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キャンピングカー日誌VOL120.旅の終わり
平成24年5月10日(木)帰宅前日
旅が終わって家へ帰るのは平日の午前中で、晴天の日を選ぶ。これもキャンピングカー生活先輩の教えだ。長い旅の間は長期間家を留守にする。だから帰ったらまず家の掃除をしないと家に入れない。冷蔵庫も電源を入れて4時間しないと使えない。故に旅の最終日は家の近くにP泊する。
家に着いたら、まず電気製品のコンセントを差し込み、ガス栓を開け、水道の元栓を開け、家の掃除をする。本当は電気のブレーカーを落としたいのだが、人感防犯灯と電話の転送を止める訳にはいかないので、それ以外の電気製品はコンセントを抜いてある。
キャンカーの冷蔵庫は外部電源に切り替えて、家の冷蔵庫が冷えたら食品を移す。
止めていた郵便物・新聞の配達依頼手配。キャンカーの装備解除、掃除、とPと手分けして行わなくてはならない。洗濯も前日にコインランドリーで済ましておいたほうが良い。
茨城県大子町“道の駅 奥久慈だいご”を出発した。
コインランドリーを見つけ、早速洗浄&乾燥を行う。一式1,000円也。出来上がりまで1時間の間はただ待つだけ。次々とお客さんが入る。見ていると乾燥だけのお客さんが多い。家で洗浄してきて、それをここへ持ってきて乾燥させる。今日はいい天気なのに何故?P曰く、放射線よ。と言う。福島県と県境を接する、茨城県北部のこの町だからだ。と言う。
コインランドリーはフル稼働。
茨城県行方市“北浦温泉 北浦荘”で温泉博士の無料入浴をした。たくさん入っていた老人達のもっぱらの話題は、つくば市を襲った竜巻のことだった。すぐ近くの事件なので、怖いと思う感覚はよく分かる。
いつの間にか霞ヶ浦に架かる鹿北大橋は新しく付け替えられていた。知らなかった。時代は変わっているのだ。北浦荘を出て向かったのは、近くの霞ヶ浦湖畔“道の駅 たまつくり”
次第に雲行きが怪しくなってきた。急に寒気が流れ込み、気温が下がり。上空は黒い雲に覆われた。道の駅に着いてテレビを見ると、横浜市で集中豪雨の被害が出ていると言う。気象情報で、関東地方は南ほど危ないと判断し、家からはやや遠いが、今日はここにP泊することに決定した。
この旅の最後の晩餐は、いつもよりほんの少しご馳走だった。
デジタルカメラをテレビに接続し、この旅で撮った膨大な量の写真をスライドショーで見た。2時間以上かかっただろうか。24日間だから、もう忘れている事もあった。でも写真を見て懐かしく、あれもこれも思い出していた。Pはその時、自宅でテレビを見ていると勘違いしていたそうだ。
気が付くと天気は回復し、周囲にP泊車両も増えてきた。あっと言う間に、桜前線追いかけ旅の最後の夜は暮れていった。
平成24年5月11日(金)旅の終わり
今日はいよいよ帰宅の日だ。天気は綺麗に晴れている。絶好の帰宅日和だ。目の前の霞ケ浦の遠く向こうに、右側が背の高い女体山、左側がやや低い男体山の筑波山の双耳峰が穏やかに見える。
道の駅 たまつくり見えるから見える、霞ヶ浦の向こうの双耳峰の筑波山。
帰りの道は来た道をUターンだが、あえて霞ケ浦をまたぐ霞ケ浦大橋を気持ちよく走り、Uターンしてまた橋を渡って霞ケ浦を南下し、利根川を渡って千葉県に入った。出発して2時間余りで、10:00過ぎに24日ぶりで無事に帰宅した。今回の桜前線追いかけの旅の走行距離は3,275kmだった。
出発の時0にしたトリップメーター。3,275km走って家に到着。
それからの作業はかねての予定通り、余裕で行った。留守番をしてくれていたセダンは、バッテリーの自然放電防止のために、ターミナルを外していた。ターミナルを繋ぐと、問題なく電気系統が蘇った。ついでに8時間充電もした。思い出満載のこの旅の思い出は、このブログを見れば蘇る。
思い返せば、平成18年11月に定年リタイヤし、初めてのキャンピングカーの旅はその年の12月19日。旅の記録はずっとつけていたが、ブログを始めたのは平成20年8月3日からだ。
最初のキャンピングカー日誌VOL.1の、タイトルは富士山との出会い。それ以来キャンピングカー生活を始めてから5年半となった。全走行距離は55,000kmを越えた。日本中を走り回り、日本百名山の登山は、北海道の利尻山から、東北の山、北アルプス、南アルプス、中国、四国、九州の山々などなどを登り、屋久島の宮之浦岳まで、50座になった。全国の名物料理を味わい、文化を知り、歴史を学び、多くの一期一会を味わった。
