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昨日は気仙沼の景勝地・岩井崎を紹介しました。
ここからすぐの場所に宮城県気仙沼向洋高校がありました。
(前述の記事の最後の画像の□で囲んだところ)
しかし東日本大震災の津波によって校舎はのまれてしまいます。
この画像からも分かるように、3階までの窓ガラスはありません。
津波は4階まで到達しました。
この校舎は震災遺構として保存され、今年の3月10日に「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」としてオープンしました。
左の茶色い建物が旧南校舎。奥の白い建物が旧北校舎です。
入場すると最初に映像シアターで気仙沼各地で撮影された津波の映像を鑑賞します。
その後、コースに沿って進んでいきます。
まずは南校舎1階。
CAD準備室。
トイレ。
保健室。
ベッドや車椅子が確認できます。
校長室。
2階は立ち入り禁止。
3階へ。
電機磁気室。
車をはじめ、あきらかに学校にあったものではないものがたくさん。
もう一度言います。
ここは3階です!
散乱した教科書や事典。
送信練習室。
海岸の防風林だったのでしょうか、松の木が流れ込んでします。
最上階の4階へ上がります。
通信実習室。
たくさんのパソコン。
ちなみにマウスコンピューターでした。
この部屋にあるレターケース。
矢印から下が錆びています。
津波は4階のここまで達しました。
ベランダに出ると壁が大きく壊れています。
津波で流れてきた冷凍工場が衝突した跡です。
ここから奥は立ち入り禁止でした。
屋上に上がります。
ここにはたくさんの家々が立ち並び、人々の生活がありました。
校舎の裏手にはこんな廃墟が。
ここには…
体育館がありました。
そしてこの光景。
すぐそこにまで津波がせまっていました。
遠くに小高い丘が見えます。
1896年の明治三陸大津波の際にはここに登った人々が助かりました。
今回の地震でもここに約60人が避難したといいます。
しかし…
今回の津波はそれ以上のものでした…
この周辺では避難した約60名を含め、地区住民312人の約3割である93名が犠牲となりました。
現在、高台には杉ノ下地区東日本大震災慰霊碑が建立されています。
屋上から北校舎を見ます。
○で囲んだヒバの木。
完全に津波に水没しましたが、今も元気です。
では1階に下りて、その北校舎へ行ってみます。
その前にあの4階の壁を見て見ましょう。
そして体育館。
入り口から中を見ると…
校舎と体育館の間にあった生徒会館。
北校舎の裏には総合実習棟がありました。
この踊り場には引き波で流れてきた5台の車が引っかかっています。
では北校舎の中へ。
北校舎は1階の一部のみが公開されています。
情報海洋学科1年生の教室。
この奥には科学教室などがありますが立ち入りできません。
このあとパネルなどで震災を紹介する展示室、生き残った人々に焦点を当てたドキュメンタリーなどを上映する講話室を見学し終了となります。
各上映作品や展示室のパネル等は撮影禁止ですが、校舎内は撮影可能となっています。
みなさんにも機会があればぜひ一度は見て欲しい施設でした。
この校舎が保存され、撮影も可能なのは、全校生徒にだれも犠牲者が出なかったからでしょうね。
水産高校ということもあり、水の怖さもよく知っていたのだと思います。
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日記やお知らせ
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津波の爪痕が8年以上経っても残されてるんですね。
記憶が風化しないよう機会があれば訪れたいと思います。
ご紹介ありがとうございました。
2019/6/28(金) 午前 5:04 [ きゅあおっさん ]
きゅあおっさん>
8年経っても、ごらんのとおり周辺にはなにもありません。
いつまでこういった工事が続くんでしょうねぇ…
こちらにいらしたときは案内しますよ〜(^^
2019/6/29(土) 午前 1:37 [ しら ]