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まず初めに、ライラック交通のY運転手に深く感謝申し上げます。
ありがとうございました!
 
本日9/2(水)午後、
北海道地方大雨のため、札幌から新千歳空港までのJRが不通で止まっており、
出張先から普通に帰ろうとすると、帰りの飛行機に間に合わない事態が生じていました。
札幌駅のアナウンスでは他の交通機関をと呼び掛けていましたが車しか手段がなく、
しかもバスでは間に合わないため、タクシーを選択致しました。
その乗り場で声を掛けた見知らぬ二人と乗り合ったタクシーの運転手がY氏であり、
彼の果敢なドライビングにより、三人の出発時刻に間に合うことが出来ました。
しかしながら、私の乗る飛行機が新千歳空港悪天候による乗員の遣り繰りが付かず、
一時間以上の遅れでの出発となったので、彼の大きな貢献はフイとなりましたが、
それでも安心やゆとりと呼べる心の健康に大きな寄与となりましたので、重ねて感謝申し上げます。
ありがとうございました。
 
次に出張先の支店の皆様方に感謝申し上げます。
と申しますのも、運転下さった車に乗せてもらっていたお陰で、
札幌駅の北側に高速道路の入口があると覚えていたため、
タクシーに乗ると決めた時、すぐ足が北口に向き、わずかな時間の短縮が出来たのも、
昨日9/1(水)からの二日間、行動を共にしたお陰です。
ありがとうございました。
この度の出張に伴うご質問ご要望がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
 
旅にトラブルは付き物ですが、予想外のそれらにどう対処するかが鍵になります。
時間のない中、最善の選択をし、それを即座に行動へ移さねばなりません。
今回の場合、出発が遅れはしましたが、定刻までに飛行機に乗ることが最大の目標となりました。
そのためには、何とか空港にたどり着かねばならず、交通手段の選択が分かれ道となります。
鉄道では45分かかり、車はそれ以上時間を要し、
バスは出発時刻と定時運航という制約を受けるので、
費用はかかりましたが、タクシーが一番早いと推測できます。
まさに「時は金なり」です。
ここで助けとなったのは、札幌駅前にはかなりの台数のタクシーがあったということです。
もし、台数が少なければ、タクシーを呼ぶ、もしくは、待たねばならず、
そこで移動以外に時を費やしてしまいます。
また、札幌駅の北口と南口では高速道路へ出る手間が違うので、
ICへ真っ直ぐ向かえる北口から乗り込むという判断ができたのも幸いでした。
空港へ着くまでの間、何台ものタクシーを追い抜かし、
ETC入口出口以外で抜かされたのは、たった一台だけだったことを思い返すと、
お客想いの運転手を引き当てた運の良さもありました。
 
考えうる限りを即座に考え、即行動に移し、
運の良さも巡って空港に予定の15分遅れで着くことができたのですが、
私がどうこうできる範囲外で出発時刻が遅れ、
大阪国際空港(伊丹)へ21時までに降りられるかというところまで追い込まれました。
こういう時、どうしてもイライラしがちになりますが、
私自身でどうにもならない場合は、じっと静かに待つしかありませんので、
カツサンドを食べ、お茶を飲み、お腹を調えました。
腹が減っては戦だけでなくイライラもつのりますから、どっしり構えた者勝ちと思います。
文句を言うのは到着してからにして、待つ身に降りかかってきた全てのことは笑う外なしとしました。
(手荷物検査場通過後に出発時刻変更と知らされたり、
場合によっては関西国際空港に降りるかもと伝えられたり、
搭乗案内時刻を過ぎても搭乗できなかったり、
とその都度不健康な笑いを一人飛ばして済ませることになりましたが...)
 
結果として、伊丹が閉まる直前の到着となり、遠い関空へ回されずに済み、ほっとしています。
関空に降りたことを考えて、そこからの帰りの手段を調べると、
家に着くのが明日9/3(木)となるところだったので、
雲の上をかっ飛ばしてくれたパイロットにも感謝ですね。
 
さて、8/31(月)から9/2まで仕事で北海道に出張しておりました。
20年ぶりの札幌、小樽は25年ぶり、旭川に至っては生まれて初めて訪れました。
各地で本土と違った色々なものを見知って、
仕事も去ることながら、それ以上にとても興味深い三日間でした。
関西よりもはるかに過ごしやすかった旭川と札幌の街中を
仕事から解放された時間に歩き、夜は日本酒を楽しみました。
私個人としては、ワインも飲みたいなと思ったのですが、
飲むのが仕事ではありませんので、諦めました。
他にも仕事以外で私に降りかかってきたことは多々あり、
その最後に大きなものが待ち構えていた出張でしたが、
それでも、私的に訪れたいなと感じた北海道でありました。
 
