今年のなでしこリーグは3/23(土)に開幕する。
それまでの間、おとなしく過ごす予定であったが、もうすでに、2月、3月と1試合ずつ、
ベルではないが女子サッカーの試合をスタジアムで観てしまって、今日に至っている。
本来の予定では、3/2(土)に開幕したJリーグと3/6(水)からのアルガルベカップをテレビで観て、
そこから、3/24(日)ラ・サスタでのベガルタ仙台レディース戦に照準を合わせるつもりであったが、
別のところにある的を目掛けて矢を放ってしまったというのが偽らざるところだ。
昨年、ベルの試合をスタジアムで観始めて以来、女子サッカーを中心に20試合をスタジアムで観た。
さらに、ロンドンンオリンピックになでしこの試合やJリーグ、皇后杯など20試合近くをテレビで観て、
加えて、Jリーグ発足以来のファンであるサンフレッチェ広島のJ1優勝に沸き立ち、
広島でのベルの皇后杯準々決勝の試合と幸運にも日が重なった優勝パレードも見たせいか、
3/9(土)夜は湘南ベルマーレ対サガン鳥栖の試合を、
3/16(土)夜はヴァンフォーレ甲府対名古屋グランパスの試合を、
共にBS1の中継で、最初から最後まで退屈せず、案外楽しんで観ていた。
ファンチームのサンフレッチェ以外の中継であっても、
どこのチーム選手であっても良いプレーに対しては、テレビの前で感嘆してしまうという観戦スタイルは、
スタジアムで声を出してひたすら応援に終始するのではなく、場合によっては応援を放棄して、
試合に観入ってしまうベルのサポーターだからこそ、身についたことなのかもしれない。
3/10(日)は藤田のぞみ(浦和レッズレディース)サポーターのタテイシさんとともに、
京都マラソンの応援に、特に、サッカーユニフォームを着て走るランナーを集中的に応援しに行ってきた。
2011年の奈良マラソンの沿道で、たまたま思い付きで始めたことなのだが、
そこに独自の面白みを感じた彼が中心となり、
昨年の京都マラソン、神戸マラソン、大阪シティーマラソンと発展、継続させて、今年に至っている。
寒冷前線通過による突風と激しい雨が昼頃にあるとの天気予報が出ていたこの日、
午前10時前にはタテイシさんと現地で合流し、
さらに、この企画に興味を持ってくれた若者たち4人が加わった。
普通のランナーには頑張って!と手を叩いての応援を、
サッカーユニフォームを着たランナーの姿を認めると、
一段大きく手を叩いてチーム名のコールを送るというスタイルで沿道に立っていたその姿は、
傍から見たら異様な集団に見えたに違いない。
天気予報が見事に的中し、強風が鴨川河川敷の道の砂を巻き上げ、冷たい雨が激しく打ちつける中、
別にマラソンをしているわけでも、知人が走っているわけでもないのに、
風雨に曝されながら、こんな応援を午後2時頃まで行なっていた。
3〜4時間台の完走ペースのランナーは比較的余裕があり、結構なノリでコールに応えてくれたのだが、
それ以降のランナーはそれどころではないくらいの苦しさを露わにして走っている。
そんな状態の見ず知らずの、ただサッカーユニフォームを着ているというだけのランナーに対して、
コールを無理やりに送る行為は、応援というよりも、体のいい総会屋に近く、
彼ら彼女らに容赦なく鞭を入れ続けたのではないかと思っている。
しかし、そんな応援を送られたランナーは、しばらくすると走り過ぎて行くという、
旅の恥は掻き捨ての逆のような展開なので、コールを送る方は気が楽なのだろう。
詳しくはタテイシさんのブログを参照のこと。
「2013京都マラソン:サッカーユニフォーム姿のランナーさん応援企画おつかれさまでした!」)
このブログに、私たちがコールを送った相手、
つまり、サッカーユニフォームを着たランナーからコメントが寄せられていて、
特に、サガン鳥栖のユニフォームを着たランナーからのコメントを読んでうれしくなった。
サガン鳥栖を識別できたのは、前日のJリーグ中継と、
以前見たサガン鳥栖を特集していたNHKBSのドキュメンタリーの賜物である。
コメントを寄せたランナーからは、前もってこのブログを読んでいて、
いつコールが掛かるか期待しながら走っていたと書いてあった。
何をやっていたのだろうと思わずにはいられない悪天候の中、
彼を見つけられて、サガンコールをすることができ、
そして、コメントまで寄せていただき、感謝の一言に尽きる。
