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●日本統治時代の朝鮮・・⑭京城府の町並み・・絵葉書


【朝鮮半島を巡る歴史のあらまし】

1392年〜1637年・・・明の(属国)
1637
年〜1897年・・・清の(属国)
1897
年・・・日清戦争で日本勝利。下関条約により清の属国から開放され、大韓帝国として独立はしたが・・・
1903
年・・・ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避。

1905・・・日露戦争で日本勝利 (日本が大韓帝国の保護国となった)
1909年・・・李氏朝鮮政府が能力不足で財政破綻、外国に莫大な借金で国家運営が難しくなり、国内で李氏朝鮮政府への不満が台頭、日本への併合を望む声が高まり暴動に発展した。

1910年〜1945年・・・大
韓帝国の要請を受け日本が併合
(韓国皇帝、純宗が「請願」し
総理の李完用の指示で、側近の李人稙が密使として動いた)(日本が李氏朝鮮の破綻財政肩代わり)・・(明治43年〜昭和20年)

     寺内正毅初代総督 ↓           ↓ 李完用大韓帝国総理大臣

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   ↑大韓帝国皇太子 李垠(イ・ウン)             大日本帝国総理大臣 山形有朋↑            日韓併合記念絵葉書(大同門)・・明治43年8月

1945年〜1948年・・・日本の敗戦により米国統治(非独立)
1948年・・・大韓民国成立(米国軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)
1948
年・・・軍事独裁政権誕生(李承晩)、北緯38度線が国境と確定。

1950年・・・6/25.朝鮮戦争勃発、約400万人戦死(北朝鮮に、釜山周辺まで追い詰められた韓国軍は、国連軍の仁川上陸侵攻と日本からの 大量物資補給により逆転、鴨緑江付近まで攻め込むが中共軍の反撃を受け現在国境まで退却)
1953年・・・休戦協定成立・・・現在の国境線となる。


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日本統治時代の、朝鮮の古刹や風光絵葉書に付いては、右の地図にある●印の地区が殆んどとなります。

但し、絵葉書は見ての通り
社寺仏閣など遺跡を丁重に崇める朝鮮総督府のもと、大切に加護整備されており、ここに絵葉書として丁寧に記録されて参りましたが、日本統治終了後、朝鮮半島全域を巻き込んだ朝鮮動乱の戦禍で、何がどれほど保存されているかは定かではありません。

それどころか戦後は【朝鮮総督府庁舎】のように日本帝国残滓の名の下に跡形もなく抹殺解体されてしまったものもあるのです。

順次、ご紹介して参りたいと思います。



   [新義州]-[義州]           [会寧]-[羅津][雄基]
       |                         |
     [萬瀑洞]            [羅南][清津(チョンジン)] 
      [徳川]              [咸興]
------[朱乙]
・          |               |
・ 
       [鎮南浦]-[
平壌]----------[元山]
             [開城]                     [釈王寺]
・                       |                 |
  [仁川]-[京城(ソウル)]
--------[金剛山]
       
 |
            [公州][報恩]
   [扶余][論山] 
---------- [大邱]--[慶州]
        |             |    [蔚山]
       [木浦]
--[馬山][鎮海][釜山]


 日本の財を注ぎ、新しい朝鮮建設に携わった多くの日本人労働者が、朝鮮紹介に使用した絵葉書です。

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ソウルの町並み・・・       京城市街の中央部
大なる洋館は・・・手前より郵便局、朝鮮銀行、鉄道ホテル、京城日報社

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ソウルの町並み・・・          京城郵便局

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ソウルの町並み・・・          京城郵便局

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ソウルの町並み・・・↑郵便局と三越百貨店    ↑朝鮮銀行前の大広場


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ソウルの町並み・・・        広場を前に京城郵便局
南大門通りと、本町通りと、長谷川町とがほぼ十字に交差する広場を前にして京城郵便局が建っている。 赤と白との華麗な建物で朝鮮でも珍しい建物の一つである。

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ソウルの町並み・・・    最も繁華なる本町一丁目 (京城郵便局付近)

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ソウルの町並み・・・↑朝鮮銀行    ↑東洋拓殖会社京城支店 ↑朝鮮殖産銀行
         ↑京城郵便局               ↑京城株式現物取引所

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ソウルの町並み・・・     京城の広場に蒼然たる朝鮮銀行本店

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ソウルの町並み・・・↑商工奨励館       ↑商工会議所     ↑京城日報社


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ソウルの町並み・・・ 京城朝鮮ホテル        ↑朝鮮ホテル庭園の一部

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ソウルの町並み・・・        京城朝鮮ホテル

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ソウルの町並み・・・          京城朝鮮ホテル

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ソウルの町並み・・・          美しき京城停車場