しかし日本は、知れば知るほどわからなくなった。知るを知って、知らざるを知る。知らないことを知ったら、また日本を知りたくなる。それではいつまで経っても旅は終わらない。そうかもしれない。
しかしこの旅は、これが私の、人生最後のキャンピングカーの旅なのだ。だからキャンピングカー日誌VOL.120旅の終わり。がこれで最後だ。
記憶にはないが3歳くらいの時だったそうだが、当時は石膏でできたギブスをはめて、1年間、千葉から東京の慈恵医大病院に通院していたと、亡くなった母から聞いていた。
私が15歳の時、柔道の稽古の最中、急に股関節の激痛で動けなくなった。診断は先天的変形性股関節症。医師からは運動制限が出た。その時人生の選択を迫られた。医師の指示に従って一生運動制限するか、運度制限はあえて無視して運動をするか。だ。私は後者を選んだ。そしてむしろ積極的に運動を行った。将来歩けなくなることを想定し、悔いのない人生を送りたかったからだ。時々股関節が悲鳴を上げたが、運動は止めなかった。小学校から大学まで、体育は5を通した。その後もいろいろなスポーツをした。人が面白いと思うスポーツをしないで死ぬのは悔しい。という考えもあった。結婚して、家族ができて、家族で一緒にスポーツをすることは本当に楽しかった。痛さはこらえるしかなかった。
高齢期になるとだんだん症状が進み、MRIによる診断結果は、大腿骨骨頭壊死。対策は、チタン合金でできた人工股関節埋め込み手術だそうだ。これは人生の選択をした結果であって悔いはない。
股関節のMRI写真。
10年前の自宅の建て替えも、手術後の事を考えて、バリアフリーにした。手術までの間の対処療法は、痛みに対処する手段がとられた。
痛みがだんだん強くなってきて、ジョギングはできなくなった。10km、2時間の徘徊と称するウオーキングは、5km1時間になり、2kmも歩けなくなった。山登りやテニスもできなくなった。
ノルスバンテープ。1週間皮膚に貼り続ける。鎮痛成分が皮膚から吸収されて、痛みを和らげる。
スミルステイック。痛む患部に塗りこんで、痛みをを抑える。
リンデロンーVGクリーム。ノルスバンテープを貼ると皮膚が炎症を起こすので、その症状を抑える。
右がリリカカプセル。末梢神経の精神障害性疼痛を抑制する。
左がデパス錠。副交感神経の調子を整える。
だから未完に終わっていた、桜前線追いかけの旅を完結させる事を、人生最後のキャンピングカーの旅とした。歩くことはできるだけ避けるために、自転車を積んで出発した。そしてPの多大な助けを借りて無事完結できた。
60歳で定年となった時、会社からの勤務延長依頼は謹んでお断りし、旅の生活を始めたのは本当によかった。例えば65歳になった今から、旅の生活を始めようとしても、到底無理だからだ。
キャンピングカーでの旅の構想は、55歳の時単身で赴任した沖縄だった。私は毎月千葉へ帰省した。Pはその間を縫って、毎月沖縄のマンションに来た。私はその都度、沖縄の各地を案内した。渡嘉敷島は那覇空港から見える。フェリーで初めてそこへ行って、阿波連(あはれん)ビーチで寛ぎながら、定年後は二人で旅行でもしたいね。と言った。
その当時、沖縄の知識は全くなかった。沖縄生活1年2ケ月の間に、Pの来沖は16回となり、沖縄各地をくまなく廻り、慶良間諸島へは5回訪問した。泳げないPだが、しかし、慶良間の海でシュノーケリングをして、その美しさに大感激したものだった。最後には沖縄を案内する場所がなくなった。
私が千葉へ毎月帰省したその時の主な用事は、母がひき逃げで殺され、犯人捜査中であったので、捜査の進捗を警察に確認する事。と言うよりも、犯人が逮捕できない警察との喧嘩だった。その挙句、とうとう時効となり、犯人逮捕は不可能となってしまった。
犯人が逮捕できなかった罪滅ぼしで、全国交通事故遺族の会に入会して、会員と共に交通事故防止活動を行った。しかし、その全国交通事故遺族の会は今年、使命が終わったとして解散が決定した。
つまり私は、リタイヤしてからすぐに始めたライフワークの、キャンピングカーの旅と、交通事故防止活動を同時に終わる事となった。
自然、歴史、文化、現状の問題点は、沖縄での生活を重ねる中で勉強していった。
サンゴ礁の境目が鮮やかな、美しく輝くエメラルドグリーンとコバルトブルーの海。中国の属国としての琉球王国と、琉球処分後の沖縄。国王交代の承認のため、中国の使者をもてなす料理、踊り、泡盛の発達。それが即ち沖縄のもてなし文化。
