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 父母が残してくれた写真の中で、永い間【撮影場所不明】の集合写真が2枚有りました。
 私が知らない小母さんに抱かれた、1歳過ぎの写真です。(○印)

 父親、泰山はこの頃、大瀬村駐在所から天神村駐在所(現在、愛媛県喜多郡内子町)へ転勤になり、昭和14年春に、次男の俊光が天神村駐在所で生まれております。
出産前後のお手伝いに、近所の懇意な方に子守を、お願いしていたのでしょう。
私の姿から、場所は大瀬だろうか?天神だろうか?永年疑問に思っておりました。

 昭和47〜8年頃でしょうか・・内子町で手広く商売をしていた家内の父親に写真を見てもらったところ「はっきりは判らんが、天神の香林寺さんじゃないじゃろかぁ〜、そがいな感じじゃ〜」ということでした。

イメージ 1




















          後列右の和服姿が、香林寺先代ご住職・・

 閑散とした「天神村」の筈なのに、「産めよ増やせよ・・・」の時代のこと、ぞろぞろと何と子供の多いことか・・・恐らく学校へ入学する前の幼児を集めての農繁期託児所だったのでしょう。
この誰もが、しっかりした凛々しい、いい顔をしているのが驚きですね。

小学生時代に内子で↓印のお二人は拝見した記憶はあるのですが、○印が私で、私を抱いてくれている人も判明していません。
ただ、昭和13年に写した写真に「その人らしい親子の写真」が残っているのです。
大瀬村で写したかも知れないと思っていた、「私を抱いた産婆さんらしき人と、ご近所の親子さん」の写真の人が似ているので、同一人物なら、これも天神村での写真だと思います。


イメージ 2
















写された時から既に70年余り・・・二世代の時代が過ぎています。


在阪の天神出身の同窓生、数人に写真を見てもらいましたが、誰一人思い当たる人が居ないとの事でした。
 今更、70年前の子供らの顔を見て、顔見知りは居ませんか・・?とは、無理難題な話でしょうね。
 写っている子供さんが、全員73歳以上になっておられる年代なのです。

 昭和50年頃だったでしょうか、「天神の香林寺を確認するだけしておこう・・・」と門前まで行って、写された写真を思い出しながら、同じ角度で写した写真が次の写真でした。
駐在所の在った場所を確認したかったのですが、周辺に人っ子一人居なくて確認出来ませんでした。

写真を並べて見て、初めて「同一場所だ!」と実感した次第です。
当時は、私も現役多忙中の真っ最中、ネットもブログも有る筈もなく、そのまま永年放置する結果となってしまいました。


イメージ 3




















            昭和50年頃の香林寺(内子町平岡)


イメージ 5




















          現在の内子町平岡・・香林寺石段 
     (樹木は伐採され、古刹の風貌の乏しいお寺になりました)



イメージ 4




















        当時、小田川を挟んで左が五十崎町、右が天神村


 その後「天神村巡査駐在所」の所在地を、天神出身の高校同級生「タァちゃん」にそれとなく問い合せてみましたところ「父が村長をしていた時、駐在所で写した写真が残っとったのよ、この駐在さんはお父さんじゃないですか?」と、この写真を持ってきてくれました。

 駐在さんこそ違いますが、正しく駐在所の表記が在り、場所は駐在所に間違い有りません、正にココです!

イメージ 7
  昭和17年頃の藤岡基莀村長(前列左)を交えての駐在さんと青年団らしい・・
          正面に「天神村巡査駐在所」とある。


 この写真を見て、以前に調査した付近に残っていた、受付窓口のある古い医院のような建物を思い出し、平成25年に再訪問しましたら、建物はそのまま残存しておりました。
 それが、正にこの建物です・・・感動しつつ写して参りました。

イメージ 8
            旧、天神村巡査派出所


イメージ 6




















      その後、天神村巡査派出所はこの建物に移ったらしい・・・



●第2話 「川端の宴会場」 ↓ の頃の話。

http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/8697811.html

第74話の②●大瀬村から「母子共に元気・・」のはがき・・
http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/21139096.html




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    私より幾つか下ですね。はっきり言います。昭和6年4月12日日曜日、町内会の花見の日だったそうです。

    [ - ]

    2011/2/25(金) 午後 6:15

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    ホンダ・ジェットの記事読んだ、有難う。エンジンの事知りたかった。私の12月22日読んでください。 総一郎ではなく宗一郎です。

    [ - ]

    2011/2/25(金) 午後 6:31

    返信する
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    Peterpanさん、ようお越しです。
    コメント有難うございました。
    宗一郎さんの文字は、後ほど訂正させて戴きます。
    ホンダジェットの記事に興味を示して戴き、済みません。
    あの当時、ホンダはプロペラエンジンを開発していたのです。
    私、終戦時は小学2年生で、松山市で空襲に逃げ惑っていました。
    その様子も記事にしています。↓ 今後とも宜しく。

    http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/9477431.html
    http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/9422738.html

    [ 泰弘さん ]

    2011/2/25(金) 午後 7:30

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    コメントありがとうございました。

    素晴らしいブログですね。
    この時代の写真は特に貴重だと思いますし、
    当時の事や資料をキチンと残る形で記録されてる方は少ないので・・・。

    [ elbranco ]

    2011/3/4(金) 午後 2:22

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    エルブランコさん・・ようお越しです。
    お褒めの言葉・・ほぞ痒いです。

    自分の生い立ちを、思い出しながら纏めているのですが
    小学低学年で空襲に逃げ惑う姿、防空壕から敵機を覗う姿などや、
    親の残した葉書なども軍事郵便あり、女子学徒動員報告ありで
    今と全く違う時代が、垣間見えて参ります。

    ま、ごゆっくり見てやってください。

    [ 泰弘さん ]

    2011/3/4(金) 午後 9:42

    返信する

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