さようなら

 
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 定年後、すぐに始めたキャンピングカーによる日本再発見の旅。
それを機に日記代わりに始めたブログ、”キャンピングカー日誌さー”。
日本中を縦横無尽に回りました。日本百名山登山、桜前線追いかけ旅。人々との出会いを通じて歴史・文化を味わい、珍しい料理もたくさん堪能。その土地の現状の問題点もたくさん知りました。

 5年半に亘り、5万キロを走破したところで、生来の変形性股関節がついに壊れて股関節骨頭壊死。2年をかけて左右の股関節は人工股関節全置換手術が完了しました。

 次の人生は、先ず手術後のリハビリを兼ねて太極拳教室。太極拳の先輩の影響で川柳教室。
 人類の歴史が刻まれた遺跡で活躍するボランティアガイドの皆さんにお世話になったことの恩返しのつもりで、地元加曽利貝塚でのボランティアガイド。ブログはその後も続けてきました。

 定年後の生活も13年目となったところで、yahooブログが終了となる由。その間、全国のたくさんの方々と友情の実を上げる事が出来ました。コメントをいただいた方々は勿論ですが、訪問者数と訪問者履歴を見ると、本当にたくさんの方々に拙ブログをご覧いただいたことだと驚くばかりです。

 他のブログに引っ越して、ブログを更新する事は勿論可能だとは思いますが、これを機に卒業する事を選びます。

 今まで長い間、本当にお世話になりました。
厚く厚く、心からありがとうございました。さようなら。
  

 


縄文から令和へ

 加曽利貝塚の新しい企画展が始まりました。
夏休み子ども向け企画展「縄文から令和へ‐いまとむかしの知恵くらべ‐」です。

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 歴史の原点の縄文時代は、生活を支える大事な事は、色々な道具を発明したことではないでしょうか。

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 食べ物は狩猟採取によって獲得しました。主食は広葉樹の森が生産してくれるどんぐりです。その森の中に竪穴住居を作って定住生活。非常に合理的なシステムですね。

 森に棲む多様な動物は、俊敏な小型の動物は弓で撮り、大型の猪や鹿は落とし穴猟で撮り、山芋を掘ったり、野菜を栽培したとも言わております。更に、川に浮かべた丸木舟で海へ出て、魚や貝を採りました。
 多様な食物を得ることで、どんぐりが不作の年でも、他の食糧で補填できたわけです。

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 得られた食料は弓きり式火起こし法によって煮炊きができて、衛生的に食べる事が出来ました。

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 肉や魚の調理は、黒曜石の縄文ナイフや、ハマグリの貝刃です。


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 縄文土器は縄文時代のお鍋です。

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 千葉県の最高峰は標高408mの愛宕山です。これは全国で最低標高です。つまり千葉県は全国一低い場所なんです。千葉県の12万年前は、愛宕山を含む嶺岡丘陵だけが島状の陸で、他は全て海の底でした。火山もない新しい地層ですから、生活を支える道具を作る石が無かったのです。

 遠い所から交易によって得られた石は大変貴重な資源だったのです。その石は磨いて作られた磨製石斧(ませいせきふ)、割って成型された打製石斧(だせいせきふ)によって、生活が成り立ちました。


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 縄文土器のお鍋で作られた料理は、盛り付け土器に盛られて竪穴住居の家族で食事をしました。

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 最後にクイズコーナーで、縄文から令和への年代クイズです。このカードもめくると答えが出ますよ。

 生活に必須の道具を石から作り、土器、竪穴住居、弓を発明し、生活は画期的に便利になりました。ムラの人々の生活は皆が協力してお互いを支え合い、争いのない平和な生活だったのではないでしょうか。縄文の人々が築き上げたそんな生活が、現代の我々の基盤になっているのだと思います。

発掘調査2

 一昨年前から始まった発掘調査は、今年度で3年目となる。
前年度の発掘調査終了後、発掘現場を保存のために、1,000個の土嚢を入れ、ブルーシートで表土を蔽い、養生をしてきた。