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ソウルの町並み・・・    レンガの明るい色に映える京城駅

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ソウルの町並み・・・京城駅を望む
京城駅はルネッサンス式石材煉瓦併用鉄筋コンクリート建の壮麗な建物である。
表関は二階建て、乗降路は三階建てになっていて、
中央には大玄関を設け乗降客の通路とし、階上には食堂その他の設備がある。


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ソウルの町並み・・・       京 城 駅

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ソウルの町並み・・・↑京城駅構内より南大門通りを望む  ↑京城駅  ↑市内、龍山駅


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ソウルの町並み・・・  京城・南大門通り二丁目

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ソウルの町並み・・・  京城・南大門通り一丁目

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ソウルの町並み・・・  京城・映画の殿堂・明治座


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ソウルの町並み・・・(左より) ・本町通り ・南大門通り ・黄金町通り

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ソウルの町並み・・・↑南大門通り          ↑南大門通り 
       ↑南大門通り          ↑韓路通り


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ソウルの町並み・・(上より)・京城府庁 ・総督府鉄道局 ・鉄道学校 ・総督府逓信局

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ソウルの町並み・・・   宏壮なる 京 城 府 庁

・・↓● その日帝時代の旧京城府庁を襲う・・
   通称「ツナミ」 ソウル新市庁舎

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   ソウル市庁舎に覆いかぶさる新館がコレ・・・

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ソウルの町並み・・・     京城の旧市街地

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ソウルの町並み・・・   京城の旧市街地  (同一地点)

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ソウルの町並み・・・  京城の旧市街地 (道路の中央に排水溝)  

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ソウルの町並み・・・ 1895年(明治28年)併合前のソウル市街全景
併合近代化前のソウルがコレ。藁屋根群落の向こう遥かに光化門と景福宮が見える



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    住所が日本と同じ形式であれって思いました。
    現地の人もいっちょうめと読むんですか?
    韓国語はハングル文字ですよね。
    ナイス!☆ミo(o^^o)

    [ coffee_mocha ]

    2013/11/2(土) 午後 11:01

    返信する
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    これら近代化した市街は、全て日本人が資金を持ち込み
    荒地を買って日本人が造ったのです。
    ですから日本人の住んでいる処は、日本並みの呼称を
    付けたのでしょう。

    今は、どう呼称しているか・・・は、判りません。
    あそこは、旅行するつもりも無いし、行った人に聞くしかありません。

    20年前から、漢字は教えていないそうですから、ハングル以外は
    読めないようですね。

    [ 泰弘さん ]

    2013/11/2(土) 午後 11:20

    返信する
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    素晴らしい記録を お持ちですね。宝です。宝の山を お持ちです。
    電子書籍として出版なさっておられますか?
    もし未だなら、出版していただけませんか?
    電子書籍なら、真っ先に全冊購入させていただきます。

    [ トンビ母 ]

    2013/11/10(日) 午後 0:58

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    トンビ母さん・・ご来訪感謝です。

    恐れ多い、お褒めの言葉をいただき感謝しております。
    電子書籍とのご要望ですが、何しろ私・・終戦時に小学生でしたので
    目下、ヨボヨボなのですね。
    余り、おおそれたことをするつもりも無く、現代人が殆んど知らない事項について・・・ブログに専念したいと思っているのです。

    もしも、トンビ母さんが利用されるのであれば、喜んでおまかせしますよ・・・どうぞ宜しくね。

    [ 泰弘さん ]

    2013/11/10(日) 午後 7:46

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    大変参考になりました。
    小生終戦時国民学校3年でしたので貴殿と同年代と推察します。小生は京城生まれですが事情で三歳の時本土の母の里に帰りましたので京城のことは何も記憶にありません。併し終戦前は母から又終戦後は両親から京城滞在時代のことを良く聞かされていました。それで一度自分の生まれたところを訪れてみたいと思い京城古地図、その他資料を集めているところです。朝鮮殖産銀行は父の勤め先でした。

    [ kho*jo1* ]

    2016/8/24(水) 午前 8:44

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    > kho*jo1*さん、よくお越しで有難うございます。
    私は終戦時、小学2年生でした。
    当時のことは今でも鮮明に憶えており、不思議なもので消えることも無いのです。

    日本人が自分の居る当地から、知人に挨拶状を送る文化が有ればこそ【絵葉書文化】が有るのですから、有り難いですね。
    それ故にこの様な当時の歴史遺産が残ってゆくのですから、ご先祖様に有難うと手を合わせなくてはなりません。

    [ 泰弘さん ]

    2016/8/24(水) 午後 8:43

    返信する

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