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日本労働組合物語 8

《8 第一回綱領調査委員会》

《政治研究会の自由主義的な知識人と、左翼的な支部会員との対立は、中央委員のひとり嶋中雄三が機関誌『民衆政治』の大正14年5月号に、「大会の後に」という文章を書いたことから表面化した。》

・嶋中氏はそこで政治研究会成立の動機は、自由主義的な社会民主主義を基調とする無産党の樹立を意図したものだったとし、言外に左翼派に挑戦するものであった。
・これへ地方組織から攻撃が起こり、中央委員会の決議によって、嶋中氏の論文は取り消されることとなった。
・政治研究会の綱領草案においても同様なことが起こり、「日本の現在の情勢は改良主義により大衆の生活を向上せしめる余地はない。ただ階級闘争の原則の上にたって、闘争によってのみ解放の任務を遂行する」という案が指示された。
《とにかく、左翼が政治研究会を乗っ取ったかたちで綱領、規約がまとめられた。》
・政治研究会は10月に臨時総会を開き、右派の10名が中央委員を辞任し、左派および中間派の9名が選任され、「創立した自由主義的知識人を追い出し、左翼が母屋を乗っ取ったかたちになった。」
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左翼運動は弾圧によって萎んだとされがちであり、またそれも多少あるかもしれないが、実際は"会議のやり方"に原因がある。それが自沈の原因である。そこには結論のみが提出され、討論の余地がない。会議の意味をまったくなしてない。尤も、これは「日本の会議」の悪しき慣行ともいえる。よって、過半数とれればよいという発想が現在も踏襲されているとみる。日本では、思想は関係ない。主張がどんなものであれ、恐怖政治体制をめざす会議進行なのである。
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・無産政党組織準備委員会の第一回綱領調査委員会は大正14年9月に開かれたが、ここでも和やかには進まなかった。
《決定した綱領案の47項目は、「治安維持法、治安警察法その他いっさいの暴圧法令の撤廃」、「言論・出版・集会および結社に関する制限法令の撤廃」、「労働組合および農民組合の組織および活動の自由」、「満18歳以上の男女の無制限選挙権および被選挙権」をはじめ、ほとんど左派のだしたもので、否決撤回、または保留されたもののほとんどは右派の提出したものだった。》
《会議は両派の対立のうちに、それでも無事に終わったが、麻生久著『無産政党とは何ぞ』は、つぎのように書いている、−
「かれら(左派)は、懇談的協定を四畳半式と称して嘲笑し、徹底的に相手をやりこめるか、しからずんば多数決によって公然たる議論ののち敗北するか、2者のうちその1をとらんとする態度を持し、かれらり所謂左翼的自負の傲慢さをもって眸車にいで、ふた口めには、小ブルジョア根性と相手をののしることによって、その相手を教育せんとしたるごときは、右翼の代表者をしてたんに思想上のみならず、感情的にも痛憤せしむるにいたった。」》
・散会後、日農の杉山委員長が総同盟の西尾末広を呼び、左派とは一緒にやっていけない、だが日農が招集した協議会だけに自分から言い出せないからと、総同盟にその役割を求めた、総同盟は日農がその気ならと態度が決まった。
《間もなく官業労働も、機関紙上で、「われわれは無産政党に関し左翼の人びとと根本的意見に相違あることが明らかになり、終始行動を共にしうるや否やにつき多大な懸念をいだくようになった。」と論じた。》

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