そこで、いつもの様に、必要以上にお菓子を買い付けてしまい、
キャリーバックの半分はお菓子で一杯となりました。
つきましては、変則ながら、以下に示す通り、
ヤフーブログでは初の単独開催となる第四回一人菓子博覧会を開きます。
 
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色々買った中で一番興に入ったのは「黒い恋人」です。
もちろん「白い恋人」が初めの商品であり、
私の家族内では中のチョコがブラックであるのを、通称黒い恋人と呼んでいたのですが、
正式には他にその名を名乗るお菓子を目にして、思わず手が伸びました。
日本各地にあれこれと変わったお菓子があるもので、奥の深さを感じて止みません。
 
車に乗って泊まり掛けの旅に出たい。
今シーズン始まる前から思っていた。
四月に車を買い替えてから、その衝動がますます強くなってきた。
一方、昨年達成できなかった全チームスタジアム観戦との目標を今年こそ実現するため、
昨年観られなかったJAPANサッカーカレッジレディース(JSCL)をどこで観ようと考えていたところ、
ある瞬間、この二つの想いを解決する方策を思いついた。
6/7(日)12時から愛媛県総合運動公園球技場で行なわれる愛媛FCレディース対JSCL戦を
その前日6/6(土)から車で観に行けばよい。
 
JSCLは今シーズンも観る予定が立てづらいチームに変わりなく、
家の近場で観ようとすると、最低でも岡山まで観に行かなければならないが、
ほとんど選手を知らないチームのためにシティライトや津山まで行く気にはなれない。
かと言って、ホームの新潟・胎内や富山・魚津まで観に行く気はもっと起こらない。
そこで目を付けたのが愛媛での試合だった。
 
この記録で何度も繰り返しているが、
今年愛媛にはFC吉備国際大学シャルム時代から応援している村松真冬が加入し、
5/24(日)神奈川県大和市へ遠征までして観に行こうとしている。
けれども、3/28(土)三木やこの大和は、愛媛にとってアウェイである。
彼女を応援するならばホームゲームで出場する姿を観なければ片手落ち
と常々思っていたので、いつ愛媛へ行こうかとも考えていた。
そうと決まれば、まず愛媛までの道順の設定に取りかかった。
 
この遠征は日曜が本番なので、土曜は頃合い良い時刻に愛媛へ着きさえすればよい。
関西から愛媛へ行くには瀬戸内海を渡らねばならないが、
ルートは明石海峡大橋−淡路島−鳴門大橋、瀬戸大橋、しまなみ海道の三つある。
いずれも通ったことはあるが、
昨年9/27(土)バスに乗って渡ったしまなみ海道はもう一度通りたい。
ただし、行きも帰りも同じ道を通るのは能がない。
車での遠出を計画している際心がけることは、往路より復路の負担を減らすことである。
そのため、行きたいところは土曜に集中させ、
日曜は試合だけに専念し、それ以外は極力帰るだけとなるよう予定を組むのが望ましい。
従って、瀬戸大橋ルートより時間が掛かるしまなみ海道は行き掛けが適している。
しかし、土曜に集中させる寄り道先として、香川での讃岐うどん巡りがあったので、
先にしまなみ海道を通ると、うどんはほぼ絶望的となる。
まず、しまなみ海道を渡り、次に香川へ引き返してうどんを巡り、その後再び愛媛へ戻る
という手段も思いつかない訳ではなかったが、
あまりに時間も労力もガソリンも無駄にするので、選択肢には成り得なかった。
また、もう一つの淡路島経由は橋が二つも渡れるという特典が付くが、
淡路島を通り抜けるのに思った以上に時間が掛かり、
さらに、鳴門大橋の先から高松手前までの高松道の一部が確か片側一車線だったはずなので、
車を走らせるのに色々と制約が多いこのルートも今回の選択肢から外した。
従って、土曜:瀬戸大橋−日曜:しまなみ海道かその逆の二者択一となる。
 
この選択の鍵を握るうどん巡りは私が長年引っかかっている事柄でもある。
今から二台前の車が新車で納入された直近のGWに家族で行ったのが、
二時間で三件のうどん屋を巡り、合計六件をはしごした一泊二日の香川の旅がその源で
当時は讃岐うどんブームが始まった頃の、
しかもどこもかしこも一番混雑するGWだったので、
長い長い渋滞を抜けた先の行きたかったうどん屋にも長い長い行列が延びていて、
その日は早々売り切れとなり、そこでうどんを食べられなかったと鮮明に覚えている。
だから、今度うどん巡りをする際は、その時行けなかったその店で是非ともうどんを食べる
と思い続け、もう十年ちかく経つ。
結局のところ、その想いが強すぎたため、
一泊二日の二日目の負担を軽くするとの原則を曲げ、
土曜に瀬戸大橋を渡って香川でうどん屋を巡った後に愛媛入りし、
日曜、試合を観た後、しまなみ海道を渡って家へ帰ると決めた。
 
