キャンピングカー日誌さー

キャンカーの名前はおっこ丸。Pは妻の事

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全148ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

新しいブログ

キャンピングカーの生活が終わりました。
ブログも一新しました。
新しいブログは 旅人 です。
どうぞよろしくお願いします。
 
イメージ 1
 
新しいブログのURLは
 

旅の終わり

キャンピングカー日誌VOL120.旅の終わり
 
 
平成24510日(木)帰宅前日
 
 旅が終わって家へ帰るのは平日の午前中で、晴天の日を選ぶ。これもキャンピングカー生活先輩の教えだ。長い旅の間は長期間家を留守にする。だから帰ったらまず家の掃除をしないと家に入れない。冷蔵庫も電源を入れて4時間しないと使えない。故に旅の最終日は家の近くにP泊する。
 
 家に着いたら、まず電気製品のコンセントを差し込み、ガス栓を開け、水道の元栓を開け、家の掃除をする。本当は電気のブレーカーを落としたいのだが、人感防犯灯と電話の転送を止める訳にはいかないので、それ以外の電気製品はコンセントを抜いてある。
キャンカーの冷蔵庫は外部電源に切り替えて、家の冷蔵庫が冷えたら食品を移す。
止めていた郵便物・新聞の配達依頼手配。キャンカーの装備解除、掃除、とPと手分けして行わなくてはならない。洗濯も前日にコインランドリーで済ましておいたほうが良い。
 
茨城県大子町“道の駅 奥久慈だいご”を出発した。
コインランドリーを見つけ、早速洗浄&乾燥を行う。一式1,000円也。出来上がりまで1時間の間はただ待つだけ。次々とお客さんが入る。見ていると乾燥だけのお客さんが多い。家で洗浄してきて、それをここへ持ってきて乾燥させる。今日はいい天気なのに何故?P曰く、放射線よ。と言う。福島県と県境を接する、茨城県北部のこの町だからだ。と言う。
 
 
コインランドリーはフル稼働。
イメージ 1
 
茨城県行方市“北浦温泉 北浦荘”で温泉博士の無料入浴をした。たくさん入っていた老人達のもっぱらの話題は、つくば市を襲った竜巻のことだった。すぐ近くの事件なので、怖いと思う感覚はよく分かる。
いつの間にか霞ヶ浦に架かる鹿北大橋は新しく付け替えられていた。知らなかった。時代は変わっているのだ。北浦荘を出て向かったのは、近くの霞ヶ浦湖畔“道の駅 たまつくり”
 
次第に雲行きが怪しくなってきた。急に寒気が流れ込み、気温が下がり。上空は黒い雲に覆われた。道の駅に着いてテレビを見ると、横浜市で集中豪雨の被害が出ていると言う。気象情報で、関東地方は南ほど危ないと判断し、家からはやや遠いが、今日はここにP泊することに決定した。
 
 
この旅の最後の晩餐は、いつもよりほんの少しご馳走だった。
イメージ 9
 
 デジタルカメラをテレビに接続し、この旅で撮った膨大な量の写真をスライドショーで見た。2時間以上かかっただろうか。24日間だから、もう忘れている事もあった。でも写真を見て懐かしく、あれもこれも思い出していた。Pはその時、自宅でテレビを見ていると勘違いしていたそうだ。
 気が付くと天気は回復し、周囲にP泊車両も増えてきた。あっと言う間に、桜前線追いかけ旅の最後の夜は暮れていった。
 
 
 
平成24511日(金)旅の終わり
 
 今日はいよいよ帰宅の日だ。天気は綺麗に晴れている。絶好の帰宅日和だ。目の前の霞ケ浦の遠く向こうに、右側が背の高い女体山、左側がやや低い男体山の筑波山の双耳峰が穏やかに見える。
 
 
道の駅 たまつくり見えるから見える、霞ヶ浦の向こうの双耳峰の筑波山。
イメージ 2
 
 帰りの道は来た道をUターンだが、あえて霞ケ浦をまたぐ霞ケ浦大橋を気持ちよく走り、Uターンしてまた橋を渡って霞ケ浦を南下し、利根川を渡って千葉県に入った。出発して2時間余りで、10:00過ぎに24日ぶりで無事に帰宅した。今回の桜前線追いかけの旅の走行距離は3,275kmだった。
 
