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当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2011年10月31日にピックアップした投稿をご紹介します。
津波で流されてきた瓦礫の山。 瓦礫の中には柱や床(フローリング)や家具、家電、衣類などがほとんどですが、一体どこから流されてきたのか 見当がつかないくらいこの裏山の周りにはアパート以外の建物はなくその形跡もないんです。 瓦礫をみるとそこには確かに生活があったはずなのに・・・・ ◆ 早くから被災者のために重要な働きを続けているボランテア団体の方々やご自身も被災され、被災地域で活動しておられる牧師先生とお会いし、インタビューをさせていただいた。 異口同音に、「まだまだ人手が足りない。また被災された方々と寄り添って話し相手になり、時間を共に過ごすことの出来る働き人を送って欲しい。」とのことであった。 ふと 足下を見ると おもちゃが・・・
陸前高田市は、大震災でお亡くなりになった方、行方不明者さんが1700人を超え 22日に 市主催で 半壊になった高田小学校に於いて合同慰霊祭を開かれたそうです。 遺族さんら約1500人が参列し、犠牲者さんに白菊を手向けられたそうです。 写真展パネルの奥の和室で、まったけさんが自ら編集されたDVD(動画)も見せていただいたが、港に襲いかかり、村の建物を飲み込む津波の凄惨さに息を呑み、目頭が...。
そして、まったけさんの、「ああ、船が流れる...、何もかも無くなる...、もう終わりだあ.....」の悲痛な叫び声が耳に残る...。 そして、あの巨大津波の第二波の襲来したその瞬間に、“ 時 ”を止めてしまった、まったけさんの家の目覚まし時計。
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東日本大震災 被災地からの声
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東日本大震災で被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。
Yahoo!ブログでは、今回の震災で被災された方からの投稿をご紹介するブログを立ち上げました。
Yahoo!ブログのスタッフが、様々なブログサービスから投稿をピックアップしています。
テレビや新聞などでは報道されない生の投稿を拾いあげて、被災された方からの声や、被災地の状況などを伝えていきます。
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コメント(6)
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今回は2011年10月24日にピックアップした投稿をご紹介します。
帰りにちょっと寄り道で牡鹿半島へ コバルトラインがどうなってるか調査に・・・ 半島からの景色ですが 実はこの半島・・・ 地震で5メートル太平洋側に動いたそうです(@_@ 道も亀裂だらけでバイクで走るには危険ですね 楽しい道だったんですが残念です 亘理町は高齢者が多く、衣類も太っていても着られるようなもの2Lサイズがもっと欲しいとおっしゃっていました。 「失礼ですが義援金は?」と伺いましたら 皆、口をそろえて2年後の再建を考えて少しでもその足しに…とっても使えないと また、お一人は「息子達が持っているから…」と淋しげに。。。切ない。 未だにこんな状態です。少しでも多くの方々のご支援がまだまだ必要…と感じました。 「大船渡線」
岩手県一関と盛を結ぶ路線 途中宮城県の気仙沼を通ります。 その気仙沼のお隣の駅が「鹿折唐桑駅」(ししおりからくわ駅) 現在は、気仙沼〜盛間が震災の影響で運休中です。 列車が走らない線路は赤く色づいています。 被災地のひとつ、雄勝町出身の知人に3月11日の話を聞いた。 彼女は首都圏に住んでいるけど、親戚やいとこたちはみんな雄勝町に住んでいるという。 震災前日、三陸辺りで震度3の地震があったという。それで、足の悪いおばと住んでいるいとこが、3月11日、仕事に出かける前に、もし何かあったらおばを連れて逃げて欲しいと近所の人に頼んだそうだ。