沖縄に上陸した米軍に対し、全国から召集された日本軍は、軍の撤退命令に従い、隆起サンゴ礁の島にたくさんある天然のガマ(洞窟のことで、戦争の時は防空壕となった)の中に避難した住民と同居した。赤ん坊が泣くと米軍に見つかるので、軍隊は母親に赤ちゃんの殺害命令を下した。
沖縄に米軍をひきつけ、本土上陸を阻止するための時間稼ぎを作戦とした日本軍は、沖縄の住民を守ってくれなかった。そればかりか、ヤマトンチュウー(本土の日本人)はウチナンチュー(島の人)を殺した。だからウチナンチューはその恨みは忘れない。しかし今、本土から訪れる観光客を、生活の為にイチャリバチョーデー(出会えば兄弟)と言って、歓迎する。その感情は複雑なのだ。
日本全体の米軍基地の74%が沖縄に集中している。そのために今でも沖縄は苦しんでいる。沖縄の負担軽減は進んでいない。その事を本土の人間は、我が身に置き換えて深く理解していない。
私は沖縄の事を知らなかった。しかし、知らないのは沖縄だけではない事も悟った。定年後は日本全国の自然、歴史、文化、現状の問題点を知る必要がある。と考えたのが、キャンピングカーの旅を始めた理由だ。
無事に最後のキャンピングカーの旅が終了した。○。
胃がんの手術から3年が過ぎた。今年6月の定期検査の結果が良ければ、股関節の手術をお願いする。
最後の旅の東北の被災地で、本当はボランティアをしたかった。いや、しなければならないと思い、出発前にボランティアセンターに事前登録しようと検討した。しかし、Pはやめてほしいと言った。大震災直後に被災した千葉県旭市で、ドロ出しなどの災害ボランティアをした。その時は股関節の状態が今よりはよかった。今はボランティア活動ができる状況ではない。忸怩たる気持ちで、被災地を見てきた。
キャンピングカー日誌さー。というブログは閉じますが、これからも何らかの形でブログには登場したいと思います。これまでブログ上で応援していただいた、多くの皆様に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
完結
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はいさあーい
お疲れ様でした
早く治してくださいね。。
2012/5/28(月) 午前 9:27
海人さん、ニフェイデービル。
今度は手術室からの報告でもしましょうかね。
2012/5/28(月) 午前 10:59 [ おっこ丸 ]
お疲れ様でした。
気合の入った桜追っかけ記事でしたね。
おっこ丸さんの心が伝わってきたし、最後の○画像には夫婦で笑いを頂戴しました。
退院したら、またキャンピングカーでお会いしましょう。
2012/5/28(月) 午後 8:35 [ ken*a*uend ]
ken*a*uendさん、○画像を受けていただきましてありがとうございます。
桜前線追いかけ旅は、最初は寒い天候が続き、なかなか北上できなかったのですが、急に気温が上がり、弘前までいっぺんに咲いてしまって、大変でした。
しかしおかげさまで、楽しく終息することができました。
思い出もたくさんできました。こうしてブログに記録することはいいですね。
2012/5/28(月) 午後 8:55 [ おっこ丸 ]
実に中味の濃い旅でしたね。いずれ大いに参考にさせていただきます。お疲れ様でした!
2012/5/28(月) 午後 9:51
cosmosさん、甚だ手前味噌の内容で、参考になんておこがましいと思います。
でも、こういうものは手前味噌でいいとも思っています。
気温の急上昇で、各地の桜が急に一斉に咲いてしまったので、思惑とだいぶ異なった展開になりました。
でも結果的には、一期一会の人々のアドバイスをいただいて、なんとか成果はあがったと思います。
岩手県の桜が見られなかったのは、心残りだったですけどね。
2012/5/28(月) 午後 10:24 [ おっこ丸 ]
キャンピングカーやブログを介して、貴方と奥様に出会えたことを幸せに思っています。
若輩者の私を友人として扱っていただいただけでなく、私のことを心配してくださるなど、今思い起こしても感謝の気持ちでいっぱいです。
おっこ丸さん。
これで終わりではありません。
新たなステージに移るだけのことです。
今まで出来ていたことが出来なくなる辛さは、さほど不自由なく暮らしている私には、その十分の一すら本当に理解することは出来ないのかも知れません。
でも、新たな挑戦や可能性の否定はしないでください。
なんとかなるさです!