 6月25日からの発掘調査再開に向けて、養生を剥がす作業を開始したが、今年は梅雨に阻まれて準備が進まず発掘調査の開始が遅れていた。

 雨の合間を縫って、漸く調査が始まった。

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 発掘によって出た土は次のふるいかけの工程に運ばれる。


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 毎日14:00〜15分間、発掘担当者による説明が行われる。

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 発掘によって出た土壌をふるいにかけると、土器片とか石器等小さい遺物が見つかることがある。そのふるいかけ体験も行われている。小さな遺物が見つかると、体験者から歓声が上がる。

 今年は強力な梅雨によって、相変わらず発掘が阻まれている。しかしやがて真夏を迎えれば、暑さが障害になる。発掘を行っている人は、  「暑いとへろへろになりますよ」と渋面を作るのだが・・・。
                                       つづく


研修旅行3

 北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を拒み、波打ち際を駆け抜ける際には親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから、親不知・子知らずと呼ばれるようになった。

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 平清盛の弟頼盛の夫人が、夫の後を慕って親不知を通りかかった折、2才の愛児をふところから取り落とし、波にさらわれてしまった際に、悲しみのあまり詠んだ「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく」という歌が由来になった。

 ひすいライン線の無人駅親不知から乗車券を取って乗車。

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 糸魚川駅で清算して新幹線で上田へ。しなの鉄道に乗り換えて御代田に到着。昼食は車内で慌ただしく。

 御代田駅から徒歩20分、今回の研修最終地、浅間縄文ミュージアムに到着。

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 堤隆浅間縄文ミュージアム 館長自ら、懇切丁寧なご案内をいただきました。

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 貝塚の人々の生活と違って、雪深い山地における生活は大きく違います。そこで生活した縄文人の様々な文化にとどまらず、縄文時代における考古学の豊富な知見をご教授いただきました。

 今回の研修旅行は、大変実りの多い、有意義なものとなりました。計画段階から用意周到な準備と臨機応変な対応をしていただきました、企画委員会のメンバーに感謝です。
                                          完

研修旅行2

 ほくほく線で十日町から糸魚川へ移動。糸魚川駅からバスで長者ヶ原考古館へ。

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 糸魚川はヒスイのふるさと。加曽利貝塚でもヒスイの遺物は出土しており、博物館に展示されている。

 ヒスイは全国の遺跡から出土されており、地域や集落における所有者の立場などを示すステータスシンボルであったと解釈されています。
 ヒスイの産地は列島の各所で確認されておりますが、ヒスイ加工遺跡を伴うのは糸魚川地方に限られることから、各地の遺跡から出土するヒスイは糸魚川から供給されたものだと考えられるそうです。

 ヒスイは蛇紋岩の中に含まれており、糸魚川のヒスイは日本海に注ぐ姫川上流の小滝地区と、青海川上流の橋立地区で、これらの川の河原や河口付近の海岸で発見されます。

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 学芸員さんから、懇切丁寧な説明を聞きました。

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 ヒスイは大変硬く、ヒスイを成型加工するのはヒスイをハンマーに使ったりします。また、穴を開けるのは篠竹の先に石英を付けて、根気よく回転させて穿孔したと考えられています。その回転には、加曽利貝塚の縄文体験で行っている弓切り式の火起こしの技術から、弓を使ったと我々は考えています。


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 考古館を辞し長者ヶ原遺跡を見学し、ヒスイ海岸でヒスイ探し。

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 綺麗な石がたくさんあり、これはヒスイかな?と思いながら拾いました。でも、専門家が鑑定しないと分からないようです。

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 宿は駅から8分と書いてあるが、実際には20分程。ぽつんと一軒家を捜すがごとくのようなところで、崖の上から海岸が望める。

 しかし食事の豪華さには驚いた。越前ガニが一匹、魚は刺身、煮魚、焼き魚、などなど海の幸が膳に並び、食べきれないよー。ごちそうさまでした。
                                       つづく

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