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今回は2011年10月17日にピックアップした投稿をご紹介します。
目的地の陸前高田市に行く 途中の気仙沼市で まるで宇宙戦艦ヤマトが 荒れ果てた荒野に佇むように 海の見えない市街地まで運ばれた 大きな船を遠目に見て やはりテレビや新聞で見た事は 現実に起こってることなんだと 思ったのでした。 宮城県塩釜郵便局屋上より撮影した写真です。 マリンゲート付近の駐車場から流された車両が 40台前後山積みになっています。 廃材の撤去作業をした綾里川は、この辺りでは鮭が遡上する3つの川の一つだそうで、作業の途中も、この環境で足元に鮭が泳いでいて逆に驚きました。
今回はまだ、ちらほらしか鮭は見えませんでしたが、11月には産卵の為、鮭が川一面に戻ってくるはずとのことでした。(今回はその為の作業でした…。) 福島駐屯地は第44普通科連隊。
大震災のときには、宮城県石巻市で救助にあたり、地元福島県入りしたのは、5月のはじめでした。 自衛隊の皆さんは、宮城県からご家族様の元には帰らずに、原発事故で捜索できなかった警戒区域に向かわれていました。 ご家族様は夫を父を子を思い、長い長いご心労の日々だったと思います。
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今回は2011年10月12日にピックアップした投稿をご紹介します。
東日本大震災により未曽有の被災をされた沿岸各地では、ようやく仮設住宅の建設が完了しましたが、多くの妊産婦さん方は今もって厳しい環境の中で暮らしておられます。
私たちは、被災地に元気な産声が聞こえ母と子の笑顔が広がることも復興への重要な第一歩であると考え、そのための拠点として、釜石市平田の仮設住宅に「平田ママハウス」を開設しました。 一生懸命に協力した活動の後には、みんなが笑顔になっています。
この笑顔がいわき市を復旧、復興に力になればと思います。 国道6号線の20㎞圏のゲート。南の広野町側と比べると交通量もごく少なく警官も少人数です。沿道にはヒマワリが植えられていました
南相馬の海沿い。津波の跡はずいぶん片づけられていました
これから5年後、10年後にこの場所が綺麗になった時に、今日やっていただいたことは非常に大きな意味を持つことになります。
今日の活動があるから、復興が出来るのです。
これからも南三陸町を見守ってください。
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今回は2011年10月4日にピックアップした投稿をご紹介します。
主役は被災された方々です。
このため、元気のある地元の若者に今回は輪の中に入っていただき、これから先の復興に向けてパワーをお互いに出し合っていけるようなきっかけ作りを考えました。 今後は、少しずつこの地元の若者との”輪”をこの方々を接点として拡げていくことを考えています。 アラバマ州にお住まいの宮島様ご一家から、被災された皆様への励ましのメッセージを頂きました。
宮島さんは、今回の震災に大変心を痛めていらっしゃり、遠路アメリカにいながら何か日本の為に 役立ちたいという思いを強くお持ちでした。 6月下旬に現地図書館で開催されたサマープログラムで日本の紹介をする機会を設け、アメリカの皆様へ日本の現状を訴えて下さいました。 先週の火曜日の昼下がり、仮設の集会所脇の青空スペースで仮設カフェを開いてみた。
カフェでは、ハワイのケヴィン&ミホ・クサチご夫妻から送っていただいたコーヒー、マカダミアナッツとクッキーを仮設住宅にお住まいの方たちに召し上がっていただいた。 ケヴィンとミホさんのご夫妻はハワイ在住だが、6月中旬に被災地に入られ、亘理町と山元町で10日間ボランティア活動をされた。 >>続きを読む 駐車場にはこんなバスが2台来ていました。
メッセージの多さにびっくり。 被災地へ行くバスに遠隔地の人たちの声がびっしり詰まっています。一言、一言その思いが胸を打ちます。他県ナンバーのバスがほとんど。岩手県のバスであっても、乗ってい人たちは他県のボランティアです。 平日でも300人前後のボランティアがあるそうで、 週末にもなると今日のように一気に人数が増える訳です。
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