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当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年1月16日にピックアップした投稿をご紹介します。
結婚式やお葬式、旅行の写真、彼との思い出の写真。そんないっぱいの思い出が写真にはつまっていました。 みんな元気でいてほしい。 そしてこの写真が手元に帰ってほしい。 ボランティアのみんなが同じ気持ちだったのではないでしょうか。 外側が大物ではなく、中身が大物。何てったって、10ヶ月もの。 志願者を募ると、すぐさま手が挙がった。いやー若いって凄い。 写真は以前紹介した「防臭マスク」の付け方をレクチャーしているところ。 防臭マスクの本領発揮ですな〜。 それにしても、風上で作業したのは失敗...けっこう来てたよ。 なぜ、この街を訪れることになったか? それはこのブログから始まりました。 いつ頃だったか忘れましたが、やりとりするようになった釜石に住むあるブロガーさん。 特別に仲良くしていたわけではありませんでしたが、あまりにステキな写真をUPしてくれるので、 とても癒されていました。 その方が、あの 『3.11』 被災されたのです。 震災から明日で10か月。少しずつ落ち着きを取り戻している被災地ではありますが、その道のりの険しさを感じました。
また、破壊された堤防をよく見ると、中は砂利を詰めただけのものがほとんど。 砂利の周りをコンクリートで固めただけだったことを知りました。 私たちは、堤防の中は全部コンクリートだというイメージがありましたが、大変驚きました。 私自身は、東京にいるとだんだんと、震災時の気持ちが薄れていくようにも感じてしまいます。
現在の被災地の状況をお伝えし、私は何もできないのですが、一人一人が何かできることがあるのであれば・・・との思いで今回も掲載したいと考えます。 振り返ると電車が止まっています。これはテレビでも放送されましたが、野蒜駅を出発した直後に地震で停車したままになっています。
駅は更に海沿いにあり被災を受けています。この下り電車の乗客は電車の中で一晩明かし助かったとされていますが、もう帰る駅がありません。 上り電車と駅のホームは壊滅しました。
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東日本大震災 被災地からの声
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詳細
東日本大震災で被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。
Yahoo!ブログでは、今回の震災で被災された方からの投稿をご紹介するブログを立ち上げました。
Yahoo!ブログのスタッフが、様々なブログサービスから投稿をピックアップしています。
テレビや新聞などでは報道されない生の投稿を拾いあげて、被災された方からの声や、被災地の状況などを伝えていきます。
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コメント(2)
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今回は2012年1月6日にピックアップした投稿をご紹介します。
宮古市重姉吉地区。本州最東端、鯔ヶ崎に程近い漁師町です。明治三陸大津波で二人。昭和三陸大津波で四人を残して全滅した姉吉地区。津波から子孫を守りたいと思った姉吉の先人は、より明確な警告を石碑に残しました。 2012年元旦。 新たな気持ちで被災者みんなが「他力本願」ではない、自らの力を振り絞り、結集うして、ふるさとの再生に向けてガンバル決意をするべきでしょう。 僕自身も、これまで以上の懸命な努力が必要だと新たな気持ちで、気合を入れて頑張る決意でおります。 写真を整理していたら、震災前の片浜地区の写真がありました。家を建てているときのものなので13年前頃です。毎日見慣れた景色で、「あそこは誰の家。ここは誰々さん」と説明出来るほど慣れ親しんできた地域でした。 震災で一変。友達の家族やお店のおじさん、おばさんなど、多くの犠牲者が出ました。我が家へも津波は押し寄せ、瓦礫により直後は孤立状態でした。あれからもう10ヶ月たつのにまだ夢のようです。 復興に向けて色々なことを乗り越え頑張っておられる山田病院の職員の皆様の姿に感動し
思わずメールしてしまいました。 すぐにお返事を頂きました。ありがとうございました。 メールにはこう書かれていました。
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今回は2011年12月26日にピックアップした投稿をご紹介します。
