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蝦夷・アテルイの戦い 9

第13章 ヒタカミ大戦争とは何か

延暦21年(802)、つまり、今から、1200年前の四月15日、夷大墓公アテルイ、盤具公モレ等、種類五百人を率いて降る、と田村麻呂から桓武天皇へ報告されている。という
著者はこれは受け入れることはできないという

アテルイとモレも兵士も降伏した訳ではないという
狡猾な田村麻呂の講和という罠に引っ掛かったのであろうという
彼らが京都に行ったのは、交渉と調印のつもりで出掛けたのだという

大阪の枚方ひらかた市の片埜・かたの神社の横に首塚があるという
この辺りは旧河内国交野・かたの郡にあたるという
この地は陸奥守をした百済王敬服の植民地であったという
また、交野ヶ原と言って王候貴族の遊猟地であったという

枚方市の中心地に禁野・きんやという地名があります
王族以外は入ることが禁止されていた野だったということですね
鷹狩りはエジプトから始まってシルクロードを経由、日本には百済王族が持ち込んだという
著者はこんな土地で謀殺したことが許せないという
イメージ 1


田村麻呂が創建したという清水寺にアテルイ、モレの碑が近年設置されたという
彼らが謀殺されたあとも戦いは続いたという

811弘仁二年
宝亀五年以来、当年に至るまで征戦は三十八年に及び、皆疲弊しているので、ここで連戦を終結させ、民を休養させることにした。と征夷大将軍がいったという
著者はこれはエミシがヒタカミ大戦争に勝利したと言えるという
蝦夷征伐は奴隷獲得戦争であったともいう
エミシを全国各地に強制移住させ、兵役や奴隷労働に当たらせたという

八世紀はじめから九世紀はじめまで約百年間に強制移住させられたエミシの数は万単位になるという

第14章 アテルイ後の戦いとは何か

大和朝廷の蝦夷征伐の停止後もエミシ俘囚の反乱は相次いだという

安部一族がヒタカミノクニにエミシの独立国を築いていたような記述がある
やがて、朝廷によって滅ぼされた
しかし、やがて奥州藤原一族が独立国らしきものを築いたが形式的には朝廷に従属していた

やがて、義経をかくまったと言いがかりをつけられて頼朝によって滅ぼされた

豊臣秀吉の時代に、九戸政実・くのへまさざねの乱があったという
全然知らなかった

江戸時代には大きな一揆が多く起こったという

幕末明治維新には維新政府と奥州列藩同盟との間に戊辰戦争があった

また日本の天皇制国家は、アイヌモシリ、琉球を植民地化したのをはじめ、台湾、朝鮮、中国、東南アジア、南太平洋へとその侵略の手を広めていくが・・という著者の捉え方を述べる

そうですねぇ、著者の捉え方も確かにあると私も思います
しかし、ヨーロッパ列国やアメリカなどの侵略、植民地主義国家がアジアを徘徊し日本自体も危機が迫っていたという背景もあったという時代的事実もあったと思います

しかし、何時の時代においても侵略や戦争は有ってはならない

エミシたちの戦いは自衛の戦いであった訳ですね

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