 
出発の時0にしたトリップメーター。3,275km走って家に到着。
イメージ 8
 
 それからの作業はかねての予定通り、余裕で行った。留守番をしてくれていたセダンは、バッテリーの自然放電防止のために、ターミナルを外していた。ターミナルを繋ぐと、問題なく電気系統が蘇った。ついでに8時間充電もした。思い出満載のこの旅の思い出は、このブログを見れば蘇る。
 
 思い返せば、平成18年11月に定年リタイヤし、初めてのキャンピングカーの旅はその年の12月19日。旅の記録はずっとつけていたが、ブログを始めたのは平成20年8月3日からだ。
 
最初のキャンピングカー日誌VOL.1の、タイトルは富士山との出会い。それ以来キャンピングカー生活を始めてから5年半となった。全走行距離は55,000kmを越えた。日本中を走り回り、日本百名山の登山は、北海道の利尻山から、東北の山、北アルプス、南アルプス、中国、四国、九州の山々などなどを登り、屋久島の宮之浦岳まで、50座になった。全国の名物料理を味わい、文化を知り、歴史を学び、多くの一期一会を味わった。
   
しかし日本は、知れば知るほどわからなくなった。知るを知って、知らざるを知る。知らないことを知ったら、また日本を知りたくなる。それではいつまで経っても旅は終わらない。そうかもしれない。
しかしこの旅は、これが私の、人生最後のキャンピングカーの旅なのだ。だからキャンピングカー日誌VOL.120旅の終わり。がこれで最後だ。
 
 記憶にはないが3歳くらいの時だったそうだが、当時は石膏でできたギブスをはめて、1年間、千葉から東京の慈恵医大病院に通院していたと、亡くなった母から聞いていた。
私が15歳の時、柔道の稽古の最中、急に股関節の激痛で動けなくなった。診断は先天的変形性股関節症。医師からは運動制限が出た。その時人生の選択を迫られた。医師の指示に従って一生運動制限するか、運度制限はあえて無視して運動をするか。だ。私は後者を選んだ。そしてむしろ積極的に運動を行った。将来歩けなくなることを想定し、悔いのない人生を送りたかったからだ。時々股関節が悲鳴を上げたが、運動は止めなかった。小学校から大学まで、体育は5を通した。その後もいろいろなスポーツをした。人が面白いと思うスポーツをしないで死ぬのは悔しい。という考えもあった。結婚して、家族ができて、家族で一緒にスポーツをすることは本当に楽しかった。痛さはこらえるしかなかった。
 
高齢期になるとだんだん症状が進み、MRIによる診断結果は、大腿骨骨頭壊死。対策は、チタン合金でできた人工股関節埋め込み手術だそうだ。これは人生の選択をした結果であって悔いはない。
 
 
股関節のMRI写真。
イメージ 3
 
10年前の自宅の建て替えも、手術後の事を考えて、バリアフリーにした。手術までの間の対処療法は、痛みに対処する手段がとられた。
 
痛みがだんだん強くなってきて、ジョギングはできなくなった。10km、2時間の徘徊と称するウオーキングは、5km1時間になり、2kmも歩けなくなった。山登りやテニスもできなくなった。
 
 
ノルスバンテープ。1週間皮膚に貼り続ける。鎮痛成分が皮膚から吸収されて、痛みを和らげる。
イメージ 4
 
 
スミルステイック。痛む患部に塗りこんで、痛みをを抑える。
イメージ 10
 
 
 
リンデロンーVGクリーム。ノルスバンテープを貼ると皮膚が炎症を起こすので、その症状を抑える。
イメージ 5
 
 
右がリリカカプセル。末梢神経の精神障害性疼痛を抑制する。
左がデパス錠。副交感神経の調子を整える。
イメージ 6
 
だから未完に終わっていた、桜前線追いかけの旅を完結させる事を、人生最後のキャンピングカーの旅とした。歩くことはできるだけ避けるために、自転車を積んで出発した。そしてPの多大な助けを借りて無事完結できた。
 
60歳で定年となった時、会社からの勤務延長依頼は謹んでお断りし、旅の生活を始めたのは本当によかった。例えば65歳になった今から、旅の生活を始めようとしても、到底無理だからだ。
 
キャンピングカーでの旅の構想は、55歳の時単身で赴任した沖縄だった。私は毎月千葉へ帰省した。Pはその間を縫って、毎月沖縄のマンションに来た。私はその都度、沖縄の各地を案内した。渡嘉敷島は那覇空港から見える。フェリーで初めてそこへ行って、阿波連(あはれん)ビーチで寛ぎながら、定年後は二人で旅行でもしたいね。と言った。
 
