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今回は「栗原電鉄」時代に活躍した車両を紹介します。 まずは「細倉マインパーク前駅」に保存されている車輌です。
軽便時代から活躍したED18(中日本重工三原製)が昭和30年の改軌に際して改造されED20となりました。 3台が在籍しましたが、この2号機は昭和58年にいち早く引退してしまいました。
この写真を撮ったのは廃止のちょっと前。かなり傷みが目立ちましたが、廃止後は屋根が付けられて化粧直し。 現在はキレイに保存されています。 続いて、始発駅だった「石越駅」の近くにあるテーマパーク『チャチャワールド』に保存されている車輌です。 ここにはM152、C152そしてED201の3両が保存され、M152、C152は休憩室として使用されています。
この機関車は「くりでん」移行のための沿線の工事などで最後まで活躍しました。 また『さよならED201』のヘッドマークをつけて運転されました。 運転台が正面から90度の位置にあり、運転士は横を見ながら運転していました。
最後は本社や車両基地があった「若柳駅」の構内に保存されていた車両たちです。
当時は木造車でしたが、のちに鋼体化されました。 2〜3号車は昭和46年に福島交通でデビューした日本車輌製の車両です。平成3年に栗原電鉄にやってきました。
↑晩年はイベント列車として活躍しました。
↑なんと駐輪場として使用されていました(^^
↑現役の「KD10」と
昭和31年アルナ工機製で京阪の81と86形の車体と西武のTR41形台車を組み合わせたもので2両が製造されました。
以下の2輌の無蓋車「ト」は、明治40年に製造されたもの。 廃止当日まで、現役貨車としては日本国内最古のものでした。
機関区の横には、わくさんのワフが倉庫して使われていました。 残念がら、若柳駅に保存されていた車輌はほとんどが廃車となってしまいました。
現存しているのは、M103、ワフ74、そして最古参ト102、ト103の4輌のみです。 |
くりでん
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ここでは、廃線時まで現役で活躍した車輌を紹介します。 「くりはら田園鉄道」には「KD95」の1〜3号車、「KD10」の2両編成、若柳駅構内で列車の移動に使用される「DB101」と保線車両1台が在籍していました。
カンテラ風の前照灯が特徴で車内はセミクロス仕様で椅子や床に木材を使用したレトロ調レールバス。 形式記号のKは「くりはら」、Dは「ディーゼル」をあらわし、これらの後につく番号は導入年数および号数です。 たとえばKD951の場合は1995年に導入された”くりでん”の気動(ディーゼル)車の1号機となります。 ↑KD951 ↑KD952 ↑KD953 KDの車内 ↑栗原電鉄時代の架線跡がそのまま残されてました(^^
学校開校時の通学時間帯にのみ使用されましたが末期は稼動することも無くなってしまいました。 ↑塗装は名鉄時代のまま。
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宮城県北部、登米市と栗原市を結ぶ25.8Kmの路線「くりはら田園鉄道」(通称くりでん)は大正 7年12月15日「栗原軌道株式会社」として発足以来、地域住民の足として、また細倉鉱山の貨物輸送そして栗駒国定公園への観光などで重要な役割を果たしてきました。 昭和16年には「栗原鉄道株式会社」、昭和30年には「栗原電鉄株式会社」に商号変更。昭和39年には「陸前乗合自動車株式会社」と合併し,「宮城中央交通株式会社」に商号を改めましたが、昭和44年にバス部門を分離し再び「栗原電鉄株式会社」と改めました。 しかし、年々減り続ける乗客数、細倉鉱山の廃鉱などにより欠損補助金助成が打ち切られ廃線の危機に陥ります。が、平成5年12月15日より経営を第三セクターに移管。電化を廃止し平成7年4月1日より「くりはら田園鉄道株式会社」に商号を変更し現在に至っています。 そんな「くりでん」も2007年3月31日をもって90年の歴史に幕を閉じました。 「栗原電鉄」時代には「男はつらいよ」のロケも行われ、第41作『寅次郎心の旅路』のロケでは寅さんはM15型に乗車しました。