こうして大まかな旅程が決まると、今度は土曜の詳細な行程を立てる番である。
何かと決めることは多かったが、
まず、巡るうどん屋の軒数と必ず行きたい店を決め、
次に、家を出発する時刻を初めに訪れるうどん屋の開店時刻から逆算し、
それから、愛媛で回りたい場所と泊まる宿はしっかりと定めた。
それ以外は当日の状況に合わせ臨機応変に動かすことのできる
余裕のある予定を組んでおいた。
こうして頭の中で旅を組み上げていく過程は非常に楽しい悩みである。
私にとっての旅の楽しみは一番に計画を立てることであり、
二番はその計画を旅先でどのように崩し、それをどう再構築して、帳尻を合わせるかにある。
それ故に、旅に出る前、旅先の情報をできるだけ頭に入れておくことが、
その旅を楽しみ尽くすことにつながると信じているので、
このような遠出からベルの応援観戦の遠征やはたまた仕事上での出張などの際は、
出発前に旅が終わっているかのように捉えられないこともない。
しかし、想定した通りに事が運ぶのも面白くないと思うつむじ曲がりでもあるため、
旅先での予期せぬ出来事も大歓迎である。
 
6/6は最初に訪れるうどん屋が8時半開店とあったので、
そこから所要時間を逆算し、4時から4時半の間に出発すると決めた。
家から現地まで途中休憩を挟んで4〜5時間と見込んでいたので、
おおよそこのくらいでの出発となる。
ベルの応援観戦の遠征においても、出発したことのない時間帯であるが、
私自身が決めたことなので、決めたことは守らねばならない。
ただし、この時間帯に出発すると、
渋滞が起こる前に宝塚を通り抜けることができる。
行き掛け渋滞に巻き込まれるのは、幸先が悪いで片付けられる事ではなく、
旅の途中で予期できる災いは、予め避けておくことに越したことはない。
 
当日は3時台に起きて身支度を調え、
四時間くらい車を運転してから食べるうどんの量を鑑みて非常に軽い朝食を取り、
前日までに準備し終えた荷物を車に積んで、予定通り4時過ぎに出発した。
土曜の早朝は交通量が少ないと思っていたが、高速道路では殊の外トラックを多く見掛けた。
私たちが便利に暮らせているのも、夜中から早朝にかけての物流のお陰である。
私の幼い時分、年中無休のスーパーマーケットはほとんどなかったが、
この頃は年中無休の方が当たり前となっている。
また、24時間営業のコンビニエンスストアも非常に身近な存在となっているが、
これらの店舗に商品を行き渡らせるのは並大抵でない。
そのため、人が寝ている、もしくは、起きていない時刻でも
物を作り、運び、売らねばならなくなっている。
便利さの裏側にはこうしたことを仕事としている人たちがいる
と数多くのトラックを目にして思ったが、それとは別に
速く走れないのなら、ずっと右車線を走り続けてはいけない
と思ったのも事実である。
 
想定通り渋滞に巻き込まれることもなく宝塚を過ぎ、
その先の神戸JCTから山陽道へとハンドルを切り、そのままひたすら車を走らせ、
東西に幅のある兵庫県を抜けて岡山県に入った。
運転時間も二時間を超えてきたので、そろそろ休憩しようかと考えたが、
自動定速運転設定での運転ではさほど疲れを感じさせず、
結構良い感じで走り続けていたので、このペースを遮りたくないと思い、
休憩は先延ばしにして、このまま一気に瀬戸大橋を渡ることにした。
そして、朝日を浴びて穏やかに輝く瀬戸内海をちらちら横に見ながら四国入りし、
その先にある府中湖PAでようやく休憩を取った。
時刻はまだ1軒目のうどん屋の開店時刻前であり、ここまでは計画通りである。
それから、讃岐うどん巡りを開始させたのだが、結果だけ先に示すと
この後三時間で5軒をはしごして、この旅の午前中のイベントを終了させた。
この行程を一々示すと、ただでさえ収拾がつかない記録が、もっとろくでもないことになってしまうので、
ここからは訪れた店ごとに簡素な記録を綴ることにする。
 