その当時、沖縄の知識は全くなかった。沖縄生活1年2ケ月の間に、Pの来沖は16回となり、沖縄各地をくまなく廻り、慶良間諸島へは5回訪問した。泳げないPだが、しかし、慶良間の海でシュノーケリングをして、その美しさに大感激したものだった。最後には沖縄を案内する場所がなくなった。
 
私が千葉へ毎月帰省したその時の主な用事は、母がひき逃げで殺され、犯人捜査中であったので、捜査の進捗を警察に確認する事。と言うよりも、犯人が逮捕できない警察との喧嘩だった。その挙句、とうとう時効となり、犯人逮捕は不可能となってしまった。
犯人が逮捕できなかった罪滅ぼしで、全国交通事故遺族の会に入会して、会員と共に交通事故防止活動を行った。しかし、その全国交通事故遺族の会は今年、使命が終わったとして解散が決定した。
 
つまり私は、リタイヤしてからすぐに始めたライフワークの、キャンピングカーの旅と、交通事故防止活動を同時に終わる事となった。
 
自然、歴史、文化、現状の問題点は、沖縄での生活を重ねる中で勉強していった。
サンゴ礁の境目が鮮やかな、美しく輝くエメラルドグリーンとコバルトブルーの海。中国の属国としての琉球王国と、琉球処分後の沖縄。国王交代の承認のため、中国の使者をもてなす料理、踊り、泡盛の発達。それが即ち沖縄のもてなし文化。
 
沖縄に上陸した米軍に対し、全国から召集された日本軍は、軍の撤退命令に従い、隆起サンゴ礁の島にたくさんある天然のガマ(洞窟のことで、戦争の時は防空壕となった)の中に避難した住民と同居した。赤ん坊が泣くと米軍に見つかるので、軍隊は母親に赤ちゃんの殺害命令を下した。
沖縄に米軍をひきつけ、本土上陸を阻止するための時間稼ぎを作戦とした日本軍は、沖縄の住民を守ってくれなかった。そればかりか、ヤマトンチュウー(本土の日本人)はウチナンチュー(島の人)を殺した。だからウチナンチューはその恨みは忘れない。しかし今、本土から訪れる観光客を、生活の為にイチャリバチョーデー(出会えば兄弟)と言って、歓迎する。その感情は複雑なのだ。
 
日本全体の米軍基地の74%が沖縄に集中している。そのために今でも沖縄は苦しんでいる。沖縄の負担軽減は進んでいない。その事を本土の人間は、我が身に置き換えて深く理解していない。
 
私は沖縄の事を知らなかった。しかし、知らないのは沖縄だけではない事も悟った。定年後は日本全国の自然、歴史、文化、現状の問題点を知る必要がある。と考えたのが、キャンピングカーの旅を始めた理由だ。
 
 
無事に最後のキャンピングカーの旅が終了した。○。
イメージ 7
 
胃がんの手術から3年が過ぎた。今年6月の定期検査の結果が良ければ、股関節の手術をお願いする。
 
最後の旅の東北の被災地で、本当はボランティアをしたかった。いや、しなければならないと思い、出発前にボランティアセンターに事前登録しようと検討した。しかし、Pはやめてほしいと言った。大震災直後に被災した千葉県旭市で、ドロ出しなどの災害ボランティアをした。その時は股関節の状態が今よりはよかった。今はボランティア活動ができる状況ではない。忸怩たる気持ちで、被災地を見てきた。
 
キャンピングカー日誌さー。というブログは閉じますが、これからも何らかの形でブログには登場したいと思います。これまでブログ上で応援していただいた、多くの皆様に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
                               完結

三陸海岸

キャンピングカー日誌VOL119.三陸海岸
 
 
 平成2458日(火)南三陸町
 
 昨日は宮沢賢治の“銀河鉄道の夜”のモデルになったと言われる、めがね橋のたもとの、“道の駅 みやもり”にP泊した。
朝、橋を撮影に行くと駅の係の人がいたので聞いた。ライトアップは金、土、日だが、この連休はしていた。と言う。そうか、だから夕べはやっていなかったのだ。と合点した。まったく事前調査していなかった罰だ。
 
 
銀河鉄道の夜のめがね橋。
イメージ 1
 
はっと、いやな予感がして、ギャレーの2口ガスコンロの下の奥に据えつけてある、普段は全く目に付かない電子レンジ専用1500wインバーターをチェックした。やっぱり。数日前に電子レンジ調理をして、終わったらすぐに切らなければいけないスイッチを切り忘れている。つまり膨大な電気の無駄使いしていたのだ。キャンカー乗り失格だと朝から自己批判した。ソーラーパネルには益々頑張って発電してもらおう。
 