はい、100人のサンタ達です。
遠野で言う、「まやまやど居る」だな。
遠野まごころネットの呼びかけで
集まってくれた人達です。 目的を共有している人間が集まっているので誰一人やらされている感がないこと休憩後でのじゃ〜はじめますって声をかけないでも自然と作業が始まる
そして、地味な作業でもこのスコップ一回の土起こしが農家の方の支援につながると思うと頑張れる
そんな雰囲気が漂っていてとても気持ちがよかったです
こんな機会を与えていただいたことに感謝です 物資配布の様子です。
多数の被災者の皆様が来てくださいました。
見る限り、物資不足は否めません・・・
中には物資が潤っている所もあると聞きますが、ここにも「格差」が発生している・・・
何とかならないものかなと思います。 大津波が全てを破壊し、大切な多くの命を持ち去った事実、それを、理解して欲しい・・・
土台だけになった風景は、多くの悲しみが作り出した情景です。
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今回は2011年12月19日にピックアップした投稿をご紹介します。
船を安全な場所に陸移動する作業。
予定が変更になり、昨日の午後にやりました。
同じ隣村の普代村・太田名部漁港内の陸です。
大型クレーンとトレーラーと作業員などを動員しての大掛かりな移動作業でした。 「がれき撤去」という一番目立つ活動はほぼどの地域での終息に向かいつつあります。ただ、これはボランティア活動が必要でなくなったということを意味するわけではありません。
避難所という被災者全員の姿が一望できる状態から仮設住宅に移ったという見えにくい状況に変わっただけで、課題が見えにくくなったということかと思います。 がれき片付けが早いスピードで進み、津波の痕跡が少しずつ無くなっていっても、残されたご遺族の方々の心の傷が癒えるには相当な時間が必要です。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、残された人達に早く穏やかな日々が戻ってくることを願ってやみません。
自分はは阪神淡路大震災の時、自分が被災地に何をしたか?
今思い返してみると少しの募金をしたくらいで他には何もしなかったと思います。
それが今自分自身が被災をして、全国の皆さんに心配や応援を頂いている。
情けないやら、申し訳ないやら・・・。 今日は大船渡市赤崎地区の仮設住宅にお手伝いに行ってきました。
ご婦人たちが集会所に集まって、クリスマスリースを作りました。
「きよしこのよる」を歌ったときは、涙ぐむ人もいました。
現実的には、厳しい仮設住宅での生活がまだ続きます。 私は更に海の方へと先に進みます。
すさまじい瓦礫の山が続きます。
これらの瓦礫は、ゴミとして出されたものではありません。
人々の日常生活の中にあったものが流され、やむなく集められたのです。
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今回は2011年12月13日にピックアップした投稿をご紹介します。
そして次に向かったのは陸前高田市
底には、いまだに津波で流出したものが蓄積しており、危険がいっぱいです。 ゴミを発見した時の対処法やバディの再確認等を行いました。 準備万端、海底清掃に出発です!! 元患者さんと結構あって いろいろお話し 先生絶対山田に帰ってきて再開してくれと何人もの人に哀願されたときは 目頭が熱くなった。
反面震災直後は被災地被災者の血走った眼の生きることに 必死だった殺気立った様子は 今はなくなったが反面これから先の不安めいた表情の方が多くみられる。 南三陸町
まだまだ片付いてませんね。 これからですね。 防災センターを見てたら涙が出てきそうになりました。
友達の手前泣きませんでしたが・・・ 一人だったら泣いてただろうな。。。( ノД`)シクシク… 自分に出来ることを少しずつしていきたいと思います。 これを機にまた行きたいと思います。 『おだづなよ!津波!!』と書いたTシャツを着た方がいた。 「おだづな」とは、「ふざけるな」と言う方言であるが、気持ちはよくわかる、、、 でも、この言葉に人間の驕りを感じてしまうのは私だけだろうか? テレビで幾度となく放映されている現地の惨状。 それは約半年経った当時でも変わりがなかったです。 何も無くなった現地では、がれきを積み上げる無数の重機やがれきを 運び出すダンプカー。 重機の端でがれきを拾い集めていく沢山のボランティアの方々。 復興、復旧に向けて慌ただしい雰囲気が漂っていました。
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