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○1軒目:がもううどん「かけ+あげ」
ここが初めてうどん巡りをした際、長蛇の列で行けなかった店である。
当時から讃岐うどんを代表する有名な店であるのは変わりない。
この店を一回で探しきれず、その周囲をぐるりと回ってからの到着だった。
時刻は開店前ではあったがもう店は開いており、
少々並んだだけで無事うどんにありつけた。
早朝の木陰のベンチに座って味わったうどんは、
何年も忘れずにいた甲斐があった美味しさであった。
 
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○2軒目:山越うどん「かまたまやま」
こちらも釜玉うどん発祥の店として有名な店である。
1軒目が早く済んだので、移動に時間を掛けても開店時刻前に着いた。
しかし、車を止めた駐車場の係員に
もう開店しています
と言われ、店の前まで歩いて行くと、短い列が出来ていた。
しばらく並んで厨房が見えるところまで来ると、
うどんを仕上げるのに時間が掛かっているだけだとわかった。
釜玉にとろろを追加したうどんを頼み、
出来上がったものを受け取ってお勘定を済ませ、その奥の椅子に腰かけ
そこで、釜玉専用のタレをかけ、一気呵成にすすり込んだ。
 
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○3軒目:長田in香の香「釜揚げ」
うどん巡りの滑り出しが思っていた以上に好調だったので、
2軒目から少し離れた地域へ時間をかけて移動しても支障なしと判断し、
丸亀ではなく善通寺にあるこの店目掛けて車を走らせた。
この店も初めてうどん巡りをした際にもリストアップし、店の前も車で走ったのだが、
私以外の家族がもううどんは食べられない状態にあったので、
入ることを断念したと記憶している。
ここは釜揚げうどんが有名で、かけでもなく、ざるでもなく、
湯に浸かったうどんを熱いつけ汁につけて口に入れた時の、
うどんの表面のしっとりさが何とも言えない美味しさに感じた。
 
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○4軒目:宮川製麺所「かけ+あげ」
この旅で巡った5軒の中で一番美味しいと思い、
次(があるかどうかわからないが)巡る際は必ず訪れようと
今でも思い続けているのがこの店である。
ここが店かと思うようなこじんまりとしたたたずまいの中に入ると、
右手に簡素な食卓があり、そこから奥に向かって進むと、
湯の沸いた釜と天ぷらなどの具材が並べられていた。
ここはどういう仕組みなのかなとキョロキョロしていると、
その場を仕切る元気の良いおばあちゃんに呼び止められ、
その後は彼女の指示に従って、かけうどんをセルフで作らされた。
その際、どこから来たのか尋ねられ、
その店自慢の出汁を薬味の有り無しで味見をさせられ、
おろし生姜が入るとこうも味が変わるのかと驚かされた。
「させられて」ばっかりだったがちっとも悪い気はせず、
むしろ色々教えていただいて、
讃岐うどんはシンプルだが奥の深い食べ物であると実感した。
特に、いりこ出汁のかけ汁が絶品で、
出汁の旨みを知っている日本人に生まれて良かったとも感じた。
また、名前の通り製麺所らしく、茹でうどんと汁だけ買いに来る客も見かけ、
こんな店が家の近くにあったらなあと羨ましく思った。
 
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○5軒目:岸井うどん「肉釜玉」
ここは一度来たことのある店だが、端から見ると、
これがうどん屋だとは思えない、単なるビニールハウスと勘違いしてしまう。
数年前訪れた時は青いビニールハウスだったと記憶しているが、
消耗品の類いなので頻繁に交換されるのだろう。
この日は肉釜玉という一番ボリュームのあるうどんを頼み、
それを他の四店よりもゆっくり味わった。
 
この5軒でこの日のうどん巡りを終えたのだが、
お腹にはまだうどんが入る余裕はあった。
しかし、うどんを食べ続けることに飽きたので、ここで止めにすることにした。
残りは次に取っておく。
そして、近くの善通寺ICから高速に乗って一路愛媛を目指したのだが、
こんな調子で綴っていたら、いつになったら、しまなみ海道を渡れるのか、
少し心配になっている。
 
8/3(土)9時ごろ家を出た。
いつものように車を走らせると、
近畿自動車道から中国自動車道へとつながる吹田JCTで渋滞に出くわした。
土曜の午前中は宝塚IC付近を先頭にした渋滞に必ずつかまるのだが、
中国道に入る手前からの渋滞遭遇は珍しい。
しかし、土曜の渋滞はもとより覚悟の上、
急ぐ旅ではないと前もって心構えができていたせいか、
案外イライラせずに済んだが、この渋滞を抜けた山陽自動車道との分岐で、
出発から二時間が過ぎており、時間を無駄にしたように思えてならなかった。
途中、一度休憩をとってから美作ICで高速を降り、
いつものように道の駅彩菜茶屋に立ち寄って、自宅用のお茶を買い求めた。
 
