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魂様
コメントありがとうございます。 まず、先に私の論としてお断りしておきたいのは、開祖の技が大東流から独自に昇華させたものというのは間違いないと思います。ただし、昇華とは工夫のことであり、大東流が下で合気道が上ということではありません。他の所でも書きましたが、武道の種類によって強い弱い、上手下手があるのではなく、個々の研鑽による違いと考えます。 合気道が剣杖のイメージによって完成されたことも事実です。ただし、開祖は文献でも知られるように直接師匠と呼ばれる人から剣や杖の指導を受けていません。鹿島新当流などを二代目道主や赤沢氏に習わせてそれを見学する形、下世話な言葉で言えば「見よう見まね」で会得しています。この事に於いて当時から一部で批判もあったようですが、開祖というフィルターを通した上では合気剣、合気杖ということになります。 大切な事は、少なくとも私の所、武産館では総ての技を行う時に見えない正眼の剣を意識して入り身すること、そして剣の振りかぶり振りおろしを意識して投げることを指導しています。言ってみればそれが理として受取っていただいても良いでしょう。 故斉藤先生の技は「岩間スタイル」と呼ばれ、合気会でも独特で、道統からすると道主の伝える本流ではありません。しかし、合気道の技に剣や杖の動きは活かされており、魂様が『剣を持つと合気剣になると言われていますが、それが、どのような技になるとは言われていません。斉藤守弘氏の「合気道」に出てくる剣杖の技では体術と運動法則がかみ合いません。技の中の一教、四方投げ、小手返し、入身投げ、回転投げや多くの応用技がどの様に剣の理法を体術に表しているのか理解できません。』と書かれていますが、少なくとも武産館では剣を使って説明することが多々あります。その説明が剣理に適っていないと観るか適っていると観るかは観る人の合気道の解釈にもよりますが、総ての技で説明がつきます。故西尾昭二先生も晩年、斉藤先生と違うアプローチで解説書を出されていますのでご参考まで。 それから、斉藤先生が「合気ニュース」NO。74の対談のなかで、記者の「一教、二教、三教、四教の型における剣と体術は簡単に説明できますか?」と言う質問に「何だって100%結びつけようとするのは無理」と技術的には剣術、体術の関連は説明できない旨の発言をしたとありますが、これは開祖の技が日々進化していて、そのヴァリエーションをすべて網羅するのは難しいということだと思います。
また、合気道は剣も体術、杖も総じて合わせから初まる、と斉藤先生は言っているようですが、「気で結ぶ」と言いたいのだと思いますね。 いずれにしても「剣の理法を体術に表した」ということに矛盾はありません。 |
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自分も武術に於いては優劣は無いと思っています、それこそ各流派は英知を結集して作り上げたものです。しかしそれなりに調べていくうちに疑問点が出てきます、植芝盛平氏が剣や杖の指導を誰からも受けてないことは有りません。昭和12年に弟子の赤沢善三郎氏と共に「鹿島神道流」を修行しています。これは鹿島新当流英名録に血判付で署名されています。その記録が現在も宗家に保存されています。また、昭和6年には下条小三郎とその助手の大坪指方先生から柳生新陰流の(三学円の太刀のみ)を初めて習い特に対剣の間の取り方でした。戦前の門人である、富木謙冶氏や塩田剛三氏が剣の技を伝えてない事から見ても、斉藤氏が剣を習ったのは昭和26年ですからその頃に植芝盛平氏の合気道は完成の域に達して技も現在のようになったのではないでしょうか。
2010/8/19(木) 午後 6:27 [ kon** ]
魂様コメントありがとうございます。
大東流を研鑽しながら合気道もよく調べてらっしゃいますね。
この手の話は合気道を研鑽している人でも知らない人が多いです。
で、鹿島新当流英名録に血判付で署名云々の件は、間違いないです。
しかし、吉祥丸道主、赤沢氏の証言を信頼するならば、やはり開祖は実地に指導を受けず、そばで見ていてその動きを研究したということです。当時の開祖の立場上のこともあるでしょうが、双方の動きを客観的に観ることで全体をイメージしたと私は考えます。また、吉祥丸道主は合気道について柳生新陰流の影響が非常に大きいと過去述べています。
合気道の完成時期については開祖のみが分かることと思いますが、有名な言で「わしは死ぬ前が一番強い...」と。開祖は生涯合気道を進化向上させたがゆえに弟子が開祖について学んだ時期によって違いが生じています。富木謙冶先生や塩田剛三先生についての論ごもっともです。斉藤先生が剣を習った時期が昭和26年というのははっきり分かりません。斉藤先生は昭和21年入門ですから...
2010/8/20(金) 午後 0:48 [ 支部長 ]
武術の世界では血判つきで署名した者が指導、稽古をせづに見ているだけでの研究、理解などは有りえぬことではないでしょうか?「合気道は剣から出た武術である」という宣伝文句とは食い違いとなっているように思えます。合気道の看板技の「四方投げ」は「剣の理を体術に表した」(すばらしい合気道)技であるから昭和12年以前には剣の四方投げは存在してはならないのではないでしょうか?しかし「四方投げ」は戦前の門人達にも子の技は伝えられています、また昭和7年発行の『武道練習』(財団法人、皇武会版)にも出ています。
2010/8/25(水) 午後 2:24 [ kon** ]