来シーズンに向けての課題はユニフォームの識別であり、ホーム、アウェイとサードに加え、
練習用まであるユニフォーム、これが、J1、J2、JFLやなでしこリーグのチームの数だけあり、
しかも、走ってくるランナーを見て、瞬時に判断し、コールを送るという
クイズのような展開は、記憶力、判断力、瞬発力が求められる。
その週の金曜日、3/15の夜、私の職場に新しく配属された女性の歓迎会があり、
飲み放題メニューの中に、日本酒やワインといった醸造酒がなく、
不満を口に出しつつ飲み続けた芋焼酎のロックのおかげをもって、
終電に乗ったはよいが、降りる駅を寝過ごし、
気が付いたときには、降りる駅が遠ざかって行く光景が窓越しに見えていた。
途中の駅で降りて引き返すことも考えたが、引き返してみても、家の最寄り駅までの電車は既にない。
どうしようもない展開の電車の中で思案してみても良策が思いつくわけではなく、
とりあえず大阪駅まで行くことにした。
そこでホテルにでも泊まろうと考えてもみたが、どうも気乗りがしない。
こんな状態では、急遽泊ることになったホテルの一室で、
事ここに至った原因を後悔と反省をするに決まっている。
それをしたところで、降り過ごした行為を取り戻すことはできない。
かえって、こんな状況は創り出そうと思ってもそう簡単に創りだせるものではなく、
今、置かれた状況を楽しもうではないかと思いが頭の中に浮かんできて満たされてしまった。
そうなったら、とりあえず難波まで歩いてみようという気になり、
御堂筋を南に向かってふらふらと歩き始めた。
一人御堂筋パレードだと思ってしばらく歩いていた時、
通りに面したビルの1階のショールームに目が留まり、しばしの間、足を止めて見入ってしまった。
そこには、アイルトン・セナが乗っていたマクラーレン・ホンダMP4/4が展示してあった。
セナは私の母が好きだったF1レーサーで、セナがサンマリノで事故死した後、
レース雑誌の付録のセナのポスターが自宅の台所の壁面に貼られ、
20年近くが経った今でもそのままになっている。
真夜中の大阪の街で、セナと出会えるなんてと感動だと、大袈裟に思えたのは酔いのおかげなのだろう。
それにしても、3/16(土)午前1時近い時刻なのに、
御堂筋を歩く人の数は想像していたよりも多く、
終電もない状態で彼ら彼女らは一体どういうつもりで歩いているのだろうかと、すれ違うたびに感じた。
さらには、通りの両側にそびえ立つビルのあちこちに灯りがついているのを見えると、
こんな深夜まで仕事とはご苦労なことだと思うと同時に、
これだけの部屋があるのに、私の居る場所はどこにもないなどと至極当然のことを、
少し感傷的に思いながら南へと歩を進めていた。
やがて、難波に着き、いよいよこの後の手段がない。
ここで、カプセルホテルにでも泊まろうと思ったのだが、
何だかそういう時間の使い方がもったいないように思えてもいた。
今思い返すと、多分、泊まるという行為が私自身で許せなかったに違いないのだが、
そこで下した決断と行動も大いに間違っている。
この事態は帰宅困難時の演習だと勝手に想定し、
ここから歩けるところまで歩き、そこから始発に乗って家に帰ろうと思い、
再び歩き始めたことは明らかどうかしている。
結果的には、大阪駅から難波、難波から車庫のある駅まで線路を目印にして歩くこととなり、
スーツにネクタイ、コートを纏った姿で、
0時から4時過ぎまで、ほとんど歩きっぱなしで目的とした駅に着いた。
それから駅前の24時間営業のハンバーガーショップに入って、
少し早い朝食をとり、始発電車に乗って家に帰りついた。
後で調べてみると、約15kmの距離を歩いていた計算となったのだが、
深夜の街を歩いても襲われることもなかったので、まだまだ我が国の治安は他に比べて良く、
道沿いにあった新聞配達店は2時頃から配達の準備をしていて、4時前には配達のバイクが走っていた。
また、夜とはいえ、大阪の街は明るく歩きやすかった。
家に帰り着いてからは真っ先に風呂に入り、それから布団に入って、午後2時まで寝た。
そこから、ようやくいつもの土曜日が始まったのだが、全てが6時間遅れであった。
午後4時ごろ、買い物から帰ってくると、家の庭先の木蓮に、大きくふくらんだ白い蕾があるのを認めた。
毎日の仕事の行き帰りにいつも見ているはずなのに、こんな週末に春が来ているのを気がつくなんて。