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以前↑の記事で96年の元朗の写真をUPしましたが、 同じ日に撮影した写真が、もう1枚見つかったので、UPします。 この「白蓮蓉」の看板がある景色は、よく見ますよねー。 ガイドブックで元朗を紹介している時、必ずこの看板がある気がします。 今でも同じ看板が同じ場所にあるのでは無いでしょうか?
確認に行ってみたいです。 |
今は無き香港の風景
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この2枚の写真は1997年に撮影した写真です。 |

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香港の名前の起源と考えられている「香港仔」。 以下はウィキペディアより 香港の名前の起源は香港仔であろうと考えられている。 明朝期の地図には、鴨[月利]洲上に「香港村」という地名が書かれている。 黄竹坑に囲まれたもう一つの村「香港圍」は、清の乾隆帝時代に設立された。 香港は「香りの港」を意味し、 新界の香木「蜜香樹」は中国の他の都市に輸出するためにここへ移された。 日本統治時代は、香港の起源だからということで「元香港」と呼ばれていた。 今日は、オークションで落札した古い絵ハガキから、 ちょっと前の「香港仔」の様子をご紹介いたします。 ↑水上レストランの周辺は小舟がいっぱい。 今はこんなに沢山の小舟は見られません。 ↑水上生活者(蛋民)が多かった頃には、舟の上に保育園もあったのでしょうか????? ↑ドラゴンボートレースの様子です。 日傘と言うより、普通の黒い雨傘を日傘に使っているのが、 香港らしい光景ですよねー。 でも、今は黒い傘を利用している人をあまり見かけなくなりました。 ↑有名な水上レストランです。 昔はジャンボは無く、「太白」と「シーパレス」だけだったんですねー。 ↑これはおまけの画像。「太白」のメニューです。 今は大陸からの観光客が多い香港ですが、 かつては日本からの観光客が一番多かった時代もありました。 でも、団体に提供される海鮮料理は、まずくて有名でしたよね。(涙)
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↑この写真は1996年に撮影した写真です。 今は無き「ニューアスターホテル」の部屋から、加拿分道を撮影しました。 道の突き当たりは、ネイザンロードです。 当時からもしあったのなら、ネイザンロードの向こうに 「鴻星」が見える辺りです。 この写真だと看板に隠れてちょうど見えませんが、地下鉄の出口もありました。 今は尖東に移転した「潮州城」の看板が見えます。 そして「裕華」の看板も見えますでしょうか。 昔は美麗都の角に「裕華」の小さいショップがありました。 今でも、たぶん小さなお土産屋さんですが、「裕華」ではありません。 この小さな「裕華」で、かつて日本へのお土産を購入された方も多いのでは無いでしょうか? わたしも、ばら撒き用の口紅入れなどを沢山買った記憶があります。 でも最近は、ここに小さな「裕華」があった事をすっかり忘れてしまっていました。
小さな「裕華」は、いつから無いのでしょうか? |
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最近、「海洋公園の集古村はすでにないよ。」との情報があった為、 |




