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「真実とは何か?」
メディアが多様化する現代社会における「真実」を見極める目
◆真実とは何か?◆
人は信じたいものを信じる。
言い方を変えれば都合の良いものを信じる。
人は十人十色、皆勝手に自分の価値観をもっている。
その価値観に基づき、自分の思惑や、都合で、物事を判断しようとする。
そして、その勝手な価値基準や感情を加味して受け止めた事実が、
その人にとっての真実となる。
しかし、
自分が信じる真実を言葉に変えた瞬間、
それは真実ではなくなる。
そこには、その人の意図が入るからだ。
物事を見聞し、何の偏見もなく素直に感じた瞬間、
そこだけに真実は存在する。
しかし、人は物事を見聞し受け止めた瞬間、
同時に自分の思惑や価値基準という自分独自のフィルターを通し、
自分勝手にろ過してしまう。
そして人は、それを真実と思い込んでしまう都合の良い生き物なのである。
ということは、
人が真実を語り合うこと自体無理なことなのか。
必ずしも、そうとは言えない。
それぞれの人々が、自分の思惑を加味した真実の集合体の中に、
実は、本当の真実がある場合もある。
それぞれに真実があり、それは否定しない。
なぜならば、それぞれの当事者に、それぞれの思惑があって物事は起こる。
ということは、それぞれの当事者の思惑、
それぞれの当事者の視点によって、
それぞれの当事者によって真実に差異が生じるのは自然な現象なのである。
人は人、自分は自分、確固たる自分を作る以外に
ブレない視点を持つことはできないのです。
自分が信じる事実、
それがその当事者にとっての真実なのです。
しかし、それはその当事者にとっての真実であり、
別の当事者にとっては別の真実があっても、
何の不思議もないのです。
なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるからです。
事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、
真実は一つではなく、
いくつもの真実が発生してしまうのです。
このような状況の中、
人の世で、
真実を見極め、物事の本質を見極めるには、
心で物事を見、心で聞き、心で感じるしかないのです。
心で見聞し、感じる。
このこと以外に、人が真実や物事の本質を見極める方法はないのです。
そして、そのことは、禅の悟りにも近いことなのではないでしょうか。
なぜなら、人とは煩悩に紛れた生き物だからです。
素敵な文章です。結局は、素直な心を持ち、物事を見極めるということが、真実を見極めることになるのではないでしょうか。人が人として、この世に生を受け生きていく上で、「真実とは?」という疑問は、誰もが通り抜けなくてはならぬ大きな疑問であり、永遠に解決できない問題です。それは、人が良心に基づき生きる、ということの原点なのかもしれません。
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