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当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年3月5日にピックアップした投稿をご紹介します。
被災した南三陸町の商店街が仮設店舗で復活しましたよー。 国道398号沿いの旧合同庁舎の隣の敷地です。 いろんなお店がありますねぇ。 警察の人達も巡回してましたが、兵庫県警のお巡りさんでした。 近くの小さな日和山は、慰霊碑と小中学生によるさくらの木植樹、花束、線香があげられていた まだ、まだ復興は何処に?と、問われる現状 前にあった人家は、どだいのコンクリートのみ。人の気配はまったく感じられない。残った傷ついた標識や半壊の家、家が胸を打つ 近隣の海辺の町村は、瓦礫こそ撤去されていますが、鉄骨が残った建物、基礎をむき出しにした町が広がり、その中に足を踏み入れると、かつて生活していた人々の名残がのこされていて、一瞬で生活の場を失った人たちの悲しみが伝わってきました。
報道では何度も目にしている光景ですが、その中に入って見る風景は、画像としては同じでも、訴えかけてくるものは全く別物でした。 もう、忘れてしまった人たちがいること。
世の中が無関心であること。 無関心でいることが楽なこと。 声をかけてくれる人。 興味をもって振り返ってくれる人。 小銭入れをひっくり返して全部入れてくれる人。 先週も募金してくれた人。 実際の被災者さんが募金してくれたこと。 さて、まもなく震災から一年を迎えるという事で、 結構、大きなレポート的な記事を書いてみようかな?とか思っています。 と言っても、ただ単に被災地の現状を見てこようと考えています。 被災地と言っても、東北ではなくて、千葉の浦安地域や我孫子布佐地区、九十九里沿岸。茨城県太平洋側等 「忘れられた被災地」と呼ばれる地域を見ていけたらと考えています。 アクアマリンふくしま前のアクアマリンパークにて「みなとまち福幸まつり」が開催されました。
ちょっと様子を見てこようと出かけると、案外、人が集まってる。 小名浜美食ホテル前では太鼓の演奏があったり、 バンドの演奏があったりと賑やかです。
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今回は2012年2月27日にピックアップした投稿をご紹介します。
間もなく3,11から一年が過ぎようとしていますが痛ましい傷跡は消えるどころかそのままになっています。 忘れたくても忘れられないと口々に語る被災した方々の想いを見てください。 マンション5階まで押し寄せた形跡を確認してください。 岩手沿岸部から石巻にいたるまでの津波の高さです。 沿岸部の津波被害があまりにも、甚大だったため、報道も少なく影に隠れてしまいがちだが、被害は少なくはない。 最大震度7が、栗原市で記録された。(後、仙台市での細部に渡る地域検証で最大震度7があった)2008年の岩手・宮城内陸地震で特に被害が多かった事でも、全国区になってしまった。 水門閉鎖に従事し、犠牲になった消防団員 東日本大震災で消防団活動中に亡くなった団員は8市町村で90人。 陸前高田市が最多の34人で、宮古市が16人、大槌町が14人と続く。 このうち水門操作中、または水門閉鎖後の活動中に犠牲になったとみられる団員は49人に上る。 しかし今まで体験したことのない
ゆっくりとした大きな揺れに、書庫から本や資料が落ち、書類棚も倒れて 書類がその上に散らばる。 私は買ったばかりのPCを押さえて、揺れの収まるのを待つことしかできなかった。 足下の本と書類を押しのけ、事務所の外に出たのが15分ほど経ってからだった。 今回の作業内容は、お初の解体作業津波を被ったお家を改装するので、基礎以外の所を全部取るという作業でした。
簡単に言うと家を骨組みだけにしちゃうので、壁とかすべて壊すのが主な内容です。 「志津川駅」を中心に街があったと思われますが、
この南三陸町志津川地区で唯一あった商店に寄り三陸の名産品などを購入しました。 その商店にいた地元の方と少し話す時間があり 3月11日当日のお話をしてくださいました。
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今回は2012年2月21日にピックアップした投稿をご紹介します。
被災地の現状を知ろうと宮城県と岩手県の沿岸部を歩き回った数日間。 道の駅で車内泊を繰り返し、全ての町や村を自分の足で歩いてきた。 僕はテレビから流される偏った情報だけではなく、自分の足で、目で、被災地を感じたかった。 海の中に防災無線のスピーカーが傾いて・・・・ と思ったら、地震の時に地盤沈下して、海になってしまったようです。 手前のガードレールのこちら側が元々の道路だったらしい。 東日本大震災から、まもなく一年になります。
日本中の人がテレビで見て
陸前高田市の様子はご存知かと思います。 町も少しずつ暮らしが出来る商店が点在していました。
プレハブのauショップや プレハブの100円ショップ プレハブの陸前高田市の市役所と、少しづつ山沿いにはプレハブの建物が出来てきている様子を道すがら見てきました。 自分は先週末、陸前高田市に行って思い出の欠片を探してきた。
震災から11ヶ月も経ったのに未だに山積みになっているがれき。大切な物を全て津波で流しちゃったから、宝物を探しにがれきの中を歩いた。 被災地だけでがれきを処理するのには3年かかると言われるこのがれきの量。放射線量がどうだとか不安になっている人は陸前高田にはいない。 田野畑村でも、このようなケースがあり、消防団員が津波にのみ込まれています。
田野畑の場合、沿岸地域の自営業の漁師や漁協職員が消防団員を兼任しているのです。 おそらく、岩手ではそんな消防団員がほとんどです。 昨日、歯医者でたまたま出会った母親も息子を、水門閉鎖後の移動中に津波にさらわれています。
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