昨日の遠野見物の忘れ物で、国の重要文化財、南部曲り家 千葉家へ行った。それは国道沿いの高台に建っていた。今から200年前に建築された豪壮な民家である。住家の部分は307㎡、畜舎の部分は163㎡、土間と合わせて487㎡(147坪)ほどあり、かつては作男15人、馬20頭を所有していたそうだ。現在も住居として使われており、地震で崩れた石垣を補修中であった。
 
 
南部曲り家 千葉家。
イメージ 2
 
 
崩れた石垣を修理中。
イメージ 3
 
山道を走って陸前高田市に向かった。海岸から5kmほど内陸なのに、大津波の被害がある。見ると川が近くを流れている。大津波はこの川をさかのぼって、被害を内陸まで拡大していったのだ。海岸に近づくと、被害の甚大な悲惨さは表現に窮する。海岸線を走ってみた。走っている場所は、地図では高田松原、白砂青松100選・渚100選。と書いてある。しかし今は、そんな風光明媚な風景は全くなく、ずーっとがれきが続いている。仮設の店舗が点々と建って、営業している。住民生活に必要な商品販売やサービス提供は辛うじて復興されている。大型スーパーの看板は普通の看板だが、小さなプレハブの店舗を出している。
 
 
被災してしまった”道の駅 高田松原”
イメージ 4
 
我々はセルフのスタンドに立ち寄り、軽油を満タンにした。被災地にほんの少しのお金を落とした。スタンドの人に聞いた。周囲に水が溜まっているが、まだ引かないのですか?とPの問いに、潮の干満と共に、水が増えたり減ったりします。と言う。つまり地面が沈下してしまった結果なのだ。
 
“奇跡の一本松”があった。近寄って撮ろうと思ったが思いとどまった。遠くから撮らせてもらった。言葉が出ない、胸が詰まる。Pは顔をゆがめ、涙をこらえている。 
 
 
奇跡の一本松。
イメージ 5
 
 海岸線を走り、宮城県に入った。リアス式の海岸線がよく見える高台のパーキングに停めた。高台から美しい三陸海岸がよく見える。
我々より前にそこに停まっていた車から人が降りてきて、我々に声を掛けてきた。山菜は好き?と唐突に聞かれた。大好きです。とPは屈託がない。全国を旅しているの?と聞いてきた。はいそうです。今回は桜の開花を追いかけて、弘前まで行きました。と答えた。被災地で呑気な不謹慎な事を言ってしまった。その方は、山奥から採ってきた、もみじ草と言う山菜をくれた。採る時は熊が出るし、おっかないよ。と言った。トリカブトに似ているので、間違って採ってしまう人もいるよ。と物騒な事もいった。調理の仕方や食べ方も教えてくれた。
 
もみじ草。
イメージ 6
 
 その方は気仙沼で被災し、今は古川(宮城県か?)のアパートで暮らしているが、金がかかる。被災したことはもう仕方がない。と言う。大変な暮らしをしている被災者から、自然の恵みをいただいてしまった。東北ばかり報道されているが、千葉県も大変だったのでしょう?と思いやりに満ちた言葉もいただいた。住所もTELも何を聞いても、いいよ。と言うばかりで優しい人だった。
 
 道は南三陸町の海岸線に入った。今まで何度もテレビで見た事が、現実として目の前に迫ってきた。町は無残に壊れた鉄骨や鉄筋コンクリートのビルの残骸が残されていて、土台を残して、平らな台地に町は消えていた。JR気仙沼線の高架は何ヶ所も分断されていた。道路は波打っていた。その壮絶な現実を前に、何も言葉が出ない。じっと見つめながら黙って走らせるのみだった。どこかでランチをして、ほんの少しのお金を落とそうかと思っていたが、できなかった。
被災地の現実をしっかり見ていって下さい。と言う仙台の被災者から聞いた言葉を思い出していた。我々はそれしか出来なかった。
 
被災地に累々と積みげられたがれきの山は、被災地だけでは到底処理できない。日本全体の問題として、全国の自治体が処理に協力すべきだと切に思う。
日本全体で対処するという考え方は、沖縄に集中している米軍基地の問題もそうだと思う。日米安保条約は日本全体の問題なので、米軍基地は全国で受け入れなければならないと思う。
 