この週末を逃すと、試合で湯郷を訪れるのは、
10/13(日)ジェフユナイテッド市原・千葉レディース戦まで二ヶ月以上離れてしまう。
この後のカップ戦予定は一週間飛んで8/17(土)ノエスタ、
次の準決勝が駒場、決勝が広島エディオンスタジアムと続く。
その決勝の週の土曜日9/7にはリーグ戦が再開され、ホームゲームは津山である。
その後、浦和、一週間空いて会津若松、鳥取と続いて、ラ・サスタでは試合が行なわれない。
長くベルを観ないと気持ちが落ちつかなくなるのと同じように、
そんなに長く湯郷に行かないと郷愁に駆られるだろう。
そして、そわそわとした気持ちを静めるためにも
練習を観に行く可能性が高いと今から予想される。
 
買い物が済むと12時半を過ぎていたこの後、
いつものようにラ・サスタへと向かったのではなく、一路、南へ進路をとった。
以前紹介したるるぶ岡山倉敷蒜山編の中で美作地域を扱ったページに、
美咲町の柵原にある鉱山資料館とたまごかけご飯の店が紹介されていた。
この鉱山資料館が気になって調べてみたところ、
その真横には廃線跡の駅舎が保存され、
今も月一回で動体保存されている鉄道を走らせている公園があると知り、
頭の片隅に埋もれていた記憶がよみがえり、今の記憶とつながった。
 
私が小学生の時分、
父母どちらかの高校時代に授業で使っていたと思われる地図帳を愛読していた。
読み物というより眺め物というべき代物で、
国内外の地図の上に記されたAu、Ag、Cuなどの元素記号に興味を持った。
そのため、ここでは金が採れる、ここは銀といった具合に
鉱物資源とその採掘場所を覚えるに至り、
柵原という地名もつるはしが重なって×印をしたマークが付いていたのも覚えていた。
岡山にはここと人形峠に採掘マークがあったと記憶している。
その地図帳がきっかけで元素記号と知り合い、
そこから周期律表と馴染みになり、鉱物資源以外の元素も覚えていき、
それまで取り立てて好きではなかった理科、特に化学に親しみを抱くようになった。
そのため小学校六年生の理科のテストで、
植物の光合成において、葉は空気中から何を取り入れて何を排出するかとの問いに、
COとOと化学式で答えた。
この回答は、担任の気に障ったと見え、点をもらえなかった。
この仕打ちに、COとOと書いて決して間違えでない、
二酸化炭素と酸素と同じことを書いているではないかと激しく抗議をし、
それに対して、教えていないことで答えたから駄目と、
児童のやる気を削ぐ応対をされたのを鮮明に覚えている。
この仕打ちはいつまで経っても水に流れてはいかず、今に至っている。
間違いとされたというよりも、教えていないことだからという理由が腹立たしい。
画数の多い漢字を並び立てて書くのが鬱陶しかったこともあり、
化学の世界では常識の化学式で答えてみただけなのだが、
そういう答えをする児童が憎たらしく思えての処置だったのだろうが、
理不尽なことが罷り通る大人の社会でならいざ知らず、
子供相手にすることかなと今でも思っている。
だが、別の見方をすれば、社会に出れば理不尽なことだらけなのだから、
今のうちからそれを学ばせておくのも教育のうちと思っての、
いかにも教育者らしい処置と捉えられないこともない。
 
地図帳と元素記号から完全に話が別の方向へと飛んで行ってしまったが、
その昔知った柵原という響きに重なったのは、
以前NHKBSで鉄道マニアが集まってその熱中する対象を取り上げた番組で
紹介された公園にある鉄道跡であった。
この二つの記憶が頭の中でつながり、
さらに、ベルの公式ブログに掲載されていたたまごかけご飯の記事が
この公園のすぐ近くにあると知って、行ってみようかとの気にさせられた。
しかも、湯郷の隣町なのだからなおさらである。
湯郷の温泉街を右手に見て、吉野川沿いを南へ向かい、
途中で右折して川を渡り、今度は吉井川沿いを上流へと車を走らせた。
夏の日差しが降り注ぎ、周りを山に囲まれ、
その間を川が流れ、田んぼが広がる風景が、父方の田舎に重なって思えてきた。
小さい頃、夏休みとなると、祖父母に迎えに来てもらい、
道中旅をしながら当時住んでいた関東から九州・福岡の田舎まで行き、
そこでお盆まで過ごしていた。
午前中はプールに通い、
午後は田んぼの中や川沿いの道をただひたすらに自転車を乗り回し、
夜は花火を楽しんだ。
私をかわいがってくれていた祖父母もこの世を去り、
ついこの間、誰も居なくなったその家の中を父母が片付けに行き、
あとは建屋を取り壊して土地を地主に返すばかりとなった
その田舎はかれこれ十年近く訪れていない。
これからも訪れることはないだろう。
 
