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当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年1月6日にピックアップした投稿をご紹介します。
宮古市重姉吉地区。本州最東端、鯔ヶ崎に程近い漁師町です。明治三陸大津波で二人。昭和三陸大津波で四人を残して全滅した姉吉地区。津波から子孫を守りたいと思った姉吉の先人は、より明確な警告を石碑に残しました。 2012年元旦。 新たな気持ちで被災者みんなが「他力本願」ではない、自らの力を振り絞り、結集うして、ふるさとの再生に向けてガンバル決意をするべきでしょう。 僕自身も、これまで以上の懸命な努力が必要だと新たな気持ちで、気合を入れて頑張る決意でおります。 写真を整理していたら、震災前の片浜地区の写真がありました。家を建てているときのものなので13年前頃です。毎日見慣れた景色で、「あそこは誰の家。ここは誰々さん」と説明出来るほど慣れ親しんできた地域でした。 震災で一変。友達の家族やお店のおじさん、おばさんなど、多くの犠牲者が出ました。我が家へも津波は押し寄せ、瓦礫により直後は孤立状態でした。あれからもう10ヶ月たつのにまだ夢のようです。 復興に向けて色々なことを乗り越え頑張っておられる山田病院の職員の皆様の姿に感動し
思わずメールしてしまいました。 すぐにお返事を頂きました。ありがとうございました。 メールにはこう書かれていました。
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東日本大震災 被災地からの声






きんちゃんのブログですね!
東京に出て来られ夜の明かりに、被災地と同じ日本かと・・・ここを3月11日の津波が襲ったらと考えてしまったそうです
多方面で自分で頑張っておられる、きんちゃん!
かなり疲れています
みんな、忘れないでいて欲しいですね!
2012/1/12(木) 午後 5:36
返信するはじめまして。今回の原発、お見舞い申し上げます。
私は、広島で生まれ、広島で育った56歳のオジサンです、失礼なことを言うようですが、広島・長崎にも原爆が落とされ、数十年、未だに消えぬ原爆の後遺症の方々が沢山おいでです、時代の背景もあったのでしょうが、広島・長崎は殆んど自力みたいな力での復興を果たしました、辛いのは、この3県とも同じではないでしょうか、今でこそ、皆さんの温かい志が受けられますが、その当時は、一人一人が頼ることもなく生きてきたのです、こんなことを言っては大変に失礼とは思いますが、もう少し、福島やその近県の方々も一人一人が復興の自覚を持って頑張っていただきたい、勿論、頑張っておられることは承知です、時代は違えど、広島・長崎を思えば出来ぬことではないと思うのですが・・。
頑張ってください。必ずや復興しますよ。
[ hanano_53 ]
2012/1/13(金) 午前 3:30
返信するはじめまして、はなといいます。こちらは実は新潟県。中越地震と中越沖地震と3月12日未明におきた長野北部地震の被災地でもあります。3月11日は震度4でした。うちの親は新潟地震の経験者でもあります。時間は掛かりましたが皆一生懸命復興してきました。辛いでしょうが力を合わせて明るい未来を作って下さい。
2012/1/17(火) 午後 5:16
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