 福島はこの惨状に加えて更に原発被害がある。放射線被害は広範囲にこれからも延々と続く。東北は大きく傷ついた。
 
 自然災害と人間の英知は、昔からの大テーマである。ヨーロッパ文明は自然の悪条件を克服し、便利な生活を得ることを目指して、産業革命など科学技術を発展させてきた。
日本は例えば奈良の正倉院の校倉造りのように、温度湿度の管理は木材の膨張収縮に任せて、自然と共生することを前提に文明を発展させてきた。双方に長所短所はあると思うが、日本は西洋流の科学技術の発展に目を奪われて、日本人が本来持っている、自然の力を利用する知恵を忘れてしまったのではないだろうか。
 
 今日の終点は、往路で2回、今回で3回目の“道の駅 上品(じょうぼん)の郷”にP泊した。“ふたごの湯”に入り、今日の締めくくりとした。
 
9日(水)終の棲家
 
 居心地のよかった、宮城県石巻市の“道の駅 上品の郷”を出発し、仙台市から国道4号線に入り、Pと交互に運転してひたすら走った。福島県郡山市から国道118号線に左折。茨城県大子町まで一気に走った。今日のP泊の、温泉がある“道の駅 奥久慈だいご”に到着した。途中、一昨年に桜前線追いかけ旅の時、美しさに感激した、福島県矢祭町の“戸津部のさくら”を通過し、懐かしく思い出した。
 BSアンテナをセットし、念の為に地デジをチェックすると綺麗に入る。こんな山間の地なのに。日本中、場所によって電波環境は全く違う。一息ついて、早速温泉に入湯した。
 
 温泉には先に一人が入っていた。私が体を洗っている時に、その人は浴槽から上がっていった。私はゆっくりと温まってから脱衣室へ上がった。動作がゆっくりのそのお年寄りは、まだ着終わっていない。受付でもらった、この温泉のスタンプサービスのシートをあげると、ありがとう。と言って受け取ってくれた。大子町には、5年前に療養目的で転居したのだと言う。そして糖尿病、認知症などの治療の愚痴を言う。いい所にお住まいですね。と言うと、ダメだよ。夏は暑いし、冬は北海道より寒い。静かでいい所だと思ったが、ダメだよ。と、また愚痴を言う。気をつけてね、元気でね、と言って出てゆくと、まだ着替え中のその人は、ありがとう。と言った。
終の棲家の選定を間違えてはいけない。と言う教訓をいただいた。道の駅の駐車場は、次第に雨が強くなってきた。
                              つづく
キャンピングカー日誌VOL118.桜前線追いかけ旅・遠野
 
 
平成2456日(日)八戸
 
 昨日P泊した“道の駅 はしかみ”から少し戻り、八戸市の八食(はっしょく)センターへ行った。大規模な生鮮市場で、選んだ食材をその場で食べることも出来る。市場のおばちゃんに聞くと、八戸はいかが名物だと言う。試食のいかの塩辛を食べると、柔らかくて旨い。それと鶴子(つるこ)饅頭だと言う。今日のお買い物は、マグロのぶつ、いかのうに漬け、いか刺松前、カップ八戸せんべい汁、せんべい耳、なんばんみそ。地方独特の食べ物を見つけた時は嬉しい。食べ物には、その地方の文化や歴史が反映されているからだ。鶴子饅頭も買った。それは何かと言うと、小麦粉、黒砂糖、小豆、米粉、水飴を材料とした、小判形の甘い饅頭だ。帰り旅の食材として昼飯に食べたが、いずれも美味しかった。
 
 
いろいろと買い物をした。旅の友のネコヤナギも育ってきた。
イメージ 1
 
鶴子饅頭。
イメージ 17
 
 蕪島(かぶらしま)へ行って驚いた。そこはウミネコの繁殖地で、大群のウミネコが島(といっても陸続き)を占拠している。人間がすぐ近くに近づいても動じない。抱卵していたり、繁殖行動をしていたり、人間を無視しているようにも見える。ウミネコとカモメの見分け方は、足が黄色いのがウミネコで、赤いのがかもめ。と、北海道の利尻島で教えてもらった事を思い出した。
 
 
ウミネコの大群。
イメージ 2
 
 
右側の雛が親鳥に餌をねだっている。
イメージ 11
 
繁殖中。
イメージ 12
 
 
島全体がウミネコのテリトリー。
イメージ 13
 
 国道45号線、三陸海岸を南下し、田老地区を通った。万里の長城といわれた強靭な堤防は、まるで要塞のようだ。いや、だった。大津波はここを乗り越えて町を沈めた。堤防は破壊された。土台を残して消えてしまった部落、何ケ所か仮設住宅が目に入った。阪神淡路の時の仮設は大規模だったが、ここは小規模に点在している。そこに人影はなかった。
 