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車はやがて旧片上鉄道吉ヶ原駅跡の公園に着いた。
保存会の方たちにより列車が動体保存されているせいか、
駅舎やホーム、そこに展示されている車両はもちろんのこと、
線路やその周りまで、よく手が入っている。
数時間に一本しか走っていないローカル線の荒れ果てた、
列車なんか来ないではないかと感じてしまう無人駅よりも整然としている。
この夏の日の中、駅舎やホームのベンチに腰かけ、
来ない列車を待って、のんびり過ごすのも悪くないと思えるほど、雰囲気が良い。
 
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この駅舎の横に鉱物資料館があり、柵原で採れた硫化鉄についてはもちろん、
町の歴史や鉱山華やかざりし頃の町の様子が再現されていた。
もっと鉱物鉱物している資料館を思い描いていたので、
少し想像とは異なってしまったが、これはこれで趣向が変わってよい。
一番知りたかったなぜ閉山となったのかがわかったこともそう思えた理由でもある。
昔はここで採れた硫化鉄の硫黄分から硫酸を製造していたとあった。
その製法は、(亜硫酸ガスと思われる)大気汚染ガスから硫酸を製造する方法に取って代わられ、
採掘が下火になり、やがて閉山に至ったという。
採れた硫黄分とそれに対となる鉄も重要な資源として活用されていたので、
硫化鉄は一見無駄のないように思えるが、
お互いの純度を高めていくのにはコストがかかりすぎたのだろう。
そんな紹介展示を見ていると、
放課後、化学薬品と戯れる日々を過ごしていた高校生の時分を思い出した。
硫黄を燃やして、二酸化硫黄を生じさせ、
それを水に溶かして亜硫酸に変え、リトマス試験紙を浸して赤く変わるのを確かめた際、
フラスコの中でゆらゆらと青い焔を放つ様が脳裏によみがえってきた。
 
館内を一通り見終わり、休憩スペースで一服していると、
閲覧雑誌が置いてあるのが目に入った。
岡山県北地域で取り扱われている「JAKEN」が二冊置いてあり、
手にとって、なでしこ追っかけ隊と題されたベルの選手紹介ページだけを読み入った。
そこでは横山久美と山口麻美の職場での姿が記事になっていて、
全選手が好きなベルの中でも、特に好きな位置にいる二人が紹介されている記事に、
こんなところで出会うとはとの気になった。
ただでさえこの日は、柵原の雰囲気に気を良くしていたところに、
思いがけない二人を採り上げた記事に出会ってしまったので、
さらにご機嫌になってしまったのは言うまでもない。
 
そして、資料館を出て少し遅めの昼食を摂りに、たまごかけご飯の店に赴いた。
夏の昼盛り、外を出歩く人などいない通りは、ただ強い日差しだけが降り注ぎ、
通りの両側に建ち並ぶ少し古めかしい家並みの中にも人などいないと感じられるほど、
おもては静まり返っている。
その通りに面した何軒かに手書きで、この日八幡様でお祭りがあるとの貼り紙があった。
この祭りの準備で誰もいないのかなと思いながら目指す店の前に来ると、
車を止めるところが見当たらない。
仕方がないので、その先にあった広場のようなところに車を止めたのだが、
そこが祭りのある八幡様の前であった。
ほんの少し歩いて店に入ると、こざっぱりとした部屋に通され、
席に着いて一つしかないメニューを頼んだ。
しばらくして、ご飯とたまご、味噌汁に漬物が盆に乗って運ばれてきて、
黄ニラ餃子は今茹でていますので少々お待ちをとのこと。
たまごを割って、中味を箸で溶いてご飯の上にかけて、
食卓の上にいろいろと取り揃えられたタレをかけてかきこんだ。
食べる前はうまいもまずいもあったものではないと思い込んでいたが、
食べてみると、たちまちのうちに平らげてしまい、気がつくとおかわりを頼んでいた。
何にも考えることなく、ひたすら食べ続けたところを見ると、格別のおいしさだったのだろう。
調理法など皆無の素朴なたまごかけご飯がおいしいと思えるのは日本人だけのようで、
そもそもたまごを生で食べる文化は世界に珍しいそうである。
 