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明日6月14日で、岩手・宮城内陸地震から2年。 この震災で、地域づくりプランナーの麦屋弥生さん、鉄道博物館学芸員の岸由一郎が亡くなりました。 彼らは、廃止となったくりはら田園鉄道を今後どのようにして町づくりに生かすかを検討するために栗原市に入っていました。 そして、彼らが計画に携わった若柳駅跡地への鉄道公園が完全ではありませんが、カタチになってきました。 これを記念して、震災2周年の前に本日、保存車両の復活運転が実現しました。 出発式には関係者はもちろん、栗原市長や麦屋さん、岸さんのご遺族に出席され、黙とうがささげられました。 大正時代の若柳駅が復元された鉄道公園 園内にはかつて活躍した車輌たち。もちろん中にも入れます(^^ そして、動態保存されているKD95. 今回はこの若柳駅から片町裏信号所までの片道500m区間を往復します。 それでは短い区間ですが車窓の風景をどうぞ。 ただ、お客さんの立場からちょっとだけ苦言を… 今回の一般客の運行は午前11時半から計5回行われました。 朝9時には駅前に体験乗車を希望するお客さんが並びはじめていました。 しかし、11時半までの予定はまったく知らされていません。 運行前に公園内の車輌を見学できるのか、出発式が何時からなのか、スケジュールは一切知らされていません。 何も分からないまま、10時半。関係者だけが駅舎内に入り出発式を行っていました。 式がおわり、いよいよ中へ…と思ったら、入口の窓は閉められてしまいました。 関係者だけが、まず先に乗車体験するようです。 並び始めて2時間。なにも告げられないまま11時を過ぎました。 やっと開門。しかし、あまりに並んでしまったため、急きょ体験列車を2輌編成にすることに。 ここで、連結作業がはじまりました。 そして、座席は1輌につき40席ちょっと。立っての乗車は行わないので、席が埋まった時点で次の列車に乗るようにとのことでした。 11時20分。やっと乗車。 ところが席がいっぱいになっても、まだまだ人が乗ってきます。 実は、スタッフの昼休みのため、この列車の次は午後1時! さすがに待たせるわけにいかないとおもったのか、どんどん詰め込みます。 結局出発は11時40分過ぎ。鉄道運行としては、やってはいけないことですよね。 乗客が窓を開けて車窓を楽しんでいると、クーラーが入っているので窓は閉めろと言う。これにはお客さんもブーイング。 もう段取りがメチャクチャです。 運行してくれるのは嬉しいですが、もう少し勉強してほしいですね。 下北交通や南部縦貫鉄道の体験乗車を見習ってほしいと思いました。 嬉しさと怒りが入り混じった体験乗車でした(T_T
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2007年3月31日をもって廃止された「くりはら田園鉄道」。 あれから3年経った、"くりでん"の各駅舎跡の様子です。 各駅にあった駅舎や待合室、ホームなどは、若柳駅と細倉マインパーク前駅を除いてすべて解体撤去され更地となっています。 その駅跡にはそれぞれ、かつて駅があったことを示す石碑が建てられました。 また、本社があった若柳駅および構内は整備され、鉄道公園が建設中です。 それでは起点の石越駅から順に見てみましょう…と言いたいところですが、石越駅跡にだけは石碑の建設場所が決まらないということで、ただの空き地が広がっているだけです。 そいうことで、次の荒町駅から。 次の若柳駅は鉄道公園整備中。さらに立派な石碑ができたのですが、まだ未公開です(^^; 若柳駅と沢辺駅は大正10年の開業時に建てられた駅舎で同じ設計図から作られました。 鉄道公園整備にあたり、若柳駅を開業当時のままに再現しようということで、解体された沢辺駅使用できる部材は若柳へ運ばれ、りっぱな駅舎が完成しました! では、さらに進みます。 谷地畑駅 大岡小学校前駅 くりでんと東北新幹線との立体交差が見られた大岡駅 列車交換が行われた沢辺駅 津久毛駅 杉橋駅 鳥矢崎駅 くりでん最大のコンクリート駅舎があった栗駒駅 栗原田町駅 尾松駅 鴬沢駅 鴬沢工業高校前駅 いよいよ終点です。 細倉マインパーク前駅 なんか、お墓みたいだねぇ(T_T
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