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本日、衆議院が解散された。
選挙があると、毎回思い出す言葉がある。
大学時代、政治学の講義で紹介されたJ・J・ルソーの言葉である。
「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。
彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、
イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう。
その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかをみれば、自由を失うのも当然である。」
(「社会契約論」ルソー著、桑原武夫・前川貞次郎訳(岩波文庫))
この言葉の「イギリス」という単語を「日本」に置き換えてみると、
まさに、我が国の現状をはっきりと表している言葉になる。
近頃の我が国の政治について、「国民不在」という修飾語を使うことが多い。
現在の国会議員を選んだ時の投票率を調べると、
有権者の半分近くが選挙権を行使していない、つまり投票に行っておらず、
投票に行った人の半分の票をとれば政権が獲れると、大雑把に考えると、
50%×50%=25%
全有権者の25%の支持があれば、政権が獲れる計算が成り立つのだから、
このようにしてできた政権に対して、
「国民不在」とか「国民が置き去り」とかいう修飾語が使われることは、ある意味正しい。
しかしながら、選挙権を行使しない、つまり、権利を放棄することは、
次の選挙まで政治がどうなっても構いませんと意思表示したことになるので、
投票に行っていない50%の人は、政治に対して発言権がないとも読み取れる。
近頃、毎月のように行われる世論調査では、
投票に行った、行っていないに関わらず意見を調査するので、
投票に行っていない人の意見も反映されている。
現状の調査という意味では、それで間違っていないのだが、
本当は、投票に行っていない人の意見は除外されるべきではないか、と前々から考えている。
例えば、内閣支持率が25%という数字が出たとする。
この内閣は4人に1人しか国民に支持されていないとの意味合いであるが、
以下のように考えると、また違った意味合いが現れてくる。
まず、投票に行っていない50%の人を差っ引き、
次に、残りの投票に行った50%の人のうち、
今の政権を選挙で選んだ、その中での50%の人、全てが現内閣を支持すると答えたとすると、
内閣支持率は50%×50%/100%=25%となり、
投票に行き、現政権を選んだ人は全て支持しているとも読み取れる数字にもなる。
上に示したのは、ただ単純な仮定に基づいて計算しただけの数字上のお遊びであるが、
こんな仮定が成り立ってしまうような現状は危ういと言わざるを得ない。
投票は、憲法上、義務ではなく権利であるが、
民主主義国家に生きている人にとっては、限りなく義務に近い権利なのである。
だから、投票に行かないといけないなどと、通り一遍のことを言いたいのではない。
我が国とは統治制度の異なるが、民主主義や人民共和などと名乗る、一部の人が権力を握る国と、
現在の我が国とが、「国民不在」という点では一致する。
しかし、これらの権力を独占ないしは寡占する国々では、国民不在で物事が次々と進むのだが、
少数の選挙権の行使者によって選ばられた人が物事を決定する我が国は、
国民不在でも物事は遅々としか進まない、決められない政治となっている。
今の我が国の現状を継続するのか、または、変えるのかは、私を含む日本の有権者が選ぶのある。
しかし、投票を行なったからといって、思うとおりの結果になるとは限らないが、
選ぶことはできるのである。
そういった意味でも、民主主義国家に生まれてきて、選択できる国に生まれてきて、
よかったと心から思う瞬間は、選挙の時なのである。
前に挙げたルソーの言う「自由な短い期間」に「自由」をどう使うかを真剣に考える時がやってきた。
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