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昼食を終えて、店を出て、車に戻るついでに、八幡様にお参りをした。
祭りの準備がなされた境内には、どういうわけか私しかいない。
これから祭りなのに、
みんなどこに行ってしまったのだろうとの想いに駆られながらお参りをすませ、
さっさと車へ戻った。
さあ、これからラ・サスタでベルの練習を観に行かないと、と思って柵原を後にしたが、
柵原を再び訪れることであろうとの想いも同時に抱いていた。
 
福岡、佐賀、長崎は先祖伝来の馴染みのある土地であり、度々訪れている。
その何回目かに長崎ランタンフェスティバルに出くわしたのだが、
別にそれを目当てにしていたわけではない。
その時は、長崎の名所とカステラ屋を一通り巡ることを目的とした。
それを果たした夜、泊ったホテルの一階にあったバーで酒をあおっていた際、
窓の外を蛇踊りの一行が通るのを目にしたのだが、
こういう祭りもあるのかくらいにしか思わなかった。
しかし、今年はこのイベントを楽しみの一つにして長崎を訪れた。
ホテルにチェックインして荷物を置いてから街に出て、公会堂前まで路面電車に乗り、
中島川沿いの会場を観に行った。
 
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ライトアップされた眼鏡橋や川沿いに置かれた人や動物を象った中華風の灯篭は、
こういう機会がないと目にする機会はなかなかないので、興味深く見入っていた。
そのまま川沿いの催しを眺めながら、気の向くままに歩いて、
長崎市の繁華街である浜の町アーケードに入り、
そこから思案橋、新地中華街へと進んでいったのだが、このあたりを歩くのには地図は必要ない。
七、八年振りに訪れた長崎であったが、頭の中に地図がしっかりと入っている。
新地中華街近くの銅座川に達すると、
ピンクに彩られたランタンが川の両側に渡されていて、
こういうライトアップも雰囲気が出ていて良いなあと思った。
 
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翌日の昼ごろ、再び眼鏡橋付近を訪れ、
土産物を色々と買い求めたが、中でもカステラは、私の大好物である。
カステラは戦国時代末期にポルトガルから伝来したといわれるが、
現在のポルトガルには、日本のカステラのような菓子は存在しない。
日本に伝わってから400年以上改良に改良を重ねて今のカステラがあると考えると、
もはやカステラは和菓子と言うべきだろう。
長崎のカステラが日本一であり、日本の他にカステラはないので、
長崎にあるカステラ屋が世界一となる。
いろいろと巡って食べ歩いた後、公会堂横にある松翁軒が世界一のカステラ屋と勝手に思っている。
 
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ここのカステラはほとんど長崎にしかなく、
百貨店の物産展で出店されているか、それとも、取り寄せでもしない限り、関西では手に入らない。
その日の昼間から酒を飲み、良い加減で入った松翁軒本店で桃カステラを見つけて、
これが好きだと言っていた父のことが頭に浮かんだ。
大層なこととは思い、何度か躊躇はしたが、
旅の恥はかき捨てとも言い、加えて、酔った勢いも手伝い、
東京に住む父に桃カステラを送ることにした。
 
その日の午後は大叔母に会うと約束していたので、
稲佐山に登るロープウェイの麓の駅の淵神社の近くにある彼女の住む家に向かった。
この家を訪れるのは、約三十年振りである。
曾祖母の葬式に両親に連れられてきて以来なのだが、
その頃の私は小学校に上がったかどうかくらいの幼さである。
送られてきた年賀状から住所を調べ、ネット上の地図で検索してからそこへ赴いたのだが、
それでも何度か道を間違えた。
長崎は山の斜面にある坂の街で、しかも、狭く細い階段が続く坂道がいくつもあり、
午前中歩いた繁華街とは全く勝手が違ったのだが、それでも何とかたどり着いた。
八十歳が近い彼女と二人きりで話す機会は今回が初めてで、
そこで受けた印象は、あまり女性に使う言葉ではないのかも知れないが、
矍鑠(かくしゃく)としたという言葉がぴったりであった。
お茶を飲みながら色々と話をし、出前の夕食まで取ってもらい、午後八時頃にその家を後にした。
 