宮古市で海岸へ向かった。“道の駅 みやこ”に休憩するために立ち寄った。たぶんそうだろうと思ってはいたが、営業していなかった。町は一部悲惨な状況は残っているが、逞しく復旧していた。給油したガソリンスタンドの主人は、その時の凄まじい状況を説明してくれた。これからも元気でね。と言うと涙ぐんでいた。
 
 
7日(月)遠野
 
 夕べ“道の駅 遠野風の丘”に到着してテレビをつけると、山間のこの地では地デジは全く入らない。従ってBSが頼りだ。全国にはこのように、電波インフラがダメなところがたくさんある。多分こういう所は、BSで地デジの番組を提供している。しかしそれを受信できるのは、その地に住んでいる人だけで、旅の車には許可が出ない。その事は以前総務省に交渉したがダメだった経験がある。
 
 フランス大統領選挙、山岳遭難、竜巻被害など気象被害、チャーターバス事故など、毎日たくさんのニュースが溢れている。旅の途中では、新聞情報が入らないので、テレビやラジオの情報は貴重なのだ。だから毎日、P泊場所でBSアンテナのセットが必須なのだ。
 
売り場の横に水道がある。係の人に、水をいただけますか?と言うと、どうぞーとにっこり。キャンカー生活は、水の確保、ゴミの始末、グレータンク、ブラックタンクの始末などが必要だが、周りに迷惑を掛けず、いただくときは、謙虚にありがたくいただく。そう言う精神が必須だ。
 
 8:00開店の産直市場に、商品を持ち込む農家の方に話を伺った。遠野でしかない野菜の情報を得た。それは“クレツボカブ”小さな大根のようなカブだが、遠野の上郷で出来たものを商標登録しており、同じものでもそれ以外の場所で出来たものは、遠野カブとして販売しているそうだ。用途はそばの薬味や漬物だそうだ。それと、“がんずき”と言うクルミ入り蒸しパンもこの地の特産だそうだ。アツモリソウも以前は特産品だったが、乱獲によって壊滅してしまったそうだ。
 
遠野名物の左はクレツボカブと右はがんずき。
イメージ 14
 
 遠野観光に出掛けた。まず最初は、姥捨て伝説の残る野原のデンデラ野。場所が分からない。たぶん近くだろうと思われる所まで行って、地元の人に聞いた。最初は場所を説明してくれたが、ややこしい場所なので案内する。と言って軽トラで先導してくれた。行くとそこは本当に狭い道を上がったところだった。見学後、水車も見ていくといいよ。とその場所は説明してくれた。Pは大感激で、遠野で一番見たかったのは、デンデラ野と水車だったと言う。
 
デンデラ野。
イメージ 15
 
水車。
イメージ 16
 
 
 次に伝承園駐車場に“おっこ丸”を入れ、自転車で“カッパ淵”へ行くと、カッパ橋のたもとで、いきなりポチャンと、と水の音がした。回りには誰もいない。川には魚影はない。P曰く、カッパに違いない。と目を白黒。
 伝承園で、遠野市内観光施設利用共通券、1050円を買って入場した。3ケ所以上見るのならばお得と言う訳だ。オシラ堂の1000体ものオシラサマは圧巻だった。
 
カッパ淵。
イメージ 18
 
オシラサマ。
イメージ 3
 
 次は遠野ふるさと村。まだ咲いていなかったアツモリソウ。シラネアオイ、二輪草、シャクナゲは綺麗に咲いていた。曲がり家がいくつもあり、日本の原風景に出会えた。
 
シラネアオイ。
イメージ 5
 
シャクナゲ。
イメージ 6
 
二輪草。
イメージ 7
 
アツモリソウ?
イメージ 8
 
 
南部曲がり屋。人間と馬が同居し一緒に農作業をし、寒い冬を共に耐えた。
イメージ 9
 
 とおの昔話村では、「昔あったずもな〜」と語り部が面白い話をたくさん語ってくれた。語り始める前に、千葉は液状化で大変だったねー。とか世間話など。落語で言うまくら、漫才で言うつかみで、語りの座敷の雰囲気はすっかり語り部のペースになった。語り部の語りを聞く前には、たぶん話の内容は分からないだろうが、是非雰囲気を味わいたい。と言う気持ちで座敷に座った。
 
