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先日、"ネビィラ 71"さんより「ガロっていつからいつまで発売されていたんでしょうか?」という質問をいただいた際、 1964年〜2002年までと回答しました。
しかし、これには若干正確性に欠けると思い、改めて回答したいと思います。
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経営難だった青林堂は1990年に山中潤氏が経営していたソフトハウス"ツァイト"を経営母体として再出発する。長井は青林堂の会長となり山中が編集長となる。
1996年、長井死去。ここから歯車が狂い始める。
1997年2月、ツァイトは「デジタルガロ」を創刊するも失敗。中山は体調を崩し、中山が信頼していた福井源氏が社長に就任。
これを機に、これまでの路線を踏襲したい旧青林堂派、新しい路線を目指すツァイト派の対立が悪化、ついに7月、旧青林堂派が一斉辞職という形となり、ガロは1997年8月号で休刊。
手塚能理子氏率いる旧青林堂派は事件直後に「マンガの鬼」を出版し、事件について釈明する。「青林堂は乗っ取られた」。これによりツァイトへの風評批判が増し、ついにツァイト倒産。
福井は1998年1月号より復刊するが、1998年9月号で再び休刊。
青林堂は蟹江幹彦氏が経営する大和堂が母体となり、2000年1月号より再び復刊。しかし、2002年7月号より季刊化、12月オンデマンド雑誌となるも1号のみで終了している。
蟹江はその後銃刀法違反で逮捕されている。
さて、ここで一人悪者扱いされたツァイトの山中。10年の沈黙を破り、ついに昨年その真相を語った。
ツァイトが倒産したとき、山中名義で倒産案内で出されたが、そのときはすでにツァイトを退職していたこと、総辞職事件のときに山中はスペインに滞在しておりまったく知らなかったこと、福井に騙されて青林堂を手放してしまったこと、福井体制下の青林堂にはまったくかかわっていないこと、2000年の復刊の際に、長井勝一漫画美術館に取材来て、東京に戻ったら席がなくなっていたこと。
別に山中氏を擁護しようとは思いません。青林堂が破滅を歩んだのは事実ですから。
かといって、手塚氏を擁護するわけでもありません。総辞職によってガロが休刊してしまったのですから。
しかし、福井といい蟹江といい、長井亡きあとの青林堂は経営陣に泣かされましたな。潔く長井の死とともにガロも散ったほうがよかったのかも知れません。
とにかくいろいろあったが、当事者でもないので真相はわからない。っていうか、読者にとっては、そして漫画家にとって、内部の争いなんてどうでもいいのだ。編集に携わる方々には、ファンが今まで読んできた漫画が突然読めなくなってしまうこと、漫画家が今まで描いていた漫画が連載中止になってしまうこと、そこを考えてほしい。
長井の志を受け継いだ手塚さんは青林工芸社を立ち上げ、月刊漫画誌「アックス」を出版している。内容はまんまガロだ。ガロはアックスとなって今も読まれている。
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ただ、山中さん、取材して帰ったら席がないって…
あの数時間まで俺と一緒だったじゃないですか…取材のあと、二人で塩釜駅前のマックで飯食って別れて、それが「ガロ」最後の仕事っすか…
山中氏にも手塚氏にもお世話になったから、本当はどちらも擁護したい、できることならまた昔みたいに一緒に仕事をしてほしい。それが私の本心です。
2000年1月復刊号には、そのときの取材の模様や、私の文章も掲載されてます。古本屋さんで見つけら読んでみてね。
ながながとすいません。
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