|
当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年2月21日にピックアップした投稿をご紹介します。
被災地の現状を知ろうと宮城県と岩手県の沿岸部を歩き回った数日間。 道の駅で車内泊を繰り返し、全ての町や村を自分の足で歩いてきた。 僕はテレビから流される偏った情報だけではなく、自分の足で、目で、被災地を感じたかった。 海の中に防災無線のスピーカーが傾いて・・・・ と思ったら、地震の時に地盤沈下して、海になってしまったようです。 手前のガードレールのこちら側が元々の道路だったらしい。 東日本大震災から、まもなく一年になります。
日本中の人がテレビで見て
陸前高田市の様子はご存知かと思います。 町も少しずつ暮らしが出来る商店が点在していました。
プレハブのauショップや プレハブの100円ショップ プレハブの陸前高田市の市役所と、少しづつ山沿いにはプレハブの建物が出来てきている様子を道すがら見てきました。 自分は先週末、陸前高田市に行って思い出の欠片を探してきた。
震災から11ヶ月も経ったのに未だに山積みになっているがれき。大切な物を全て津波で流しちゃったから、宝物を探しにがれきの中を歩いた。 被災地だけでがれきを処理するのには3年かかると言われるこのがれきの量。放射線量がどうだとか不安になっている人は陸前高田にはいない。 田野畑村でも、このようなケースがあり、消防団員が津波にのみ込まれています。
田野畑の場合、沿岸地域の自営業の漁師や漁協職員が消防団員を兼任しているのです。 おそらく、岩手ではそんな消防団員がほとんどです。 昨日、歯医者でたまたま出会った母親も息子を、水門閉鎖後の移動中に津波にさらわれています。
|
東日本大震災 被災地からの声
-
詳細
東日本大震災で被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。
Yahoo!ブログでは、今回の震災で被災された方からの投稿をご紹介するブログを立ち上げました。
Yahoo!ブログのスタッフが、様々なブログサービスから投稿をピックアップしています。
テレビや新聞などでは報道されない生の投稿を拾いあげて、被災された方からの声や、被災地の状況などを伝えていきます。
Yahoo!ブログのスタッフが、様々なブログサービスから投稿をピックアップしています。
テレビや新聞などでは報道されない生の投稿を拾いあげて、被災された方からの声や、被災地の状況などを伝えていきます。
コメント(5)
|
当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年2月13日にピックアップした投稿をご紹介します。
先日、宮城県南三陸町や岩手県陸前高田市の方へ行きましたが…福島県浜通り沿岸部も津波による甚大な被害を受けました。 その風景を見る為、国道6号線ではなくさらに沿岸を走る福島県道74号線原町海老相馬線を新地町方面へ。
そこに広がるのは、同じ福島県内とは思えないような風景でした。
話によると その地域の津波の想定は3Mであった 当日は津波の情報はなかったが 津波が来るらしいとの噂は地震後あった 津波が来るまでには地震後30分程度はあった その施設には100以上の老人がいた 陸前高田市にある「一本松」です。 復興のシンボルとして頑張っていました。 私達も、被災地の一日も早い復興を「一本松」に祈りました。 毎日寒い日が続いております。 早く被災地にも暖かい春が来て欲しいですね。 次回、また機会があれば、四日市運送さんの「あすなろ応援便」に参加させて頂きたいと思います。 どこのガソリンスタンドも、4〜6時間も並んで給油しなくてはならなくて・・・
でも、1cc も無駄に出来ない現状に 極寒の中、みんなエンジンを切って待ち 下り坂で車列が進む時は、ギアをニュートラルにして進んだのを思い出します (;¬_¬) 石碑には以下の文章が刻まれてました
津波 「 ともかく上へ上へ逃げよ。 てんでんこで逃げよ。 自分を助けよ。 この地まで津波が来たこと そして、裏山へ逃げ 多くの人が助かったことを 後世に伝えてほしい。 」 私がガキんちょの頃、この駅から宮古駅まで三陸鉄道の車両に乗ったので当時この駅がどんなだったか、今でもはっきりと思い出せます。イルカのイラストが入った御洒落な駅舎でした。。
そして、ここにきて初めて知ったこと。 それは、震災前までは見えなかった防潮堤が見えたこと。。 こうしてみると、いかにこの駅から沿岸までが近い場所にあったのか、思い知らされます…。
|
|
当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年2月6日にピックアップした投稿をご紹介します。