とおの昔話村。ここで昔話を語ってくれる。
イメージ 4
 
 
座敷わらし、笛吹き峠、豆っこばやし、くたくたくわーん、豆腐とこんにゃく。語りは13:00にはじまったが、最初に客は我々2人だけだった。次第に途中から客は増えたり、途中で帰ったりと、失礼千万な客に、私達は不快感を感じた。事前に語りは20分位だと聞いていたが、大幅に上回る40分にも及んだ。なぜか不思議に東北弁が理解できる。ゆったりとした語りのテンポは心地いい。子供の頃おじいさんから聞いたほら話を語っているのだ。と言う語り部は、どの話も語ると最後に、どんどはれ。遠野に来て、この語りを聞けて本当によかった。
 
 花巻へ移動し、宮沢賢治記念館へ入場した。以前花巻を訪れた時、ここに寄らずに後悔したので、今回は是非見たかった。賢治が残した膨大な資料に接し、少しだけ人となりの一端が理解できた様な気がした。
 
 
旅の友のリンゴのつぼみも開いてきた。
イメージ 10
 
 今日の温泉は、花巻温泉郷“山の神温泉 幸迎館”。とても大きな施設でびっくり。内湯も露天風呂も贅沢な程大きい。ゆっくりゆったりと気持ちよく入浴した。
 
連荘ですぐ近くの“鉛温泉 藤三(ふじさん)旅館”にも入った。昭和17年築の一軒家は時をさかのぼったような趣。名物の天然の岩をくりぬいて作った、深さ1.25mの立って入る混浴の白猿(しろざる)の湯は、入り口から階段を下りた広い空間の地下にあった。天井がより高く感じる。他に客は誰もいなくて、実質大きな家族風呂だった。
                              つづく
キャンピングカー日誌VOL117.桜前線追いかけ旅・りんご園地
 
 
 平成24年5月4日(金)岩木山オオヤマザクラネックレスロード
 
 飲料水が底をついてきた。出発前に補給したい。昨日温泉に入った時、温泉の入口の横の、足湯の近くに水飲み場を見つけていた。今朝、飲料水をいただきたいとそこへ行くと、水が出ない。水をいただきたいとお願いしようとフロントへ向かうと、地元のお爺さんだろうと思う人が私に、やっでいるが?と言ったと思うので、やってるよ。と言うと頷いて入口から入って行った。地元の人にものを聞かれるのは、なんだか嬉しい。時間はと見ると9:00ちょっと前。温泉は9:00開店だが、フロントは開いていた。
 水をお願いすると、今一人しかいないからちょっと待っててね。と言われ、20Lポリタンを持って水道の前で待っていると、程なくして、お姉さんはにこにこしながら水道栓を開けてくれた。
 
 桜前線追いかけ旅は完了したが、おまけの桜見物に出掛けた。“岩木山オオヤマザクラネックレスロード”の住所を入力し、出発。ナビは到着したと言っている。しかし、どこ?周りに民家はなく、石屋さんがあったのでたずねた。そうするとそこの社長さんは目を丸くして、ええー、千葉から来てこんなところの桜を探しているの?とびっくりしている。私の旅の目的を説明すると、私より3歳年上のその社長は、へえー、私もなんとかしなくちゃなー。(どう言う意味?)と言って缶コーヒーをくれた。奥さんと一緒なの?はいそうです。ちょっと待っててね。と言って奥へ行こうとするので、もういいですよと言って、お礼を言って辞した。
 
 
岩木山オオヤマザクラネックレスロード。
イメージ 1
 
 平成13年に岩木山麓の弘前市と鯵ヶ沢町にまたがって、道路添いの長い距離に亘ってオヤマザクラの幼木が植栽された。まだ木は小さいが、将来成長したら美しい桜並木になるだろうな。早く大きく綺麗になれよ。と思った。
 
 
まだ路傍には雪が残る桜の道。
イメージ 2
 
今日の天気は曇りで見えなかったが、ぐるっと岩木山麓を半周し、今日の温泉は温泉博士の無料入浴で、青森県西目屋村の“グリーンパークもりのいずみ”山中の静かな温泉は心地よかった。
 