自分自身に強く、そう言い聞かせてください。
そして、貴方の生き方に憧れる私に、それが実現できることなのだと実感させてください。
貴方の人生が、より昇華されることを、遠き青森より祈っています。
貴方の新たなるステージでの活躍を期待してやまない、いちファンより。
2012/5/28(月) 午後 11:54 [ warpdriver ]
warpdriver さん、心のこもった温かいコメント、本当にありがとうございます。
でもね、大丈夫ですよ。今は失望や落胆は一切しておりませんよ。
人生の選択をした15歳の時は、落ち込みましたけどね。
痛みで動けなくなった17歳の時は、誰もいなくなった真っ暗なテニスコートで、星を見ながら泣きました。そんなことを繰り返して、今があるわけです。
こんなに長く持つとは思っていませんでした。もっと早く手術だろうなと思っていたので、幸いだったと思っております。
同病の人とも何人か話ができ、体験談も聞けて不安はありません。
仰るように、今までと同じ事はできませんが、別に人生が終わるわけではありませんから、大丈夫ですよ。
ご心配をおかけして本当にすみません。
warpdriverさんの足のトラブルは大変ですね。ご家族を大切に、人生を楽しんでくださいね。
2012/5/29(火) 午前 6:16 [ おっこ丸 ]
私などはお子ちゃまな人生を送っていますが、おっこ丸さんは壮絶なる65年間を過ごされたように思います。
お疲れ様でした。これからもお元気でご活躍されることをお祈りします。
2012/5/29(火) 午後 11:42 [ 臆崖道 ]
臆崖道さん、温かいコメントありがとうございます。
でも壮絶なる65年間なんて、そんな大げさなことはないですよ。
生まれつきの運命ですし、それにどう対処するかは自分で決めたことです。多分これでよかったのだと思っています。
若し、医者の指示に従って、運動制限の人生だったら、全く面白くない人生だったでしょうね。
これからは手術をしてもらって、身体障害者にはなりますが、痛みからは解放されるので、楽しい人生になると思います。
若し良かったら、新しいブログの方で、これからもよろしくお願いします。
2012/5/30(水) 午前 5:55 [ おっこ丸 ]
初めまして。
最近になり、キャンピングカーに興味を持ちブログを探し
見させて頂いてました。主人は56歳
定年が見えて来ました。定年後は、キャンピングカーを買い
やはり〜のんびりと旅がしたいそうです。過去の記事も参考に
させていただきますね
母も、両股関節の手術をしております・・・。痛みを我慢しての暮らし大変でしたね。手術を受けられて、痛みが無くなりますように。
2012/6/2(土) 午後 7:28
ルイママさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
リタイヤ後の人生について、世の中でいろいろと話題になっていますね。
私が言いたいのは、定年は突然来るものではないのですから、現役のうちに、これから働かなくていい楽しい定年後の人生を、いろいろと模索して設計して、それを実現するという事は是非してもらいたいと思いますネ。
私の周辺にもいますが、一番がっかりするのは、何もやることがないよー。寂しいよー。と泣き言を言うバカ者です。どうしようもないですね。
股関節の事は、納得の人生の選択の結果ですから、やがて手術をしてもらう。それがこれからだ。と言うことです。
ありがとうございました。
2012/6/2(土) 午後 7:51 [ おっこ丸 ]
すいませんでした。
このブログは読んでいませんでした。
なぜ、新しいブログにされたのか疑問でしたが、やっとわかりました。
術後、どうなるかわかりませんが、
がんばってくださいとしか言えません。
私は山で急性ヘルニアになり、完治していません。
もう10年くらい放置してます。
座骨から左足は若さゆえかずーっと痛みをこらえ遊んでいます。
腰も少し曲がってますし。
いずれは動けなくなるかなと思っています。
治療の方法がわからないので・・・・。
2012/6/15(金) 午後 9:05 [ べん10 ]
べん10さん、気を使わせてしまい、恐縮です。
まあ私の場合は生まれつきなので、覚悟はできていますし、今までよくもってくれたと思っております。
体は一つしかありませんから、大事にしてくださいヨ。
まだ若いのですから、きちんと整形治療をして、快適な人生を送ったほうがいいと思いますけどオ。
2012/6/15(金) 午後 9:18 [ おっこ丸 ]
楽しく読ませて貰ってます。
2016/9/2(金) 午前 7:46
くろまめさん、恐縮です。最後の部分から読んでいただいたのですね。折角ですから、最初の部分から読んでいただければ幸いです。
2016/9/2(金) 午前 8:01 [ おっこ丸 ]
はい。わかりました^−^
2016/9/3(土) 午前 4:52
くろまめさん、重ね重ね恐縮です。
2016/9/3(土) 午前 8:21 [ おっこ丸 ]