コカ・コーラの自販機はお馴染みの光景でしたね。 店内を歩いたり走ったりして家に帰ると疲れて寝てしまいました。
いま思うのですが、昭和40年代までは、都会でも田舎でもお店を構えればご近所を中心に買いに来てもらえて、ふつうに商売が成り立つ時代でした。 八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、豆腐屋さん、お煎餅屋さん、和菓子屋さん、お菓子屋さん、パン屋さん、お米屋さん、お茶屋さん、薬屋さん、洋品屋さん、履物屋さん、鍛冶屋さん、金物屋さん、酒屋さん、床屋さん、パーマ屋さん、花屋さん、写真屋さん、時計屋さん、家具屋さん、本屋さん、文具屋さん、おもちゃ屋さん、駄菓子屋さん、どこも駐車場なんてなかったけれど、お昼前や夕方になると買い物かごでサンダル履きで歩くのが当たり前でしたし、買い物途中で立ち話を楽しんでいたようです。 昭和40年代年代はどこの街でも比較的規模の大きいスーパーマーケットが増えて、商店街の王様みたいになって、問屋頼みの個人商店の小売業は圧迫されて淘汰されていきました。
そのスーパーも昭和50年代位以降、徐々に厳しくなっていきました。時代が平成に移ると、郊外型モールやコンビニに激しく浸食されてしまい、訪れる客も疎らに。そして閉店が相次ぎました。
駐車場がないとだめとか、そういうレベルじゃなくて、各家庭の冷蔵庫が大容量に。買物も広々とした駐車場のある大規模モール1ヵ所で肉でも魚でも野菜でも冷凍食品でも済ませるように・・・ なんでも便利さを求める生活者の習性は、男女を問わず歩かなくなり生活習慣病のメタボ時代を招いています。歩いて口頭連絡する→電話で済ませる→ケータイで買い物まで簡単に・・・こうしてネット通販に圧されて郊外型モールも頭打ちに。
商店街から客足を奪い、商店街をシャッター街にしたコンビニも、いまでは飽和状態に陥って
amazonと提携して売り上げを安定させていたはずのヤマト運輸も、通販が〇〇〇円以上のお買い上げは送料無料とか細かい配達時刻の指定に、現場の配達ドライバーは時間に追われて限界に。 苦悩の末amazonとの提携から撤退。繁栄と衰退。時代の変わる流れが速くなってる。 昔は商店休みといって水曜日が閑散としたシャッター街でした。いまは365日シャッター街。
先日桐生市では昔からの商店街が組合解散しました。こういうの寂しいな・・・
政治と行政が連携して大胆な流通卸の構造修正しないなら、いまやシャッター街と化した商店街の復活なんて無理。大手小売業の大量購入の単価に対抗できるなにか考案して法律で支えないと。 大手量販店やコンビニが出店し過ぎて潰し合いになる。
フランチャイズ本部の単位ではなく、1自治体単位で人口あたり何店舗と割り当てを決めて、新たな出店制限かけるなど飽和状態を改善する、健康のためにも歩いて買い物する習慣に戻す主婦運動を全国展開する、街の中心にある商店街を再整備する、といった手を打てないかな。 ♯桐生市
♯噴水ジュース自販機
♯商店街
♯シャッター街
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青い高原 (榛名高原学校の歌) 1.榛名スズラン朝がくる 町もあかりを消したやら なぎさよおはよう体操すれば こだまでかえすほととぎす 高原 高原 青い青い音楽 2.きょうはカッター水かがみ 漕ぐぜ大きく ひとまわり 合図は笛だよ 波うてオール さかさの富士を 登るのさ 高原 高原 青い青いゆめゆめ 3.夜はなぎさに黒い声 キャンプファイヤー燃やすのさ 肩くみうたえば目がしら熱く 手紙を母に書きたいな 高原 高原 青い青い思い出 なつかしい榛名高原学校
を思い出す機会がありまして、急に検索してみたくなりました。 それは日数にすると、たった三日ほどの滞在なんですけどね。 わたしたち内陸の海なし県に生まれ育った子供には、カッターボートを漕ぐ体験というのは強烈なんです。 カッター漕いで湖面を何周もしたりキャンプファイヤー囲んで歌って、騒いで楽しかったこと、部屋に戻って消灯すると一転して寂しくて眠れず、ふと窓の外を眺めると下界の街の灯りがきれいだったこと・・・ この齢になっても鮮明に思い出すのですから、 インパクトの強い三日間だったのだなぁ・・・ このように皆さんにも、それぞれに子供の頃の忘れられない大切な思い出というのは幾つもあるでしょうから、ふと思い出しましたら、その機会を逃さず、思いのままをブログ記事にしてみてくださいね。 |
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こちらは初代トヨペットクラウン。 いまの時代は、オモチャみたいなボディ質感といいますか、なんてうのかわかりませんけども、プラスチック素材みたいな見た目のクルマだらけなので、外観デザインだけでも完全復刻すればいいのにと思います。エンジンや燃費は現代のもので。
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1967年型クラウンスーパーデラックス
こういうのは昭和の郷愁そのものといってもいい動画ですね。 それにしても新車そのものの見事な仕上がりですね。 とはいえ気温37℃もの最悪コンディションだとかでは、さすがにね、路上でエンジン停止しちゃったり途中でボンネットを少し開けたまま走破するなど、道中えらいことになったようで^^; この1つ前の型であれば生前元気だったころの叔父さんの印象です。ポマードべっとりでした。
こちらのトヨタクラウンは、前橋市で暮らしてた昭和44年10月〜12月、昭和53年11月〜翌54年5月まで頻繫に乗っていた記憶がある。まだ昭和世代のクルマは乗り物酔いするタイプの揺れ方をするんですけれど。 |
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