作業が割り当てられたのは、吉田さんという女性のお庭造りのお手伝い ずっとガーデニングをなさってて、オープンガーデン等で周囲の方々のいこいの場となっていたかっての庭園 津波で家もお庭も流され、現在は仮設住宅で御家族と暮らしていらっしゃいます 『希望の庭』という名前で、国内だけでなく、海外からもたくさん支援をうけて作業がすすんでいます 僕らのような、漁師や商店経営など個人事業主などは、廃業を決めない限り、自分で再建。もしくは雇用先を見つけなくてはならないが・・。 そんな中、水産加工や大きな企業など、津波でなんにも無くなり、企業そのものが廃業、再建復興出来ていないのだから当たり前の話だ。 自分の立っているところも元々線路があったと思われるところです。
茶色い鉄筋みたいが見えると思いますが、外されたレールが積み上げられていました。 この先にトンネルが見えます。 再びここに列車が走るのはいつになるのでしょうか・・・ 1日も早い復旧を祈っています。 バスに乗ると・・・
急激に吹雪いてきました! 雪の中・・・・多くの人が生活のため・・・・バスに乗ってます! 高校生やお年を召した方とか・・・多いです! バスが走るところ・・・ 津波の傷跡いっぱい残っています! 川も凍っていますが・・・ 橋の手すり・・・よく見えなくて悪いですが・・・ところどころ壊れています! 駅前広場。混んでいるように見えますが、駅は乗車券を発売するだけの場所。
「盛駅」は、リアス線との中継点。待合室は、被災者の交流広場として 提供されている。
|
|
当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年1月30日にピックアップした投稿をご紹介します。
‘子供たちから元気と希望をもらってます’
‘311以降、非常に厳しい状況でしたがこの子達がいたから乗り越えられました’
本当に厳しい状況が続いています。
そんな中でも子供たちはすくすくと育っています。沢山の優しい大人たちに守られながら。 明日の新しい、南三陸町を創るため、老若男女、全地域住民の力・知恵を集めれば、必ず蘇ることが可能と信じます。応援してます!
もう一人も犠牲者を出す事のない、津波防災に強い、沿岸部を創ろう。 福島県いわき市の小名浜港にある水族館、「アクアマリンふくしま」は、東日本大震災による津波で1階部分が浸水し、多くの魚が死亡し、生き残った魚の多くも他県の水族館に避難しました。
静岡県内では、沼津の三津シーパラダイスに現在もトドが避難しているようです。また、清水の東海大学海洋科学博物館には、「ファインティング ニモ」で有名になったクマノミが一時避難していたようです。 見た目には徐々に復旧しているように思えますが、現実はまだまだこれから、といった印象です。
数年は、この東北の地に留まり、自分の出来る事をしたいと思っています。
また、ハローワークにも通っていますので、こちらで仕事も見つけなければなりません。
お年よりや足の悪い人、子どもの誘導を世話した民間人の方たち……多くの人たちが、自分も生きたかったろうに、恐ろしかったろうに、しかし、その瞬間では自分よりも他の人たちの人命を優先したのである。
被災地の陸前高田市の施設での復興に向けた願いをグリーンのリボンに託した活動の日々。
そのリボンをモチーフにした作品で、「心をひとつに」。 (奨励賞を受賞)
|
|
当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年1月24日にピックアップした投稿をご紹介します。
石巻も復興計画が決定していないので、建物の復興はほとんど進んでいないのが現状です。 それでも、石巻に行くたび日和山へ上り、被災地の状況を見続けました。 震災から10ヶ月が過ぎて・・・と言うニュースが頻繁に流れていましたが、 先週の木曜日に陸前高田に行って、10ヶ月経った状態を見てきました。 高田のオートキャンプ場が仮設住宅になっていて、 そこに遠野の業者が仮設の集会所を1棟建築しているのです。 忘れないように、ということとあまり取り上げられない場所も行ってきたので報告です アップするか少し考えましたが・・・ 家屋の持ち主の方は複雑な心境かと思いますが、風化しないようにと思って・・・ 津波に耐えて残ったことで、復興のシンボルになった
陸前高田市・高田松原の、奇跡の一本松。 一本松は海水で根が腐り、保護は断念されていますが、 子どもの苗木が成長中だそうです。頑張れッ 仮設から街中にでる道路はゴタゴタ ┛(>_<;)┗
仮設周辺なのに除雪ナシ! うちの仮設より僻地にある仮設周辺はどうなってるんだろう?? 急な坂道を通る仮設はいっぱいある! 旧タブの木荘跡、旧平安荘跡、青年の家なんか大変だべ /(-_-)\ 振り返ると電車が止まっています。これはテレビでも放送されましたが、野蒜駅を出発した直後に地震で停車したままになっています。
駅は更に海沿いにあり被災を受けています。この下り電車の乗客は電車の中で一晩明かし助かったとされていますが、もう帰る駅がありません。 上り電車と駅のホームは壊滅しました。
|