もと来た道を少し戻り、白神山地ビジターセンターに入って、ぶなの森の歴史と意義を学んだ。自然の奥深さと大切さを改めて感じた。
 
 
白神山地ビジターセンター入口。
イメージ 4
 
いつもりんごを送っていただいている、弘前市のりんご農家を訪ねた。“おっこ丸”のP泊場所もお世話いただいた。以前、弘前ネプタを観に来たときもお世話になり、今回も大変な歓待をいただいた。りんごの木を慈しみ、大切に育て、その管理技術を広く競争相手でもある同業者に技術指導する、その方の仕事への取り組み方や、物事の考え方など、たくさん話をうかがった。その方の後輩の方がやっているそこのお店は、マスターが自ら釣ったマグロが名物で、美味しい料理と、旨い地元の酒をいただきながら、楽しい夜が更けていった。
 
美味しい魚、旨い酒、楽しい話で大いに盛り上がった。
イメージ 5
 
驚いた事に、弘前公園の見事なソメイヨシノの、樹齢100年を越える300本や、日本一の幹周りの大木や、日本最古の古木の、それを維持する管理技術は専門家に賞賛されている事を学んだが、それはりんごの木の選定技術が基本になっているのだそうだ。諺に曰く、桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言うが、それは偽りだそうだ。
 
 
5日(土)りんご園地
 
りんご園地をご案内いただいた。広大な園地で、大切に育てられたりんごの木々が我々を迎えてくれた。りんごの花は今はつぼみで、王林は赤いつぼみ、ふじはピンクのつぼみといずれも可愛い。その枝を切って、旅の車の中に飾って下さい。2〜3日で開きますよ。とプレゼントしてくれた。
 
 
可愛いリンゴの花のつぼみ。(ピンボケでごめんなさい)
イメージ 6
 
豪雪の弘前で、雪に埋まって枝が折れそうな木を掘り出して救う。隣の木も救わずにはいられない。次々と掘り出していく、その労力は計り知れない。台風の時は、一本一本に手を当てて、あと3時間我慢すれば通り過ぎるからと励ます。そうすると頑張ってくれるんだよ。と笑顔で説明してくれた。それだけではないと思う。害虫対策とか、気象対策とか、たくさんの困難に立ち向かい、それらを克服し、美味しいりんごを作ってくれるのだ。
 
 
目の高さ位のこの枝が、雪に埋まる。それらをすべて掘り出して救助する。
イメージ 7
 
昔、台風でリンゴの木が全滅した。一時は廃業も検討したそうだ。しかし、一本一本接ぎ木して、少しずつリンゴの木を復活させていった。その木が娘と同じ年齢なので、育っていくりんごの木は愛おしい。とそのりんご農家の方は語った。
 
有難うございました。お世話になりました。さようなら。
 
ブロ友から、ようこそ青森へ。とメールをいただいた。嬉しかった。その方に会いに、県東部まで走った。途中山肌に雪が残る山岳コースになり、高いところでは高さ3m位の雪の壁がある。
 
 
雪の中、霧の中を進む。
イメージ 8
 
ブロ友に、約束時間より少し時間が遅れることの了解をもらい、酸ヶ湯(すかゆ)温泉に入った。3年前八甲田山へ登ったとき以来で、懐かしい。
 
 
雪がたっぷりの、酸ヶ湯温泉の駐車場。
イメージ 9
 
相変わらずの凄い人気で、大勢の入浴客がいた。一見して分かるスキー客や登山客も多い。千人風呂と言われる大きな混浴風呂は、たくさんの人達が心地よく温泉を楽しんでいた。後で分かったことだが、この時スキー客の一人が事故死していた。外へ出ると、折角温まった体が急激に冷やされる。早々に出発し、傘松峠を過ぎて十和田湖へ近づいていくと、雪の中でぶなの新緑が美しい。
 
 
ぶなの新緑の中を進む。
イメージ 10
 
 
下界の山中は桜が綺麗。
イメージ 11
 
久しぶりにブロ友に会い、“おっこ丸”のダイネットにお越しいただき、旅談義で盛り上がった。お互いにキャンカー旅の楽しさはよく分かるし、お互いの思い出話にはきりがない。
 
 ところで、と質問した。・・・戸(へ)の戸とは?との問いに、諸説あるが戸とは、昔、南部藩が南部駒を育てる牧場のことで、一戸・二戸・九戸は岩手県、三戸・四戸は今は無くて、五戸・六戸・七戸・八戸は青森県。付録で数字のその後は、十和田・十一はすみません忘れました・十二湖・十三湖と続き、終わりはなんとか止まりだそうだ。
1時間以上話をして、名残り惜しいがお別れした。
 
 
お勧めの舘野公園に行ってきましたよ。
イメージ 3
 
                               つづく

全148ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
おっこ丸
おっこ丸
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(3)
  • アルク
  • warpdriver
  • すべらない沖縄JOHO
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事