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知っています、知っています。
冷静・謙虚・物事を客観的に観る心は知っています。
言葉で表現できるのが世のすべてではないという事を。
泣き声は50音では正確な表現ができません。笑い声も「ははは・・・」と書きますが、実際にはのどの動きがちがいます。言葉がすべてではないのです。この世もあの世も、言葉ですべての表現はできないのです。言葉は、真理の現象の一部分の論理表現技術でしかないのです。真理の世界を一部分の論理で網羅する事はできないのです。言葉を使っている事に慣れてしまい、いつの間にか頭の思考回路も言葉漬け、論理漬けになっているのです。この事に気づけば、運命なんて、「う」「ん」「め」「い」という4つの文字を恐れているだけだとわかります。運命も宿命も運勢も、結局は言葉を恐れているだけなのです。
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心は知っています
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知っています、知っています。
冷静・謙虚・感謝の心は知っています。
自分たちが今生きているこの世でも、死後の世界のあの世でも、最も美しいのは愛、無償の愛である事を。
無償の愛とは、相手のために尽くし続け、決して見返りを求めず、交換条件もつけず、受け入れられなくても相手を憎まず、相手を恐れず、相手に何をされようとも、相手がプラスの方向へ向かうように、希望を持ち願う力です。心から放ち続ける無限の光なのです。肉眼では見えませんが、財宝よりも比べ物にならないくらい美しいものです。冷静・謙虚・感謝の心による心眼で感受すれば観えるのです。
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知っています、知っています。
冷静・謙虚・感謝の心は知っています。
人は生まれてきた以上、いつかは死んで向こうの世界、つまりあの世に往かなくてはなりません。努力して、時々運に恵まれ、土地や住宅や財産を取得しても、それらをあの世へは持って往けません。だから、子孫等に自分の財産等をどのようにして欲しいか、伝えるのが遺言であり、それを書き示したのが遺言書です。しかし、遺言書に書いた通りに子孫等が必ずしも従うとは限りません。「遺言書ではこうだが、やっぱりこうしよう」とか言って変えてしまうかもしれません。それでも良いではありませんか。たとえ自分の遺言通りに従ってもらえなくても、子孫等が使い道を決めてくれるのです。もう自分はこの世には存在できないのだし、いつまでもこだわれば苦しくなるばかり。それよりは受け継ぐ人の好き勝手にやってもらって良いですよ。自分の残した財産等が誰かのために役立つのなら、それだけで良い。そう思った方がずっと気楽。そう、遺言書は希望の書。従ってもらう事にこだわると、苦しくて成仏できないでしょう。観世音菩薩(観音様)を真似し、慈悲の心・無償の愛を持てば遺言書に従ってもらえなくても、苦しむ事なしです。
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知っています、知っています。
冷静・謙虚・感謝・観世音菩薩(観音様)に象徴される慈悲の心は知っています。
観世音菩薩(観音様)をお参りに行くと、お寺の境内によくあるのぼり。そののぼりに『南無観世音菩薩』と書いてあります。『南無観世音菩薩』とは観世音菩薩に帰依しますという意味。魂のレベルで帰依します。つまり同化しますという事。自分自身が観世音菩薩と同じになりますという事。「観音様助けて下さい」ではないのです。つまり『南無観世音菩薩』とは『私自身、この世で生きた観世音菩薩として、あの世に逝ってからはあの世で観世音菩薩として、苦しんで困っている人を救済します』というお誓いの言葉なのです。ですから冷静・謙虚・感謝・慈悲の心を磨き、『南無観世音菩薩』と一心に唱える人には、問題事を解決する智慧(ちえ)が宿るのです。
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知っています、知っています。
冷静・謙虚・感謝・観世音菩薩(観音様)に象徴される慈悲の心は知っています。
観世音菩薩(観音様)のお経として、摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう):『般若心経』や、妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品 第二十五(みょうほうれんげきょう かんぜおんぼさつ ふもんぼん だいにじゅうご):『観音経』があります。
私たちは、生きているうちにいろんな困難や苦しみにあいます。苦しいからイラ立ち、ケンカや暴力で物事を解決しては、ますます世の中が悪化し、自分たちの心の平穏は得られません。お経は人生哲学の結晶だとも言います。つまりお経は、困難や苦しみに満ちた人生から平穏を取り戻し、人生自体を極楽にするよう、心の持ち方の書なのです。ですから観世音菩薩(観音様)や地蔵菩薩(地蔵様)が登場する物語になっているのです。
お経は、亡くなった方があの世で苦しまず極楽に逝けるようにと唱えるだけでなく、今生きている自分の心・魂を浄化するために唱えるものでもあるのです。
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