長崎滞在最終日、長崎市柿泊町にある長崎市総合運動公園に向かった。
今年からJ2に昇格するV・ファーレン長崎の練習を観に行くためである。
友人のタテイシさんに触発されてのことなのだが、
サンフレッチェ広島のエースストライカーであった高木琢也が今年から監督を務めるので、
せっかく長崎に行くのだから、観に行ってもよいかと思うようになっていた。
しかし、V・ファーレンの公式HPで確認しても、予定が発表されてない。
練習予定がわかったのは、長崎を訪れる当日であった。
この総合運動公園への行き方を長崎駅の観光案内所で尋ねると、
乗っても良いバスの行先表示が印刷されたわら半紙を渡された。
それに従って、バスに乗り、総合運動公園を訪ねたのだが、
その日は小学生のサッカー大会が開かれていて、
どこを見渡しても、子供、子供、子供であり、大人のチームは見当たらない。
練習が開かれるとされたこの公園の運動広場に行ってみても、
見渡す限り子供とその保護者という状況は変わらず、
ここに至って練習を見るのを諦め、市内に戻ることにした。
 
イメージ 4
 
そして、帰りの特急かもめに乗る際の長崎駅のホームには、V・ファーレンの旗がたなびいていた。
その風景に、慣れないことはするものではないと言われているような気がした。
 
近年の旅先を振り返ると、必ずと言っていいほど路面電車が走っている街に出かけている。
中でも、富山市は富山ライトレールと富山地方鉄道富山市内線が走り、
特に、セントラムが出来てからは、お気に入りの度合いが増している。
 
イメージ 1
 
関西から富山までの旅の際は特急サンダーバードに乗り、
富山で降りると足が勝手に富山駅北へと向かい、
そこからライトレールに乗って東岩瀬まで行ってしまう。
そして、昔の面影が残る岩瀬の街を抜け、岩瀬浜まで歩き、
再びライトレールで富山駅北に帰ってくるということを、
旅をしている私自身でも、よく説明がつかないのだが、
このような行動を富山に行く度、何かの儀式のように行なっている。
 
加えて、同じ富山県の高岡市を走る万葉線にも、
始発の高岡駅前から終点の越ノ潟まで、
雪の積もる街中を抜けて、寂しい感じのする港の終点まで何となく乗り、そして、引き返した。
目的は乗ることだけなのだが、車窓からぼおっと外を眺めていると、
初めて観る景色の中に、どこかで見たことがあるような光景を見てとり、面白くないこともない
 
イメージ 2
 
昨年は、二度目の鹿児島へと足を運んで鹿児島市電に再び乗り、
皇后杯準々決勝の試合とサンフレッチェ広島のJ1優勝パレードを観に行った広島でも、
二年振りに広島電鉄(広電)に乗った。
二年前、学会出張のついでに宮島へと一足伸ばし、
そこから広島市内の学会会場までの間を広電で取って返した。
宮島から広島市内に近づくに連れて、のどかな海岸線から段々と街並みの中へと移り変わる景色は、
これを日常の風景としている広電沿線の住民をうらやましくに思えた。
 
イメージ 3
 
そして、今年初めての旅も、路面電車の走る街、長崎へと行ってきた。
仕事を午後から休みを取り、山陽新幹線で博多まで行き、そこで特急かもめに乗り換えて、
昨年の夏、大叔母との予定が合わなかったので訪れるのをやめた長崎を七、八年振りくらいに訪れた。
関西から長崎を訪れる場合、一般的に言えば、
今回のように新幹線と特急を乗り継ぐという手段よりも、飛行機を使った方が早くて安い。
しかし、JR西日本が期間限定で発売している早得14という特別切符は、
乗車できる新幹線と特急は限られているが、
新大阪−長崎の往復が二万円以下なので、費用面では飛行機と同等レベルになっている。
 
後は乗り物に乗っている時間の長さの違いだけで、
飛行機だと1時間程度に対して、鉄道は約5時間である。
この時間だけ見ると、鉄道は時間的身体的負担が大きいと思われるが、
飛行機の場合は、空港までのアクセスと1時間前までに空港に着かなければならないことを考慮すると、
長崎までの交通手段は飛行機と鉄道そう変わらないと判断できる。
鉄道に乗るのが好きで、さらには心が落ち着くところもある私はそう判断した。
博多で乗り継いだ特急かもめの車両の乗り心地は申し分なく、車内のセンスも良い。
JR九州の九州新幹線、特急や観光列車は、デザイナーの水戸岡鋭治氏が車内デザインを設計しており、
今年は九州内を走る観光寝台列車の「ななつぼし」がデビューする。
一度は乗ってみたい列車がまた九州内で増えるので、当分の間、九州方面に足が向くであろう。
夕方、長崎は西に位置するので、関西に比べて日が長く、長崎に着いた私を路面電車が迎えてくれた。
 
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